森田明夫教授ご退任に寄せて
東京大学医科学研究所 先端がん治療分野
東京大学医科学研究所附属病院 脳腫瘍外科
教授
藤堂 具紀先生
森田明夫先生と初めて個人的にお知り合いとなりましたのは、森田先生が米国脳神経外科レジデントの最中、George Washington大学病院(GW)で頭蓋底外科の専門習得されるためにワシントンDCに滞在されていた最中でした。私は当時Georgetown大学留学のため渡米したばかりで、医局の3年先輩が同じ町にいらっしゃることを知り、図々しくもご連絡しましたところ、森田先生はすぐにSehker先生の手術を見学する機会を設定して下さいました。その際GWでお会いしたのが最初です。一旦Mayo Clinicに戻られたのち、森田先生はGWのfacultyとしてワシントンDCに正式に赴任され、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂きました。しばしば週末に森田先生のお宅に家族で突然押しかけて、森田先生や奥様の手料理とたくさんのワインをご馳走になりました。森田先生と奥様には随分とご迷惑をお掛けしたと思いますが、今から思い返しますと、人生で最も楽しい時期だったかもしれません。森田先生が講師として東大にお戻りになると伺った時、折角米国で脳神経外科医として活躍できるのに、一体なぜ?と思ったものです。しかし、この時の出会いがきっかけとなり、その後ボストンに異動した私自身も、米国でのキャリアを捨てて東大に戻り、森田先生のご指導を直接受けることになりました。振り返りますと、私の人生は少なからず森田先生の影響を受けて現在に至っております。
日本で脳神経外科専門医を取得したあとに、Mayo Clinicでレジデンシーを最初からやり直して米国脳神経外科専門医となり、当時頭蓋底手術の世界的権威であったSehker教授に腕を買われてGWで脳神経外科facultyに就任されたことだけでも、大変なご功績であり、才能はもとより異文化異言語の土地での絶え間ないご努力と忍耐の賜物と推察致します。手術の腕が良い脳外科医は少なからず存在しますが、臨床力の根幹に、経験に加えた学問と知識がある。常にresearch mindで臨床に向かい、一方で、患者を手術対象ではなく、ひとりの人間として対峙されていました。このようなご姿勢がNew England Journal of Medicineをはじめ輝かしきご業績に結びついていることは申すまでもありません。
私はよく、森田先生は、車で信号にさしかかるとそれまで赤だった信号がちょうど良いタイミングで青に変わるようだと、運の強さを冗談めかしておりましたが、もちろん本当は運ではなく、まるでそのように見せる実力の高さとご努力、ご人望の結果であることは疑いようがありません。臨床でも人生経験でも全面的に信頼し心より尊敬する先輩です。日本医科大学をご退任されたのちも、引き続きのご指導を賜りたいと存じます。