森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

友を失うということ

先日友でありライバル(と自分は思っていた)であったK君を失った。意志半ばでの急死であった。様々な人たちの期待、希望、尊敬そして愛情をうける人間であった。一人で弱体化した教室を率いて、日本で最も活気のある、若者に人気のある、かつ業績をあげる部署に育て、臨床、研究そして教育に打ち込んでいた。これから本当の成果が挙ってゆくという時期であった。どんなに無念だっただろう。今はまだ 自分の中では悲しさというよりも喪失感が気持ちを占拠している。丁度知らせを受け取ったのは米国で夜中であった。まるで違う世界でのできことではないかと信じた。彼は私にとっては本当の意味で信頼できる大きな存在であった。

実際には私は彼と一つのポジションを巡って争ったことがあり、そのとき又その前後の応酬、自分のふがいなさによって、ある距離ができてしまったのは確かである。最近は気安くだらだらと飲みに行く間柄ではなくなってしまっていた。若い頃一緒に脳神経外科の未来について語り合ったこともあった。一緒にハワイ沖で釣りをしたこともあった。いつかはそういった関係にもどれ、これからの脳神経外科を一緒に話し合い背負って行けると思っていた。

もうそのときはこないのだ。

私が向こうの世界に行った時には、なんとか気安く笑って冗談の一つでも言い合いたいと願っている。

彼のように一人で大活躍する医師の給与が日本では年間1000万円はいかない。やっとかつかつで暮らし、アルバイトをしないといけないという体制である。そのバイト先での突然死であり、過労死にもあたらないという。

日本での最先端で努力する医師の給与や待遇はどうにかならないのかという怒りが込み上げる。

一方で彼の努力を途中で終わらせるべきではない。なんとか我々同僚ができることは無いかと思う。

『日々最大限の努力をして、翌日に仕事を残すな。』というのが、彼の残した遺言ではないかと思う。

 

足下には及ばないものの私たちも努力するので、安らかに眠って欲しい。

201606    201606