森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

師弟と友情

Duke大学教授

福島孝徳先生

森田明夫先生は今から40年も前、1982年から2年間の初期研修医を東大病院にて終了し、1984年に私が主宰する三井記念病院脳神経外科に後期レジデントとして赴任しました。当時、福島孝徳三井スクールは最盛期で年間365日、厳しい猛烈、特訓を行っていました。当時、年間手術症例650件、福島関連施設(全国15カ所)で 350件と年1000人手術と言う世界でも、最も多忙な脳神外科One Man Schoolになっていました。森田先生も覚えておられると思いますが、当時の福島ドクトリンの基本は以下の如くでした。

① 原則24時間病院勤務、朝昼晩に患者さんを診る。
② 帰宅を週一回とする(福島は月一回)。
③ 抜き打ち夜間回診、カルテを毎日詳しく記載、手術レポートはイラスト付き。
④ 皮切は20ミリ〜30ミリの範囲で決定、1ミリ過ぎたら傷害罪。
⑤ 骨孔はDime Size(Dime coinが消毒してある)
⑥ 赤血球を出さないクリーン手術。
⑦ 指先の振戦禁止、片足(可能ならつま先立ち)手術。
⑧ 椅子は使わない、Free Hand のMicrosurgery
⑨ 福島器具、300本をしっかり覚え、鍵穴式に器具を立てて使用する。
⑩ 三井脳外科、日本一、世界一,と月例の飲み会で言わせる。

後期レジデント終了、学会専門医取得後、米国メイヨークリニックへの留学希望があり、私自身の恩師Thoralf Sundt教授へフェローシップの推薦状と紹介をしました。森田明夫先生は米国でも最も過酷なメイヨーレジデント奴隷修練を7年も耐え抜き、日本には他に居ない、米国脳神経外科の正式Board Titleを有しています。その後George Washington大学での頭蓋底助教授を経て9年の米国臨床生活後、日本へ凱旋し東大脳神経外科の準教授となったのです。
森田教授は真摯、真面目そのもので温厚なパーソナリティです。猪突猛進の織田信長的福島とは異なり、私自身も森田教授の人柄に学ぶ点が多々ありました、森田教授は、臨床も研究も一生懸命、精進しますが、何とも、政治力がなかったというか、現在の魑魅魍魎の脳神経外科学会理事会にそぐわない良い方です。
添付写真(1) 1985年、ピッツバーグ大学のJannetta教授が三井記念病院のオペ室を訪問された時、写真(2 )森田先生がメイヨークリニックでChief Resident時の記念写真,Thoralf Sundt夫妻とともに、写真(3 ) 2020年1月の第108回日本脳神経減圧術学会において会長招待で講演した時の師弟と友情の記念写真です。
福島先生は本年81歳になり、まだ現役で働いています。そろそろ日本へ凱旋とも考えています。
森田明夫先生はまだまだ若い!今後のさらなるご活躍と発展を祈念しております。
ガンバロウ!!

写真1 三井記念にて、Pittsburg大学Peter Janetta先生と

写真2 Mayo ClinicにてSundt先生ご夫妻と

写真3 MVD2020にて ランチョンセミナー後