先日(2022年9月)Jerusalemで開催されたAACNS2022(アジアオセアニア脳神経外科学会)出席のため久しぶりの海外に出た。一応日本脳神経外科学会に招待がきて(全くdiscountやaccommodationはないが)私は国際委員会の委員長を勤めさせていただいているので、出席することにした。
COVIDの前は教室の先生方には申し訳ないが年3−4回海外に出張していたので、体に海外通いが染み付いていたためなんの苦労もなかったが、今回はCOVIDのこともあるのか、なんだか調子が狂うことがしばしば。
まずは大事な国内の予定をみのがしていて、1週間くらい前に帰国の飛行機の切符日程を変える必要がありサイトと相談したら帰りの変更したい便は満席でとても取れない。仕方ないので、帰りはキャンセルして新しいルートで予約を取り直そうと思ったら、帰りだけのキャンセルはできない。キャンセルして片道切符を購入すると、それの方が往復旅費よりも高額になるという。。。仕方なく帰りの切符はそのままで使用せず、新しい切符を追加購入するということになった。基本往復の格安切符の内訳は行きの割合が7-8割で帰りの分はほぼ2割くらいとのこと。キャンセルするとほぼ額が消滅し、帰りだけのキャンセルはできないとのことでした。
また空港に3時間前にこいというのでついたら、入国フォームの入力が必要、これまで買ったことのない、海外旅行保険(COVID対応付き)が必須とのこと。。空港では22時まで空いているはずの保険の窓口も現在閉店中。必死で保険会社のサイトからオンラインで加入しやっとチェックインができたという始末。
うーーん 環境が変わって、かつしばらく離れていた実務をするのは、かなりの労力を要します。席はEconomyでも最前列の内側で頻回に立ったり座ったり、足を伸ばせる席を追加料金で取れたので、なんとかJerusalemにたどり着くことができた。(先月前立腺の手術をしたばかりで1ヶ月もたっていないので、尿もれが怖かったが、何とか、、、大丈夫でした。)
今回Israelを訪問するのは初めてで、(日本赤軍発砲事件で有名な…くらいしか印象のない)Tel Aviv空港に降りて、タクシーでJerusalemに向かう(二人で2万円くらいで一人1万円くらいの距離)。地中海の東端の海外沿いの街だが海や川など全く見えず、見えるのは白っぽい黄土色の土と、埃っぽい空気。砂漠だなーーーという気分でした。
Jerusalemは主だった街道や川などから離れたところにできた比較的小さな街ですが、これまで多くの文化・宗教の入り乱れがあった複雑な街です。ダビデ王やソロモン王といった神話にでてきそうな人たちが作った街で、ダビデの街というのが旧市街のちょっと外に残っていて、そこは水源があったそう(今でも)です。水が大事なのは風景を見ているとよくわかります。
さて空港・タクシーまではマスク着用でしたが、ホテルについたら、海外の出席者やホストが待ち構えていて、みんなマスクなしで、抱き合ったり、10cmの距離で話を仕掛けてくる。日本人(と一部どこかの東洋系の人)だけがマスクをしていましたが、マスクをしていると宗教団体か?、、という雰囲気なので、結局日本人は10数名参加していたのですが、空港以降は全くマスクをする機会はありませんでした。
ホテルにチェックインするとホテルからは旧市街が見渡せ、岩のドームと言われる嘆きの壁の上の金色のモスクが見える。ちょっとひとやすみして街中へ出かけるとそれはユダヤ教とイスラム教のmixした街。私はIsraelはほぼキリスト教徒とユダヤ教徒の国だと思っていましたら、イスラム教徒もまだたくさんいて、旧市街の区画は宗教で分かれている。イスラムっぽいスークと言われる迷路のような商店街もあるし、キリスト聖墳墓教会というゴルゴダの丘のところに立っている(キリストの墓のある)教会もある。嘆きの壁には多くの白いキャップをしたユダヤ人たちや、なんか高い帽子を被った黒装束の人たちもあるいている。その人たちがどういう宗教を信じ、どのようなことを日常に、また他人に感じているのかよくわからない。というのが感じです。
ちなみに普段あまり宗教感を感じさせない(?)東京医大の河野先生(も今回参加していました)はキリシタンであり、今回はキリストの歩いた道とか、キリストのお墓とかちゃんと拝観したヨとのことでした。私はあまりにも人が密集しているので諦めました。一方で買い物は積極的にいろいろなもの、ヤギの角とか、よくわからない飾り箱とか、お皿とか買ったか買わされたかして、帰ろうとしたら、タクシーを見つけるのがなかなか厳しい。やっと「乗る?」というタクシーがいてくれたので乗った、法外な、、3kmくらいの距離で八千円も取られました。みなさんも海外ではタクシーには気をつけましょう。
