森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

カルテ記載について

カルテ記載について

 

川津桜が咲いたというニュースがありました。まだ不順ではありますが、すこしずつ春らしくなってきたように思います。

さてもっと早く書くべきだったかと思いますが、特に若い先生方へ、カルテ記載について一言。

カルテは医療の記録であると同時に、同僚、他職種や他診療科へのコミュニュケーションの手段でもあります。

したがって、カルテを読めば大体の患者の状態がそこに予想できる、そして日々の変化がわかるような記載を心がけるべきだと思います。またそれを客観的指標で把握できるようにしないといけません。

良く看護師さん達のカルテには患者さんの言ったことや、文句がそのまま書かれている。ちょっと失礼かもしれませんが、やや科学的ではない叙情的な記載も多く見受けられます。ただ実際には医師の書いたカルテよりも患者さんの気持ちや生の声を知ることができます。皆さんのカルテはそのような情報も含め、客観的に患者さんの状況がわかるように記載する。特に高次機能のMMSEやHDSRの術前後の値、mRS, NIHSS,握力の推移、あるなその他の高次機能テストなどのデータ、脳神経障害の客観的指標:聴覚dB, SDS%、顔面麻痺の程度、カロリックテストの%、視力OD,OS,視野、UP & GOのスコア、下垂体疾患であればホルモン値などその他ありとあらゆる数値化されたデータは記載する努力が必要です。そのような客観的データを取っていない事自体が科学的に患者を診ていないということになります。その上で先生達の考えがわかるように記載する必要があります。Assessmentという欄になります。この部分が特に大きく欠如しているのを良く見かけます。

患者さんの訴えを良く聞き、症状を診察し、問題点を整理して、プラン(治療方針)をたてること。この全てを記載する必要があるのです。さらに集大成であるサマリーにもそれを記載する必要があります。

現在先生達が中心で診なければならない患者さんはせいぜい10名程度と思います。さらに電子カルテという文明の利器を味方につけています。毎日毎日の記載がどこに出しても恥ずかしくない状況まで仕上げること。考えることが、自分の医療知識や技術を高める手段となると思うのです。

電子カルテが発達してもっとも良くない状況は10日前から同じ内容をコピーペースとしている人もいることです。前の病院ではコピーペースト中心(50%以上)のカルテ記載をしたひとはペナルティーを与えることにしていました。要はその日に患者さんを診て何も思わなかったということを示唆するものなのです。自分も身に覚えがあったら、医局に一回1,000円ずつおさめて下さい。

またもっと良くないのは、自分の反省文をカルテに書いてしまう人、他の診療者の問題点を記載してしまう人がいます。カルテは小学校の作文集ではありません。公文書です。手術記載も同様です。取り立てて隠したり、修飾する必要はありませんが、自分への反省は日記に書いておきましょう。他の人の過ちは直接話しましょう。

今まで自分が教示を受けた先生にMayo Clinicの主任をしていたPiepgras先生という方がいます。その先生の1stアシスタントをしていた時、週末の回診はとても大変でした。Mayoでは週に各チーム(2名構成)で10~15件程の手術があるのですが、ほとんどは翌日または2日後に帰宅しますので、週末に残っている患者さんはせいぜい5名です。その5名に対して、一人30分かけるのです。ほぼ午前中いっぱいかかります。患者は基本個室におり、Piepgras先生はベッド脇の椅子に座って30分カルテをもって話しをするのです。最初は通常の診療内容ですが、カルテを記載しつつ、ただじっとカルテの方をみているのです。すると患者さんも静寂がいたたまれなくなって(?)か、自然と自分の生活のこと、家族のこと、病院の看護師や医療のことなどを話しはじめます。まるで家族と話しをするように。そうやって一人一人の患者と向き合うという努力をしていました。「アメリカの医師は手術ばかりしていて患者を診ない」というのは大きな間違いで、ひとり1〜2分で回診を終える日本の医師のほうがよほどその定義に当てはまる訳です。看護師さんと医師の患者さん接触時間は大きな違いがあります。我々の忙しい日常で同じことをするのは難しいかもしれません。ただ患者さんとじっくり話しをして、その想い、不安、希望を良く知ること。そして、自らの判断と考えをまとめ、それをきちっと「科学的に」カルテ記載することが良い医師になる一つの道だと思うのです。

出来ることからはじめてください。まずはコピペをやめること。そして、考えを記載すること。患者をカルテ内に描くようなカルテ記載をすること。です。