森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

中国と香港

昨年暮から今年に入り中国と香港を訪れた。ご存知のように中国の発展は目覚ましく脳神経外科の世界では上海の花山病院、北京の天壇病院など30−40名のスタッフで年間2万件の手術を行うという施設が出てきている。年間数百くらいで四苦八苦している日本の施設とは比べものにならない。では雑な仕事をしているのだろうとタカをくくっていると、多分ろくなことにはならない。年間500例も髄膜腫をとってまともな医療ができるわけないと思うのは間違いであろう。同じ東洋人の血筋である。彼らはすでに標本のBiobank(血液と腫瘍)を構築するのは当たり前であり、その土台を基にしたNatureなど どんどん高度な論文が出版されつつあるのはご存知の通りである。当然他の診療科も同様である。
国土の広さ、歴史、そして一人っ子政策を取っていながらの人口の多さなど、すべて日本とは全く異なる要因があり、日本とは異なった診療システムとなっている。しかしそこで活躍する人たちは米国で訓練を受けた人もいるが、多くの脳神経外科医が日本での教育を受けており、寺本先生門下の先生がたも多くの施設で教授や施設長をされている。鄭州ではそのような先生方と杯を酌み交わすことができた。日本のきめ細やかな医療も知った上で現在Mass surgeryと知見の積み重ねを行なっている。
深圳という香港の隣の町をご存知と思うが、私は行ったことがないが、混沌としたシリコンバレーと化しているという。バッタもんを作るメッカとも言われていた都市であるが、今は深圳なしで世界のITを語ることができないくらいに発展し、米国、欧米からも多くの出社、出資があるという。多くのiPhoneの部品はここで作られているという。日本からは昔の印象しか持っておらずまだまだ出資も少ないそうである。何か脳外科の世界と近い印象である。
さて一方の香港であるが、小さい街であり、いくつも大学病院がひしめきあっており東京の状況に近い。恐ろしい数の手術をしているわけではなく、スタッフも10名そこそこのところが多い。高齢化は日本同様に進み、平均寿命は日本を超えている。人口構成も日本と同様な紡錘状—釣鐘状である。では何が違うか?カルチャーと若者の中国本土からの流入である。英語を町のおばちゃんでも喋り、小さな子供が非常に流暢な英語を喋る。大学は臨床も一生懸命やっているが、中国本土からの留学生が大勢おり、くも膜下出血のiRNAの動向(http://jaha.ahajournals.org/content/6/4/e005363.long)や脳腫瘍の基礎研究など非常に深く先進的な研究をしている。丁度私が香港を訪れていた時に読んでくれたGeorge Wong先生の論文(共著)がBMJ(IF>20)に掲載されたところであった(http://www.bmj.com/content/360/bmj.j5745.long)。
辛ラーメンをご存知と思うが、韓国のインスタントラーメンは世界を席巻している。元はと言えば日本の明星やサンヨーが技術供与したものと聞く。似たような状況かと思う。

今後日本が生きるべき道はどうなのだろうと思う。脳神経外科はどうあるべきだろう。
人口が減少し、高齢化が進む。手術症例は低侵襲へ大きく舵が取られている。
下記のことを推進すべきと考える。

  1. 高齢者の科学 脳神経外科の発展をリードする
  2. 低侵襲医療をさらに充実し、日本特有の細やかさで、refineされた医療を確立
  3. 再生医療(iPSのみでなく、脳—コンピューターインターフェースを含めて)の展開
  4. ITを駆使した医療の定着と実績の積み重ね
  5. 細やかな地域医療の充実 非集中型の健康な社会を担う
  6. 保守を捨て、新しいことを検証し、迷ったら試す。行く。
  7. 友を広く求め、交流範囲を広げる
  8. 公用語としての英語に熟達する

などである。皆さん頑張りましょう。

鄭州 登封にて

少林寺

少林寺

嵩山にて嵩山にて

嵩山にて

寺本先生の教え子の先生方と

寺本先生の教え子の先生方と

香港にて

集合写真脳腫瘍遺伝子の話

Geroge Wong先生, Martinと  M Taylor 先生の脳腫瘍遺伝子の話に英語で質問する少年たち

香港のイメージ

香港のイメージ

銅鐸

Cat streetで手に入れた銅鐸(本物?)