ロシア軍がウクライナに侵攻した。日本から見たら遠い国々のなんだかわらない事情に基づく争いなのかな。とも見えるが、すでに国連にも入っている独立国にものすごい数の軍隊で攻め込むなんていうのは、「なんという暴挙だ!」というのは世界の標準的な見方だ。なぜ国際社会は経済的制裁くらいしか対抗策を取れないんだろうと思う。なんのための国連なのか?ナチスドイツや戦前の日本などの暴挙を許さないような仕組みのはずだったのに、常任理事国に当事者がいると何も決議できない。という仕組み。クリミア半島を奪い取った時の対応もせいぜいG8からロシアを外したくらいで終わっている。
力を持ってゴリ押しすればなんでも通ってしまう。なんかどこかの社会にもあるような様相にも見える。力の強い国の横暴が普通に行われている世界、この先10年で国際社会はどう変わるのだろうと思う。ロシアも中国もミャンマーも全く普通ではない。このままでは、本当に世界大戦が勃発しようという時に、国連にはそれを止める力はない。というのを示しているようだ。
以前ソビエトだった頃のロシアをシベリア横断鉄道で突っ切ったことがある。国試が終わった1982年の4月に、就業前の休暇?を使ってかねてよりの希望だった旅程を取ってみた。1週間くらい鉄道に乗ってナホトカ経由ウラジオストクへ、そこから鉄道に乗って1週間くらいかけてモスクワへ、モスクワで数泊してから当時のレニングラード(今のサンクトベテルブルク)をへてフィンランド・北欧に抜けた。キエフ経由で南欧に抜ける道もあったので、今思えば、そちらを経由しておくのも経験だったかもしれない。もともと鈍感で、あまり物事を理解しないで旅していた自分だったのだが、それでも入国、出国は非常に怖くて、全身の穴という穴は調べ尽くされる(女性も)。荷物も全ての持ち物をなんのためのものかとか全て細かく聞かれる。どこにいても見張られているという緊張感、自分の周辺の空気の重さをひしひしと感じていたことを覚えている。特に国を離れる時は厳しくて国境で3~4時間留め置かれて、無事国境を超えた時には乗客全員が歓声をあげたのを覚えている。数日に1便しかその列車便はなかったように記憶している。だから陸路はものすごい検問となる。鉄道で1週間同じキャビンで過ごした早稲田の学生は、モスクワに留学中のゼミの教授から国外持ち出し禁止の書物を預けられていたようで(内容は文学的なもので、特に軍事とか関連のものでないと聞いている)、国境で捕まり、その後尋問されたという噂を聞いた。今と違ってラインの交換とかしていなかったので、その後連絡することができていないので、彼が今どうしているかわからないが、多分彼の人生の中では大きな変革(ショック)だったのではないかと思う。
その後チェルノブイリ事故、ソビエトは解体されロシアとなったが、自由の国になった様に見えても、本質は変わっていなかったのかもしれない。
先日、日経の春秋(下記に添付)にロシアの文学の話が紹介されていた。ロシアという国で繰り返されてきた人民抑圧の歴史、戦争、それを読めば、現在のロシアでも戦争は必然のこと。日常なのだ、といった内容だ。
プーチン大統領は上記のソビエト時代の社会監視・管理をしていたKGB出身なので、ソビエト時代の考えが根底に根付いているんだろうということも多く語られている。
プーチン氏の個人的な蛮行なのか?それとも歴史の必然なのか?今回のことを機にロシアとウクウライについて色々なことが新聞やネットにも記載してある。ウクライナという地域・人民の以前からの抑圧された歴史、ロシア、ソビエトとの関係がわかる。中でもロシアの3色の国旗はスラブ民族の代表的な国旗の基本デザインで、白は高貴と率直のベラルーシ人、青は名誉と純潔性のウクライナ人、赤は愛と勇気のロシア人を示しているとも言われる。色々な見解があるようだが、他のスラブ系の国の国旗(チェコやユーゴ、クロアチア等のスラブ国家)も同じようなデザインで3色を使っている。すなわちこの辺一体は同じ民族?という意識もあるなか、ウクウライナはその独立とロシアよりになるか?西欧寄りになるか、政権ごとに揺れ動いていたのがわかる。
話は変わるが、時を同じくして、ロシアの侵攻の数日前に浅間山荘事件から50年ということで、その事件を深堀し、終身刑を受けている吉野雅邦氏の手記や終身刑を告げた石丸俊彦裁判長の言葉などが紹介された。吉野氏はサブ幹部の地位で、一緒に彼を心配してついてきてしまった自分の子供を身ごもっていた恋人をいわゆる“総括”をして殺害してしまったということ。その時の精神のあり方を、「自分の考えがもてなくなっていた」と記している。彼女は、浅間山荘で、ここを抜け出して二人で喫茶店でもしない?と誘ったそうである。彼の判決をくだした石丸裁判長は、戦時中陸軍のキャリアで、ビルマ戦線で同じように多くの戦士を死に導く不毛な戦いに、疑いもなく送り込んでいた立場だったという。自分を失ってしまう組織、社会というのがあるのだということが、特に不安定な世情では生まれてしまうことを示唆する番組だった。
今の日本の社会からは想像もつかないが、戦前の日本や連合赤軍、オウム真理教事件に関わった人々は多分ソビエトや今のロシアと同様な、リーダーの答えに同調しなければならないという常識、外れることのできない道理?に支配されていたのだろうと思う。
言い換えれば、日本でも、そのような異常な道理や常識が蔓延っていた時代が、つい数十年 いや10数年前にあり、少しでも歴史を間違えれば、同じような境遇になってしまうことがありうるということである。
ロシアでは多くの反戦デモが発生しているというのは、ロシアの社会全体が、その常識に囚われているわけではないということなのだろう。でも香港がそうであったようにそのような抵抗も当局の力に抑圧されて、正常な常識も揉み消されて、近日中に征服したロシア軍によって親ロシア政権がウクライナに樹立されて、何もなかったことのようになってしまうのではないかと思う。そしてプーチン氏は国家を強力にした貢献で安定した権力を持ち続けるのではないか。数年後には日本をまた訪れてフグや寿司を食べているのかもしれないし、それを成し遂げた首相がもて囃されるのかもしれない。
毎日のニュースを聞いていると、遠い地での戦争を放送している傍で、お笑い番組を4時間もやっている平和な日本をみて安堵するような気もするが、一方でテレビでは形ばかり緊張したような顔を見せ、G7とともに制裁を課すと言っている政治家をみると、日本にはこの戦いを止める力や影響力は全くないな。と思う。
今の私たちにできるのは、少なくとも今回の争いが大きな世界戦争に展開しないことを祈るばかりである。