森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

森田 明夫先生のご退任に寄せて

杏林大学脳神経外科

中冨浩文先生

森田 明夫 先生、10年間の日本医科大学における教室運営、手術、教育、研究の全てにおいて本当におつかれ様でございました。多くの弟子たちが育ち、森田マインドを引き継いでいると確信しております。

森田先生には、mayo clinicにていよいよChief residentとしてRochesterで思う存分活躍される時に、まずはお手紙で米国臨床留学に憧れていること、血管障害の外科で頑張っていきたいことをご相談いたしました。私が医師3年目(1995年)の冬でございました。当時から後輩の成長を本当に真摯に考えてくださり将来に対して最も適切な助言をいただきました。1997年にはオランダのWFNS学会でご家族と共に直接お会いする機会をいただきました。私としてはあまりにも辛いインド料理をご家族と和気藹々とご一緒させていただきました。Sundt先生、Piepgras先生、Sehker先生ら、現在ではLegendの先生方とご一緒に働かれている様子をヴィヴィッドにお話しいただきました。その国際性あふれる脳外科医のお姿は、非常に眩しく、そうした森田先生の生き様にまさに憧れを抱き精進を心に誓いました。その後1998年に東京大学に講師としてお戻りになられてからは、さらに濃密なご指導をいただき、その後私自身もMayo , Cincinnatiでfellowshipを経験する道を開いていただきました。この頃mayoから出されたISUIAの論文が国際多施設共同研究の課題を将来に投げかけることとなりました。結果的にこれがその後のUCAS studyへの導線となり、現在のEvidence-based medicineの実現化に発展するとは当時は全く想像できませんでした。Steve Jobsの言うところのconnecting the dotsとはこのようなことを言うのだと思います。

米国留学後も東京大学にて引き続き熱いご指導を賜りました。頭蓋底外科を応用した脳底動脈瘤手術、Brain machine interfaceの一種であるABI手術, robot手術研究に関しては、正に森田先生のお陰で経験を積ませていただきました。私の現在の脳外科医としての軸を授けていただきました。心から感謝いたしております。

まだまだ多くの若者が、森田先生のご指導を必要としているのではないかと感じます。場所とcommunityは変化していきますが、変わらぬご指導を賜りたく存じます。森田先生には健康に留意され、ますますのご活躍を祈念いたします。