森田明夫
その症例は10代の男子の橋にあるリング状に造影される3cmを超える腫瘍であった。急激に麻痺が進行しているという。生検をするのかと思ったら後頭下開頭で摘出するという。今日は長い手術になるな。9時すぎから開頭をはじめ摘出は午前11時半に終わった。
まずは開頭。まるで辻斬りの様なバッサリとしたほぼ直線の後頭部の皮膚切開。体位は通常の側臥位であるが、腕を落として固定できるベットにしっかりと嵌め込める製品が出来ている(多分作ってもらった)。
筋肉を分けるとマイクロを入れる。顕微鏡はご存知Yasargil先生が作ってZurichで使っていたZeissのペンテロの様なバランス式顕微鏡の1号機である。マイクロのストラテバリとい呼んでいた。スチールの4~5mmのバーで骨の表面をけずり始める。何をするのかと思ったらこの方がAsterionがしっかりわかるという。Asterionのすぐ下に同じドリルでバーホールを穿ける。Dopplerを用いて静脈の音を聞き静脈がどこにあるか確認する。
バーホールの下方、内側 硬膜側をKerrison punchで少し斜めに削り剥離子をいれやすい様にして下方、内側、開頭部の硬膜を剥がす。そこから内向きコの字にSigoid sinus側を除いた内側の骨切りを一筆で行う。Sigmoid側は先ほどより少し小さなスチールバーでガターを打ち薄くなったらエレバで骨弁を持ち上げ開頭する。Emissary veinは凝固する。側方が少し足りないと思ったらドリルですこしけずり足す。
硬膜の下方に横切開を入れ髄液をCisternから抜き脳をSlackにさせる。さらに硬膜を外向きコの字に開けてうまく血液がたれこまない様に周囲の硬膜を釣り上げる。
下位脳神経を上山のハサミ(愛用しているという)など用いてクモ膜切開しつつ剥離して脳幹7-8 complex、 Vを出す。
AlokaのECHOを用いて腫瘍を確認。VII-VIIIとVの間の脳幹からEntryすると思ったら、そこだと角度が悪いのでVIIのventral, VIの手前から入るという。
そこに小さな綿片を置いてまたECHOをし進行方向と脳幹表面からの深さ、MASSのおおよその位置を確認する。
躊躇なく脳幹に横切開をおき入っていくと4mmほどで腫瘍に当たる。腫瘍は出血性。どんどん摘出しあまり止血をしない。CUSAを15-15-15の低出力で用いて硬いところはとる。CUSAは吸引の感覚がないのであまり好きではないと言っていた。出血は続くがどんどん摘出してゆく。脳幹の白い壁が見えてくる。止める。CUSAはこの違いがわからないんだよ。と。あらかた摘出するとだいたい止血している。とれば止まるんだよ。ECHOで少し手前に取り残しがあるとそれをCUSAで摘出。あらかた止血を行う。その上で摘出スペースにGELFOAMを2ピース入れて手を止めた。しばらく置いてあと(私どもと控え室で1時間ほどたったところ)で見るという。あんまり焼きたくないので、止血を待つという。MEP SEPは変化なし。
摘出終了は11時すぎであった。
この間、道具の名前を言って手を出すと2秒くらいで全ての道具が出てくる。Termaという外回りのTechnicianがいて全てを管理している。DopplerもECHOもドリルもCUSAもBipolarも黄色のYasargilのものと黒いNon-stickを使い分ける。10年かけてチームを作ったという。
11月にYasargil先生とお話しする機会を得た事は以前に述べた。現在Yasargil先生はIstanbulのUgo Ture先生のところにいて、ぜひTure先生の手術を見に来なさいと言われていた。以前よりTure先生はtrans-tentorialで後頭蓋から側頭葉内側のてんかん病変や腫瘍を摘出することを報告しており、Al-Mefty先生のところで解剖をしていたので、知っていた。現在の脳のfiber dissectionを広めた先生である。解剖に詳しい先生という印象だった。今年のWFNSの会長に選出されており、また5−6月に新病院への移転が決まっている忙しい中での訪問となった。
脳幹の手術について聞いた。脳幹の手術は今の施設に来て、10年前に脳幹のfiber dissectionをして脳幹への安全な入り口を検討して始める様になったんだ。という。様々な部位の病変に対してのことを聞いた。それぞれ考え方があるが、LESIONまでの距離はあまり関係なくむしろ安全なルートで摘出に適している方向からのアプローチを選択するという。またTractographyも大いに活用しているという。Fiberのない方向から入ることを考えると。通常よく言われる第4脳室からのアプローチは安全なところはないんだ。入るところはあってもどうしても入り口が広がって神経ファイバーに損傷が加わって眼球運動障害などが出る。薄く見えても引き伸ばされているだけで、LESIONを取ると厚さが戻り多くの神経組織があることがわかるという。
解剖学的、また手術Tacticsに基づいた手術理論である。
ECHOの使い方が非常に上手なので、誰に習った?と聞いたら、自分で色々やって見ることが一番の学習だということである。
トルコは一般に医療は無料だという。入院も手術も薬剤も。
Ture先生のところだけ全額自費医療をしており、1手術4万ドルから6万ドルとるとのことである。だから全国から見放された患者が押し寄せる。一方で失敗すれば訴訟もあり、特に手術代を返せと言われるという。いつも死に物狂いで、薄氷の上を歩く様に仕事しているという。1%の合併症が、自分の立場を危うくするという。
その中で、自分独自の手術スタイル、スムースな医療を可能とするチームを構築し、しっかりとした解剖に基づいた治療を行なっている。
一見不可能と思われる手術も可能とする意欲と努力。
この様な手術と取り組み、おおらかな人柄に出会えたことは、大きな喜びだった。もちろんYasargil先生、奥様にもお会いし Yasargil先生とTure先生の外来に同席させてもらったり、大量のビデオライブラリーでも見たい手術を見せてもらった。
Istanbulは皆(自分も含め)恐れていたが非常に大きな都市でかなりsecurityの高いところである。どんどん大きくなっており、今は人口2000万人とのこと。地下鉄は朝はすごいラッシュで、乗ろうとしたら“NO”と言われて外に押し出され、2本乗り過ごしてやっと乗れて港の駅まで行きボスポラス海峡を渡る連絡船に乗った。旧市街を歩き回った。西暦350年頃(日本の弥生古墳時代)に東ローマ帝国の教皇首座として建築が始まったHagia Sophia(現在のものは6~8世紀頃に再建されたものと)、 Blue MosqueやTopkapi宮殿、Basilica Cistern(ローマ時代の水利施設で宮殿の様な構造)が立ち並ぶ。色々キャッチにあって高額なタイルなど売りつけられるという始末はあったが、すごく美しく、また食事も美味しい都市であった。
Regeneration、古いものの土台の上に、それを生かしつつ新しい時代を築く。
この様な脳神経外科が可能であることを知った。
脳幹のグリオーマ、ECHOで見ながら摘出
自分でECHOを扱い写真を撮る。手術場にてYasaragil, Ture先生と
トプカプ宮殿から見えるボスポラス海峡 亜細亜と欧州の境界
Istanbulのイメージ
美しいIsnic tileと美味しい食事