皆さんそれぞれの趣味をお持ちだと思う。「仕事」が趣味なんて言っていたこともあるが(つい最近もそんなことどこかで言っていたように思う)、特に60歳を過ぎてくると何か人生の楽しさは趣味の深さと多さによるのでは無いかと思えてくる。若い頃はそれ、色々恋とか夜遊びとか楽しいことがたくさんあると思うが、昨今のセクハラ事件の多さをみると、多分彼らに足りなかったのは、ずっと仕事に一生懸命で、若いころ足りなかったことへの欲求を満たそうと、今になって追い求めてしまって、あんなことになってしまうのかなと思う。ある程度年齢いって若い頃と同じことをしようとすれば、即(セク)ハラスメント断定である。一方で日本の社会というのは、なかなか四角四面で、かついろいろなことがぎゅうぎゅうしているので、ドライブしようにも週末や休日は渋滞が問題だし、どこの催しもいっぱいということになり、ゴルフは高いし、なかなか趣味を持つのも一苦労である。
自分はといえば、趣味は旅行と料理、陶芸、古いものの蒐集である。まあスポーツは歩くことくらいしかしていない。ただこれらの趣味は今の立場で満足するのは簡単で、地方での学会に行けば、当然のようにレンタカーをして周辺を見て回る。流石に韓国、中国、トルコなど事情のことなる国ではそれはしていないが、日本はもとより米国、ヨーロッパなどお手の物である。イタリアのドライブについては以前このコラムにも書いた。またその地の名物を出す居酒屋やレストランを発見する「嗅覚」に関しては、ほぼ誰にも負けないのではないかと思っている。先日は奈良で「蔵」という居酒屋を見つけ、教室の梅岡、亦野両先生と楽しんだ。甲府の「草笛」、仙台の「源氏」、福島の「花小町」、鹿児島の「石蕗」など何度でも行きたい居酒屋である。先日台湾では夜市に出向き臭豆腐にチャレンジし、現在流行中のKing Oyster Mushroom(いわゆるエリンギ) 炭火焼をたべ、即自宅で再現している。Toscanaで食べたイノシシのラグーソースのPICIパスタ(うどんのように太麺のパスタ)は、ちゃんと購入してきて自宅に備蓄がある。イノシシは豚肉で代用しているが。陶芸は自分でも作るが、買うのはもっと好きで、家中が不揃いな器であふれ、多分妻が裏で少しずつ処分しているのでは無いかと思う。古いものはそういったわけで家には持って帰らず大学の自室に置いてある。先日は香港で銅鐸を購入した。本棚に吊るしてあり、時々叩いているが、太古の音がする(気がする。多分偽物なので)。
土屋賢二という哲学者がいる(Wikipediaで引いて見てください) 。彼が先日ラジオで「趣味」の話をしていた。彼はなんでもかんでも悲観的というか滑稽というか、こき下ろすというか、本当に不思議な話し方をする。書籍は実は買ったことはないのだか、エッセーのタイトルだけでもおもしろそうである。
多趣味で知られるが、「趣味はストレスでしかないがやめられない」という持論があるらしい。下手くそ(自分でいっている)なのにジャズピアノのリサイタルを開いたり自分に弾きやすい曲を作っているらしい。
· 『簡単に断れない。』(文藝春秋 2004年,文庫 2006年)
· 『ツチヤの口車』(文藝春秋 2005年,文庫 2008年)
· 『貧相ですが、何か? 哲学教授大いに悩む』(文藝春秋 2006年,文庫 2009年)
· 『妻と罰』(文藝春秋 2007年,文庫 2010年)
· 『人間は考えても無駄である-ツチヤの変客万来』(講談社 文庫 2009年)
· 『ツチヤの貧格』(文藝春秋 2008年,文庫 2011年)
こうなるとどっちが本職かわからなくなってくるが、最後にどちらを選ぶかわからないほどのめり込む「趣味」というのがあっても悪くはないなと思う。
日本人の悪い癖は、職場外で話をする内容も仕事のこと(特にぐち)が多いことである。アメリカではそれはとっても無粋な話であって、病院の外で仕事の話をしていることは滅多になかった(かな?)、、スポーツとか趣味とかの話が楽しい。まレジデントの間ではあのNSがいいとか、あのスタッフの扱いはひどいとかいう話もあったが。
皆さん、まずは本職もとても大事ですが、このゴールデンウイーク、もし1日でも休日があれば、何か趣味に費やしてみてください。
ただし「専門医試験組」と「学位組」はそのような余裕はないことはいっておきます。多分将来趣味で生きてゆくことはできません。もし私が引退後居酒屋を開いても、注文の多い居酒屋店主(食べる順番とかにうるさい)になってしまい流行らないでしょう。
今月も勉強の話はなく趣味の話でした。