Dr. Akio Morita as Father of My Microneurosurgery
日赤医療センター 脳神経外科
木村 俊運先生
森田先生、教授職、お疲れ様でした。日本医大に移られた後、Last author;Akio Morita, Nippon Medの論文を見ると、ちょっと悔しい気分になったものでした。せっかくの機会をいただいたので、いくつかのエピソードとともにお礼を述べたいと思います。
まず、脳外科手術に関して、頭蓋底をはじめ様々なアプローチとその考え方、一流の手術を間近で見せてもらい学ばせていただきました。自分が教えなければならない立場になって、例えば「前錐体アプローチをどうやれば経験させられるか?(いや無理だろ)」など悩みは尽きません。結局、リカバリーできる技術的な裏付けがないとできないわけですが、どうすればいいんでしょうね。
関東病院での最初の頃('06)に、顔面痙攣の手術で、余分な骨蝋が開頭野の端に残っているのをご覧になり「一流の術者は、そういう雑なことをしない」とガツンとやられたのをよく覚えています。
『神は詳細に宿る』だと思いますが、「こんなもんでいいだろう」という、その頃なりの慢心に気付かれたんだと、今でも反省しています。
'07年の巨大血栓化椎骨動脈瘤の方(ECA-RA-P2)など、今ならもっと上手くできるのにと思う方が何人かいますが、あの時も多分、先生はそうとう我慢されたのだろうなと思います。
動脈瘤といえば、フレイルのある巨大血栓化MCA動脈瘤などで目論見が外れ、深夜を過ぎてから、saphenous veinを採っていただき、MCAの壁を再建したこともありましたね。「諦めたらそれで試合終了だよ」という、そう、僕にとって森田先生は安斎先生(@スラムダンク)のような存在な気がします。24時間越えで結果も悪かったですが、中途半端な手術が一番トラブルを招くことを教わりました。
また、しばしば(とりあえず手術がしたい)と思っていそうな若手に「親だと思えよ」と仰っていましたよね。自分の家族だと思って、自分のできる最高の手術をしろということですが、今は、実際には適応を含めて「奥さんの親だと思って」くらいがちょうどいいかなと思ってやっています。
技術繋がりですが、「木村、すまん。あさって(or 1週間etc)、学会があるんだけど、この前の手術、編集できる?」という、学会発表ビデオの無茶ぶりが何度もありましたよね。それって、急に決まったことじゃないですよね?と思いながら、当時mini-DVだったと思いますが、編集技術も随分鍛えられました。
厳しい中にも優しさがあり、それに甘えさせていただいた6年でした。またいろいろご相談させてください。