森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

森田明夫先生との思い出
それは2012年、マイアミから始まった

日本医科大学大学院医学研究科 救急医学分野 教授
日本医科大学付属病院 救命救急科 部長

横堀 將司先生

森田明夫教授、10年間もの長きにわたり、日本医科大学脳神経外科主任教授のお勤め、大変お疲れさまでございました。森田先生が日本医科大学に赴任されてから、長年の臨床、研究、教育へのご尽力で、日本医科大学脳神経外科学教室、そして本学の発展に大きな貢献をなされましたことに、心より敬服いたします。

先生のご退任記念寄稿文の執筆の機会をいただき、大変光栄です。では、せっかくの機会ですので、森田教授との初めての出会いから振り返ってみたいと思います。

もう10年も前になります。私は2010年から3年間、米国マイアミ大学の脳神経外科に留学しておりました。その頃のマイアミ大学には、脊髄で有名なDr Greenや頭蓋底のDr Heros、Dr Morcos、外傷のDr Bullockがおられました。私はBullock Labで、当時流行っていたBrain microdialysisの研究を行っていました。
ちょうど2012年にマイアミでAANSがあり、日本からも多くの脳外科医の先生方にお越しいただきました。その際、AANSのguest speakerのおひとりに森田先生がおられ、御遊説の際にマイアミ大学脳神経外科を訪問してくださったのです。森田先生といえば、そのころからUCASのお仕事でNEJMにアクセプトされた御高名な先生で、本当に雲の上のお方でした。私はその時分、ラボでずっとネズミと格闘していたのですが、そのようなところの隅々まで見学に来てくださったときは、本当にうれしかったのです。
そのあと、ぜひ夕ご飯を共にとお誘いいただいて、同じく防衛医大脳外科からマイアミに留学していた戸村先生とご一緒させていただきました。アルゼンチン・ビーフそしてワインが飲み放題の素敵なお店です(写真:このころはわたくし、まだ、ほろ酔い程度)。

私は、それはもう、うれしくてうれしくて。

案の定、ワインをがぶ飲み。記憶をなくすほど飲んでしまい、朝起きると自宅におりました。気が付いたら崩れ落ちてテーブルに頭をぶつけ、同僚に担がれて帰ったようです。

翌朝、慌てて、ごちそうになった御礼と無礼極まりない粗相のお詫びの電話を森田先生にしたことを、今でも昨日のように覚えています。
先生はご帰国の前でしたが、やさしく笑って『ぜひ、ひきつづき頑張ってくださいね』と、私の留学に激励の言葉をいただきました。涙が出そうでした。


写真:2012年、マイアミの夜。中央は森田教授。一番右がわたくし。

私は、思わぬ失態をしでかしてしまい、いつか脳外科総会などでお会いしたら、必ずや拝眉の上お詫びしようと思いつつ、2013年に帰国。

翌年、まさか一緒の大学で働くとは。

森田教授との劇的な(?)出会いのそのあとも、森田先生は、いつも私や私共、救命救急科の脳外科班のことも気にかけていただき、懇意にしていただきました(写真)。


写真:救命救急科脳外科班と脳外科先生方のお食事会@ボーリージャ。たしか救命科金谷君と脳外科久保田さんの脳外科専門医祝勝会だったような。

日本医大の神経系基礎・臨床分野がそろったNeuroscience seminarやストロークカンファも本当に勉強になりました。森田先生のロボティクス研究やSAH⁻Flora研究など、先生のリサーチマインドにも触れ、若手の皆が刺激を受けることができる多くの機会をいただきました。そのあと兆徳の二階の座敷で神経系の教授陣が集まり、皆で飲んだのも本当によい思い出です。本当に『コロナなんかなければいいのに』と、今でも思う毎日です。


右から、森田教授、木村和美脳神経内科教授、横田裕行救命救急科教授、松元秀次リハビリテーション科教授(当時)。2020年3月、横田裕行先生ご退任の時の慰労会

飲み会の際はいつもですが、森田先生の美食家ぶりには目を見張ります。自ら包丁を握ってお料理をなさるときの心得や、お寿司を握るコツなど、面白いお話を伺いながら日本酒やワインを飲むのも本当に楽しいひと時でした。

まさに、料理も医術も手順が大事、ですね。
綿密な手術のプランニングや、こまやかな研究プロトコールの立案などにも秀でておられ、多くの輝かしい業績を残されてこられた森田先生だからこそ、きっと料理もお得意なのだろうなあ、といつも感心してしまいます。

改めて今、先生との思い出を振り返りますと、先生がご退任なさるのは本当にさみしい限りです。しかし、今まで大学院研究科長などの要職として本学を支え、さぞかしご多忙であられたと拝察いたします。どうかおだやかで健やかなセカンドライフをお過ごしいただけますようにと、心より願っております。

そしてこれからも、日本医科大学脳神経外科の皆様への愛情あふれるご指導と同様に、私共、日本医科大学救急医学教室の脳外科班のことをも引き続き気にかけていただけましたら、私共一同、この上ない幸せです。

最後に、で恐縮です。
私、お酒で失敗しないよう、これからも気を付けて参ります。
でも、これに懲りずに、機会がございましたら、またいつでもお呼びつけ下さい。
どこからでも、馳せ参じますので。

2023年新春を迎えて