森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

森田教授との思い出

日本医科大学武蔵小杉病院
脳神経外科

田原 重志先生

森田教授、長い間ご苦労様でした。先生とは約10年程度のお付き合いでしたが、あっという間というのが正直な感想です。
先生が日本医科大学に移られたのは2013年1月だったと思います。その時、私は医局長を務めておりました。最初、他施設からの就任ということで、医局員全員が戦々恐々としていましたが、我々の目線に立って話してくださったので、皆安心しておりました。また、飲み会などでも最初から医局員や病棟の看護師に自然に溶け込んでおられました。初めて先生とお話しさせていただいた時にも、「なんでも協力するから!」という言葉をかけていただいたことは今でも覚えております。
また森田教授は、手術で頼りになる存在でした。私は下垂体腫瘍に対する内視鏡下経鼻的手術をsubspecialityとしていますが、先生が赴任されてから高難易度の頭蓋底腫瘍に対する経鼻手術が急増しました。そのような症例を私が執刀し、苦労している時にも適切なアドバイスをいただき、時に実践的に教えていただきました(写真は巨大PitNETに対する開頭経鼻同時手術の風景です。開頭側が森田教授、経鼻側が筆者。)。経鼻手術は術野が深いことで有名ですが、いきなり深部の術野に入り、迷うことなく手術操作をされる姿にはよく感心いたしました。
先生は、非常にバイタリティがあり、手術だけでなく医療機器の開発にも熱心でした。私が普段から愛用している内視鏡固定具のエンドアームは元々森田教授が開発に携わっていたと伺っていました。私個人として最初は不満な点もあったのですが、使っていくごとにその良さがわかってきました。肩、肘、手関節を再現した道具で、かゆいとことに手が届くといった印象でしょうか。
最後に先生と食とは切っても切れない縁があると思います。自分で料理もされますし、いわゆるB級グルメにも造詣が深い印象です。以前名古屋での神経内視鏡学会の際に、名古屋飯の代表である味仙(台湾料理)から名古屋大学のチームと合流し、ホルモン焼きの梅田屋をハシゴしたことが思い出されます。
今後、私が先生の領域に近づくことは難しいと思いますが、先生と同じく若手の医局員から信頼される存在になりたいと思っております。
最後に、森田教授に心から感謝申し上げます。