森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

森田明夫教授のご退任に寄せて

埼玉医科大学総合医療センター脳神経外科

大宅 宗一先生

私が衝撃を受けたあの患者の行動を目撃したのは1998年の秋でした。それは森田先生が米国から東大脳神経外科へ病棟医長として赴任されたばかりの頃で、私は病棟研修医の1人でした。森田先生がtranslabyrinthine approachにて摘出した巨大聴神経腫瘍の患者が、手術の翌朝自分でベッドから身を乗り出して頭を下げ、ベッドの角度を変えるあのくるくるハンドルを自分で回して角度を調整していたのです!(当時はベッドの角度調整は手動式でした) あれだけ大きな聴神経腫瘍摘出の翌朝にこれだけ元気だなんて、森田先生の手術はすごいと心底驚いたことを覚えています。森田先生からは米国時代の苦労話をいろいろお聞きしましたが、「病棟からの電話を受けたらとにかく"I'll be there"といってそこへ行く、それを続けると信用してもらえるようになる」との教えは、自分がアメリカで臨床フェローをしたときも実践し、本当にそのとおりだと実感しました。

また私は森田先生から、「現状に満足せず常に新しい視点をもち好奇心を持ち続けること」の重要性を学びました。東大手術室のぼやけたブラウン管モニターで森田先生が立ち上げられた内視鏡下手術は今や頭蓋底外科必須の技術となり、東大脳神経外科臨床の主流となっています。内視鏡固定装置やロボット手術の開発、UCAS studyほか一連の動脈瘤研究の金字塔、これらのご業績はきっと他の方々も触れられるでしょうから私からはより個人的な思い出をご紹介いたします。

これら脳神経外科学の歴史に刻まれる業績を収められた森田先生ですが、後輩から非常に親しまれるお人柄のエンターテイナーでもあります。例えばいつもわれわれは国内外のレストランの選定はぐるなびより"もりなび"を利用させていただいております。また2022年12月にインド学会でご一緒した際に観光に出かけたアーグラの町では、なんとか商品を買わせようと地元の百戦錬磨の商人たちが森田先生に襲いかかりました。その中で、使用法不明の高価な大理石の象をハゲタカの眼で売りつける店主が森田先生を追い詰めました。森田先生も何とか振り切ろうとします(Figure 1、矢印がそのelephant)。その攻防をオーディエンスのわれわれも大いに楽しみ、最後は結局買わされ、店主も森田先生も全関係者が満足したのでした(注:森田先生の奥様には未確認です)。

そして私が森田先生を心から尊敬するエピソードがあります。東大病院で、長期間意識のない状態で経過していた終末期の小脳悪性腫瘍の患者さんが、ある日の深夜2時ごろいよいよ状態が悪化しました。ご臨終直前にご家族が取り乱され「森田先生を呼んでください!」と何度も叫びました。急変でもなくご家族も納得していたはずのこの状況で、深夜にご自宅の森田先生にお電話することは憚られました。しかし報告だけはとお電話すると、先生は「電話ありがとう。すぐ行くよ」とおっしゃいました。そうです、先生はどんな立場になられても"I'll be there"のお方でした。森田先生、ご退任誠におめでとうございます。先生にご指導いただいたことはたいへん幸せでした。


Agraにて