学会の演題発表は4演題、座長が2つと密なスケジュールであったが、何とか一日お暇をもらい、朝の2時出発、夜中の12時ホテル戻りという、超強行軍JordanのPETRA遺跡のバスツアーにも参加してみました。(心配されるので誰にも言わず出かけました)
IsraelとJordanは基本中東戦争で争った国なので、国境の開いているところは一番下の紅海沿いのまちだけなので、こんなに時間がかかるのです。IsraelとJordanは長い直線の国境を接しているのですが、途中通り道がないので、海まで下がって、また上にもどる感じです。Jordanに入るのに2−3時間要してやっと午後の2時(出発から12時間)にPETRA遺跡着。PETRA遺跡はご存知かと思いますがインディジョーンズの「最後の聖戦」だったかと思うが、ショーンコネリー演ずるお父さんが撃たれたところです。聖杯の水で救われるという話だったと思いますが、そこに行くのが目当て。途中時間のかかることと、前の晩にWelcome partyで食べた辛すぎる(自分で辛いソースやハラピニュオの酢漬けやらをいい気になってトッピング)ピタサンドが響いて、トイレが心配なのと、膀胱のほうも心配で、もうこんなこと二度としないと心に念じつつ行ったわけですが、何とか堪えて! その場に着いて歩いてみると。。。。今まで訪れた遺跡とは全く異なる。狭い岩盤を削ったシークと言われる狭い道を通って劇場(宝物殿?)と言われる遺跡物に到着すると、、「フワーーーー」という感じでした。その先にも無限な広さで遺跡は広がっています。紀元前1世紀から8世紀ごろまでローマに支配されたり独立したりしながら保たれてきた香料で栄えた街だったそうです。昔の街がそのまま忘れさられて地中に埋まっていたのを18世紀にスペインの探検家が発見したそうです。
ちなみに12時間近く(帰りは+6時間でした)のったバスで見た風景は、ただひたすら砂漠、時々ぶどうのワイナリーかなという一角がある。Jordanに入ると道すがら野生のラクダをたくさん見て、途中からは山岳地帯になり、紫と茶色を混ぜたような色の木のない山が延々と文字通りどこまでも続いています。途中にどうやって建てるのというほど密集した家が山肌に立ち並んでいる街があります。PETRAの観光はJordanにとって大変貴重な資源なのでしょう。
さて学会ですが、久しぶりにFace to faceの学会でオンライン参加なしの学会に、欧米からも腫瘍の臨床研究で有名な先生方Rutuka先生、Berger先生、Stupp先生、Chiyoka先生などの重鎮が出席しており最新のGliomaの手術や知見の話、研究計画の話をされていました。日本医大就任当初私が頑張ろうと思っていた視覚再建の話も新しい研究が欧米で進み始めていることを知りました。でもやはり視覚の生理はよくわからないことも多くまだまだという印象でした。10年前に考えていた研究ですが、それほど進まないこともあるのですね。HIFU(収束超音波)は日本でもパーキンソンなどに使われておりかなり多くの機器が導入されていますが、STUPP3(2?)研究はこれを用いてBBBを腫瘍局所のみ開いて脳に到達しにくい科学療法やウイルスベクター治療を進めるという段階に来ているとのことです。Supratotal resectionの話も先日の脳外科総会でもありましたが、本会でも積極的に話あわれ、また来週の当教室主催の日本脳腫瘍の外科学会でもたくさんのこのテーマの演題があります。Gliomaの治療に新しい風は吹くでしょうか?
先日聖マリアンナの教授になられた太組先生も来られていて、てんかん手術の話をされていました。英語同時通訳の学会を主催されるくらいですので、英語の講演も上手でした。ちょっとその前のブレークでのワイン試飲でかなり飲んでいたので心配でしたが,,,却って弁舌なめらかだったような。
他の日本の先生方は死海に行って浮かんできたり。泥まみれ温泉に浸かったりもしてきたようです。私は傷にしみる(表面にはないが)といけないので死海は行きませんでした。
食事はほぼトルコ・中東料理です。でもユダヤの決まりがあり、豚など蹄が割れてなくて反芻しない動物を決して食べないので、基本羊でした。またミルクと肉は一緒にしてはいけないそうです。羊は私は大好物なので、美味しいワインと楽しみました。
さてこの会の委員会で副理事長(vice president)を任ぜられてしまい、まだこれからも海外の活動を継続して行かないといけないようです。機会があれば、ぜひ日本医大の若い先生たちを海外の刺激に触れさせていきたいと思います。PETRAには行く必要はありませんが、Web会議ばかりではなく、現地を訪れないとわからないその土地・国の風土・歴史を知り、文化、空気の匂いや食べ物の味を知るのは自分の教養の上でも、またその国の人を理解するにも必要なことと思います。