森田明夫のやってきたこと 1982〜2023

森田 明夫 先生のご退任に寄せて

杏林大学脳神経外科

塩川芳昭先生

森田 明夫 先生、ご退任おめでとうございます。

先生とは同門の同年齢・同学年ということで、いろいろとお付き合いをさせていたいております。この東京大学脳神経外科1982年卒業世代(敬称略)は植木、岡田、川原(2016年逝去)、塩川、篠浦、森川(2010年逝去)、森田、脇谷の計8名がおり、学生時代はこのメンバーはそれほど深いつきあいがあった訳ではありませんが、専門医試験の勉強会(1989年)を契機に相互に人となりなどが良く分かるようになりました(専門医試験の功罪)。

森田先生と今のような呑み友達関係になるとは全く予想していませんでしたが、彼の極めて高い能力を知るようになったのはMayo clinicの長い留学からの帰国後でした。自身のSweden留学からの帰途にRochesterに一週間ほど立ち寄って毎朝5時出勤のレジデント生活に密着させてもらいましたが、持ち前の性格・能力を十分に発揮して病棟を仕切っている様子に同級生ながら大したものだと敬服した次第です(本人によれば、彼でも言葉の壁を克服するまでは相当の苦労があったようです)。脳神経外科医として国内屈指の彼の国際性はその努力・経験の賜物と近くで見ていて認識しました。

若い世代は、森田先生というとUCAS JapanのNEJMがあるので未破裂動脈瘤の専門家というイメージが強いようですが、留学後半からの頭蓋底外科修練は、今や当該領域の本邦第一人者となり頭蓋底外科学会理事長も担当している腕自慢の脳神経外科医といえるでしょう。その片鱗は学生時代から美術サークル(鉄門踏朱会)で活動していたことからも窺え、今でも(私はこの領域は音痴ですが)絵画や陶芸を嗜まれているようです。また、料理についても造詣が深いらしく、呑み屋でもしばしば板前さんと魚の捌き方などプロと楽しそうに会話する場面が良くあります。添付の写真は、私の病没した先妻の納骨日(葬儀が2013年の脳神経外科総会期間中だったため)に集まってくれた友人達とのワンショットです(彼の選んでくれた浅草の呑み屋であることが三社祭りの提灯からもわかります)。同じく82年卒の川原(左端)、谷口(83年卒、右から二人目)、堤(84年卒、右端)の三名が既に鬼籍にはいっているのが残念でなりません。人のことは言えませんが、森田先生には飲酒量に留意され、奥様孝行とますますのご活躍を祈念いたします。