森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

第25回日本脳ドック学会総会を開催して

さる6月9日・10日に日本脳ドック学会を軽井沢で開催させていただきました。ところどころ雨が降りましたがとても清々しい気候のなかで、430名の参加者を得て盛会のうちに学会を終了いたしました。

教室員および御協力、ご賛助いただきました同門の先生方には心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

会長の役割として会の内容をじっくりと聴き、全体を総括するという役目もあるとおもっておりましたので、初日よりほぼ漏らさず2会場のうちどちらか片方の会場の講演は聴かせていただきました。

改めて日本の脳疾患に関する予防医療の進歩、高い水準を認知することができました。科学的側面としてJ-ADNIやVSRADを含めた認知症分野での進歩、人間ドック学会でのアミノ酸分析による生活習慣病の予後予測などの最先端の知見、一方で地域の施設での手作りの工夫などにおよぶ演題がありました。先端科学から末梢の医療提供まで日本の予防医療、脳ドックの実力が良く示されている学会であったと思います。

特別講演では石川善樹先生にとても楽しくもためになる御講演をいただきました。東京オリンッピックの頃は日本は定年は55歳だったとのことです。たった50年でこれほど平均年齢が変化している国では、まだシステムが追いついていません。当然75歳まで現役でないと今の日本の国はなりゆかなくなりますし、十分できると思うのです。一方で100年を人生と考えると、25歳、50歳75歳100歳で四季に例えて春、夏、秋、冬 として、それぞれの時代に役割があるということを強調していました。したがって現役でも50までと50−75までは違います。転職が必要というのにはびっくりしましたが、それもよいかもしれません。(“奥様も変える” にはみな爆笑でした)

それと皆さんが必死にきいていたのが、75歳以降を幸せに生きるには?

「かわいい 老人になること」だそうです。うなづけます。かわいくないと若者に良くしてもらえませんし。また介護が必要になった男性はだれに介護されるともっと長生きできるかというと、義理の娘、娘、伴侶の順だそうです。

女性は 伴侶、娘、義理の娘の順。ですので、「息子さんのお嫁さんは大事にしましょう」ということでした。もう一点大事なこと。彼が随分前から言っていることですが、生命へのリスクファクターとしてタバコや肥満、糖尿病、過量の飲酒よりも独立して関与する因子。それは「人とのつながり」であると。またそれを間接的に測る指標は: 「もしあなたが1ヶ月入院するとしたら、2回以上お見舞いにきてくれる友人は何人いるか?」だそうです。0と2人以上では有意な差があるそうです。皆さんはいかがですか?私は….

 

その後には秋野議員に選挙前のお忙しい中、議員立法のありかたと、今後の脳卒中関連の対策法案の方向性についてお話いただきました。興味深かったのはピロリのお話で、ピロリは土壌菌でアルカリ性土壌の沖縄にはほとんどいないそうで、沖縄の胃がん死亡率は極めて低いとのことでした。

脳動脈瘤の破裂にも特殊な虫歯菌が関係していることもあきらかになりつつありますので、そのうちピロリ除菌のように、虫歯予防でくも膜下出血を劇的に減らせる時代がくるかもしれない。などと想像しておりました。

学会後は千駄木では重たい手術の合間に怒濤のくも膜下出血来院の嵐が吹き荒れました。なんとか予防的医療を作りなさいというお告げかもしれません。

 

学会の前日は10年ぶりくらいにゴルフコンペなるものに風邪気味を押して参加させていただきました。この際のビデオが会長招宴や懇親会ではばかうけで、重鎮のゴルフをみれる超稀で安上がりな企画を村井事務局長が考えてくださいました。私はひどい(倍)スコアでしたが、佐々木富男先生に “風邪は汗をかいて治すものだ” と諭され、言葉通りしっかり治ることができました。

 

村井事務局長、秘書の相澤さん、澤田さん始め、学会運営を手伝ってくださった方々に感謝いたします。

 

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プリンス前の郵便ポスト            お世話になりました!

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一人近隣のその手の人が混じっています。お疲れさま。