左手の役割って何だろう?インドでは古来左手はお尻をふく手であり、不浄なものとされた。カレーは右手だけでチャパティやナンをちぎって、カレーをそれですくって食べる。むしろ欧米では逆。フォークで物を口に運ぶ手は左手である。日本ではなかなか手術の練習のために左手でラーメンやおそばを食べる練習をするが、あまり美味しいとは思えない。
以前紹介したかもしれないが、若手の手術手技を工学的技術を用いて評価すると、左手の精度、および効率が悪く、また力の握りしめかたが固く、血管吻合の糸を結ぶところも全くリズムがない。これを指摘して練習をさせると1時間でぐっと力のいれかたが上手くなった。
一方でロボットを用いると左手のDexterityが向上することは以前から実証されており、私が東大の光石先生と開発しているロボットでも左手で行った深部のポイント精度は右手の浅いところでのポイント精度と変わらなかった。以前Da VinciをカリフォルニアのSurgical IntuitiveというDa Vinciそのものを作っている会社で動かしたことがあるが、本当に左手が自由に動く。
さてそんなことを書いていると実際に自分はどんなときに左手を使っているか考えてしまう。ものを押さえる。タイプを打つ。うまく左手でも右手を同じように使える種目と、そうでない種目があることに気付く。
一方で左手のほうが右手より上手くできることはないか?
これは右脳と左脳の違いにもよるのかもしれないが、実際に自分の身体とか手とかにさわってみると左手の方が優しいような気がするのは私だけであろうか?左手でさわると感情にすぐつながるような気もするし、右手でものを触れるとすこし客観的に感じる気もするようになる。実は芸術的なものは左手の方がすぐれているのではないか?よく料理人は左手でものを動かして皮を剥く。右手の包丁は一定のところに固定している。素人はこれを右手の包丁を動かして切ろうとする。彫刻は左手でノミをもつ。右手はハンマーなりをもつ。
さて手術や道具の使い方において左手の重要さは何度も書いた。左手の動きをみればその人はエキスパートかそうでないかがわかる。手術の場は、いかに左手を自由に、軽く使えるか。そのような場をつくるか? が鍵となると思う。腫瘍を減圧するのは、左手で軽く腫瘍をひいて、繊細に剥離をするためである。吸引を自由に動かし、鑷子で面をつかみ、そして時には左手で切り、左手でクリップをかける。皆さんはコンピューターのタイプはかなり早く打てると思う。それが出来るのであれば、左手を右手同様に使うようにすることは比較的簡単にできるはずである。
左手の芸術性を手術に生かすためにもぜひ左手の修練をしてほしい。
そのためには左手でマイクロSutureの練習をすることだと5万針で有名な富士脳研の井上先生は言っている。わたしはまあおそばやごはん、箸を左手で自由に使えるようになると良いと思うし(ただしなぜか美味しく感じない)、左手で絵がかければよい。文字を書くのもよいだろう。習字など芸術的になるかもしれない。
手術に大事なの左手! と覚えておいてください。
本駒込吉祥寺のしだれ桜は今年もすごい!