先日ヨーロッパ脳神経外科学会(EANS)に講演依頼と世界脳神経外科学会の委員会があったので、夏休みを兼ねて出席、ついでに北イタリアのドライブ旅行を楽しんだ。
その間病棟を守ってくださった皆さんありがとうございます。
さてイタリアのドライブは、ローマに行ったことがある人はわかると思うが、イタリア人は車に乗るとものすごくせっかちで運転が乱暴であり、とても無理と思われる方も多いと思う。ところが私の先輩の田村先生(スナネズミのTAMURA MODELの田村先生)から、田舎はゆったりしてて大丈夫なんだよ。ということで、2年前ローマの学会でFIRENZEからSIENAを経てROMAに車で行ってハマってしまった訳である。幸いイタリア語の地名は母音ー子音の構成のものが多く覚えやすいし、案内板も見やすい。それが韓国など(ドライブしたことはないが)地名が英語で書かれていてもなんとかnyongとか長くて、覚えにくくて読めたものではなく、ドライブも困難と諦めている。ただ今回ナビの入れ方を間違えて、高速不可にしてしまっていたので、下ばかり走ると気づいたのが、イタリアの交差点は信号がなくロータリー(Roundaboutという)が多く、慣れていないので、なかなかは入れなかったり、無理に入ったりで、かなりビービーと警笛を鳴らされてしまった。聞くと昔の馬車の頃の交差点をそのまま使っているそうである。まるで大縄跳びにどこから入るか といったものである。
でも田舎の道はとてものんびりしていて、やはりイタリアは農業が一大産業であるので、広々とした農地が広がり、北海道のヨーロッパ版のような感じである。穀物やオリーブなどを栽培している。外の空気を入れると牧場が近いのか、○○の匂いが車に立ち込める。
ただ困ったのは空港からでる方法である。羽田空港でも少し迷うことがあるが、今回は航空券が安かったので、Milano空港に着いたのであるが、何しろBusyな交通で、空港の出口がわからず、いつのまにかVenezia行きの高速に乗ってしまったり(学会はVeneziaだったのだが、その晩は近くの街に泊まる予定だった)、変なところで降りたら空港の保安施設みたいなところに入り込みそうになったり、警備員に引き止められる始末であった。
なんとかナビから英語(それまで何も言わないか イタリア語だった)が出てくるようになり、Roundaboutに苦しめられながらも、その晩の宿Piacenzaという街に予定よりも1時間半以上かかって到着した。予定では夜7時くらいに着くはずが9時頃になってしまった。隣に乗っていた妻は生きた心地がしなかったようである。「よくこれまで無事で生きてられるわね。。」と言われた。
苦労して街に到着、ホテルには地下に駐車場があるという。さて入れようと思ったら、今回借りた車はToyotaのYaris(フィットの欧米版) Hybridで小さい車だったのだが、非常にRの小さい入り口の回転スロープで地下に行くのだが、これがまたぶつけないで入庫するのが奇跡な程狭い駐車場だった。
ところが苦労の後には果報があるもの。
小さな街で9時過ぎに他にレストランは開いてそうもなかったので、ホテルのレストランで夕食とした。
しかしここでおすすめの地元の赤wine(14Euroくらいだったと思う)、生ハムの前菜、ほうれん草とミンチを包んだパスタ、なんだかわからないものを包んだパスタ どれもこれも今まで食べたイタリア料理では出会えない美味しさだった。どう味付けすればこんな味になるのかわからなかった。
のちに調べてわかったのだが、このPiacenzaという街は以前は交通の要衝で、軍隊の駐屯地があったところ。この街を起点にエミーリア街道というパルマ、モデナ、ボローニャという食材の宝庫を結ぶ街道が始まり、それこそ最も良い食材の集まる街であったらしい。みなさん聞いたことがあるような食材の名前:パルマの生ハム、パルミジャーノレジャーノチーズ、モデナのバルサミコ酢、ボローニャのミートソーススパゲティ(ボロネーゼ)など、が生まれた街々である。
翌朝7Fのレストランで朝食を食べていると、7時に周りの教会の鐘が一斉に鳴り出し、また日が登り、街の赤い屋根がとても美しい世界を見せていた。
イタリアは古い伝統のある国で、統治者がバラバラ、独自の地域ごとの文化が生まれている。個性を生かした国という印象がとても強い。ローマやミラノなどの大都市もそれなりの魅力だが、やはりイタリアは小さな街の魅力が満載である。
またこれは、車かバックパッカーでないと味わえない醍醐味でもあるのです。
苦労しないとこのような経験はできないと思います。何かどこかの医学分野とも似ているような気がします。
北イタリアの他の街についてはまた別の機会に。
Piacenzaのガストロノミー