森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

森田明夫先生と持続する志 ご退任に寄せて

厚生労働省労働保険審査会委員

植木敬介先生

森田明夫先生、ご退任おめでとうございます。そしてありがとうございます。
同期で脳神経外科を選んだのは8人でしたが、森田先生とはまず大学の研修医として4ヶ月一緒に仕事をする機会がありました。今では考えられないような「研修医部屋」とは名ばかりの病棟の一角で、シーツも交換されない軋むベッドを時には分け合いながら日々の業務に追われ、いろんなことを話しました。その頃から「いつかはアメリカにいって臨床をやろう」という志を共有し、忙しい中、なんとかECFMGの試験をくぐり抜け、森田先生は一足先にMayo Clinic へ飛び立って行きました。その後2年くらい経って、私も機会を得て、同じくMayoでFellowとして臨床の経験をすることになりましたが、その時は森田先生に本当にお世話になりました。
 当時から、森田先生の志は「難しい手術ができる一流の脳神経外科医になること」だったと思います。その志のために、森田先生はできることを全て、持続して、やり続けてこられました。これは本当に稀有な能力であり、意志の力だと思います。左手で箸を使い、道具にこだわり、練習を怠らず・・ 「天才が本気になった」という、「YAWARA!」に出てくる滋悟郎さんの言葉がありますが、まさにそんな感じだったと思います。George Washington University から東大に戻られ、日本医科大学に赴任されましたが、その間数多くの日本の脳神経外科医に影響を与え続けてこられたと思いますが、おそらく森田先生から最も学ばなければならないことは、それぞれ持っている才能を開いていくためには、持続する志がもっとも重要なことである、ということではないか、と私は感じています。それをずっと続けてこられたことに、心からのお祝いとお礼を申し上げたいと思います。
 お酒と美味しいものが大好きで、それを通じて(?)国内外に沢山の友人を作られていたこともとても大事な森田先生の功績でした。ロシアのウクライナ侵攻という、悲惨な歴史を目撃している我々は、様々な国に友人を持ち、理解し、交流を続けることがいかに重要なことであるのか、を知らなければいけません。脳神経外科医にできることは限られるかもしれませんが、それでもできる限り交流を持つことは大事なことです。戦争を経験され、集団疎開なども経験された故高倉公朋教授がコングレスの講演で、国際的な交流がいかに大事なことであるか、を語られたことは、強い感銘と共に記憶に残っていますが、森田先生もきっとそういう思いを体現し続けてこられたのだと思います。これからもきっと何をするにしてもそれを続けられることと思います。頑張ってください!
 森田家とはRochester Minnesotaで家族ぐるみのおつきあいでした。娘二人も大きくなりましたが、そのうち是非reunion しましょう!