医師として同じスタートラインから
東海大学名誉教授
医療法人社団三喜会
横浜新緑総合病院院長
松前光紀先生
森田明夫先生は1982年に東京大学を卒業され、すぐに東京大学脳神経外科に入局されました。そして東大医局のローテーションで最初に新宿の国立病院医療センター(現国立国際医療研究センター病院)に来られました。ちょうど私も同じ病院へ就職し、奇しくも森田先生と私は、医師としてさらに脳神経外科医としてのキャリアを同じ場所からスタートしました。私たち二人は、4人のベテラン脳神経外科医の指導を得て、臨床医としての在り方を学び、穿頭術、開頭術、気管切開、腰椎穿刺、気脳写、血管撮影などの手技を習得しました。指導をしていただいた先生の中で私たちに一番近い年齢の方は、14年上の先輩で、当然採血などの業務は新人二人の担当でありました。週明けにはほとんどの患者さんに採血オーダーが出ており、二人で「ぶつぶつ」言いながら、早朝の病棟を駆け回った記憶があります。有意義な病院生活でしたが、それを一層充実させたのが、病棟スタッフとの交流でした。仮装して参加した院内リクリエーション、東京湾でのビアクルーズ、富士山麓へ行った職場旅行(写真)など、いくつもの思い出が蘇ってきます。その後、森田先生は東大の関連病院と医局に戻られ、有名な日本脳神経外科学会主催研究UCAS Japanで、未破裂動脈瘤の自然歴を明らかとされました。私達脳神経外科医にとって、それまで自分の経験と感性で、外来患者さんに説明してきた内容を、根拠がある数字で示せるようになったことは大きな進歩でした。森田先生は、世界脳神経外科連合の事務局長や日本脳神経外科学会の理事に就任し、さらに海外活動の集大成としてメイヨークリニック脳神経外科のチーフレジデントを務められるなど、私とは異次元の世界で活躍されました。帰国後は学会で会うたびに森田先生から食事の誘いを受け、同じスタートラインに立った仲間として迎えてくれたといつも感謝しております。森田先生は食通として有名です。横浜野毛のディープな居酒屋など、いわゆる居酒屋百選に登場しそうな貴重なお店に誘っていただき、そこに杏林大学塩川先生も加わって楽しい時間を過ごしました。お店を探索することもお得意ですが、料理を作る腕前も一流だと聞いております。脳神経外科医を完全に引退した後、オーナーシェフとして腕を振るわれる先生の姿が想像できます。その他、卒業年度が同じということで数々の思い出があります。
脳神経外科主任教授を立派に努められ、優秀な人材を輩出されたことに敬意を表し、退任記念のお祝いとさせていただきます。
森田先生と
7北病棟の出し物