森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

何かご縁があるなと

日本医科大学付属病院脳神経外科

村井保夫先生

数年前の東京ドームホテルや昨年の頭蓋底外科学会でのSekhar LN教授ご講演などから、森田教授とSekhar教授の特別なご関係は、皆様ご存知だと思います。私がSekhar教授のUniversity of Washington来訪の機会を頂いたのは森田教授日本医大赴任の何年も前のことでした。上山博康部長の旭川赤十字病院手術室には、来訪者記帳があり、私の旭川留学前に森田教授も記帳されてました。福島孝徳先生のお弟子さん?の一人でもありますが、私も福島先生に米国で数ヶ月お世話になったことがあります。皆さんが巨人だから重複したのでしょうか? また、手術の趣向が重なっているようで微妙にずれていたのも私には幅が広がったという意味で幸運であったと感じています。

『手術の思い出』

小脳AVMで術中止血困難となった症例がありました。私が森田教授の助手をさせて頂いた最初の頃の症例です。長時間となり、一時的に私が変わって休憩を取って頂いたのですが、休憩後は一気に手術が進みました。短時間にご自分の引き出しを開けてプランを練ってこられたのだと思います。M1のLSAを含む巨大動脈瘤の手術で、clip掛け替え中にMEPが消失したことがありました。何度も掛け替えたり、ヘパリンフラッシュで血流再開し、MEPが改善したときの森田教授のど派手な『ガッツポーズ』を大変印象深く覚えております。これら患者さんに執念というか強い責任感を感じた瞬間でした。私は日本医大医局員の中で(もしかしたら東大脳外科先生方よりも)、最も多くの手術を一緒に手洗いする機会を頂いたものの一人です。一方で、私の外科医としての能力の限界を最も見透かしているのも森田教授だと思っています。

『新しいものへの興味と取り組み』

学会へ参加され、新しいものを取り入れることが少なからずありました。『学会で○○先生が、こんな話をしてたから、やってみようか』という感じ。一方で、『学会で○○先生が、こんな話をしてたけど、あれはどうかな〜?』ということもあります。私も、『ライザップ』のように、森田教授のお眼鏡にかなう『信頼される外科医』になりたいものです。

お酒もお好きでグルメな森田教授。頭部顔面外傷!?を含め、ご健康にご留意され、今後もご活躍されてください。当院ではちなみに、CSDHは、若手の手術です。コロナ後の『学外』での宴会、私も何してるかわかりませんが、楽しみにしています。