森田明夫先生―新たな地域資源としての人材
社会医療法人(社団)陽正会寺岡記念病院
会長
寺岡 暉先生
私は、東京大学脳神経外科での勤務を終えたのち、獨協医科大学(脳神経外科助教授)、都立駒込病院(脳神経外科医長)を経て、1977年(昭和52年)、郷里の広島県福山市新市町の寺岡病院にて脳神経外科を開設した。広島県は、保健医療計画上7つの「医療圏」(正しくは「保健医療圏」に分けられ、わが病院は「福山・府中保健医療圏」(人口約51万、以後「医療圏」)に所属する。この医療圏の特徴は、福山市を中心とする都市部が中山間地域と称される高齢過疎地域に取り囲まれていることである。私が開業したころは、未だ高度先進医療を地域に導入することが、ある意味では、持て囃される時代であった。
振り返ると、わが病院に脳神経外科を開設して日が浅い昭和58年7月に東京大学医学部卒業(1981年、昭和57年3月)後間もない森田先生が東大脳神経外科より派遣されてきた。この時わが生涯最大の危機が私自身の体と病院に起こった。59年2月手術中の感染によってB型急性肝炎に罹患したのである。しかも数値上激症肝炎であり、医療スタッフは救急ヘリまで用意し、最悪の事態を観念した。その時の脳神経外科の診療を担当していたのが、森田明夫先生と故上田祐一先生(当時獨協医科大学脳神経外科助教授であったが助っ人として若い森田先生を支えてくれた)である。もちろん東京大学脳神経外科の支援で多くの教室員が入れ替わり立ち代わり助けてくれたことは言うまでもない。
手元に平成8年(1996年)11月発行の「寺岡記念病院開設50周年記念誌」がある。当時、米国ミネソタ州、Mayo Clinic Chief Residentを務めていた森田先生の特別寄稿も掲載されている。
寺岡記念病院の救急診察室には、病院の医療理念とスローガンが掲げてある。
理念:トータル&シームレスケア―全人的で切れ目のない医療提供の推進
スローガン:保健・医療・福祉の統合とネットワーク形成による新地域医療の実践
である。これは、森田明夫先生との臨牀で(もちろん病院全スタッフの共同で)生まれた言葉である。
森田先生が、大学での研究と国際的な経験を総合的に生かして4月から寺岡記念病院に「高齢者健康医学研究センター(TERAOKA Geriatric Health Research Center)(案) を設置し、新時代の地域医療における病院運営に新な力を注いで下さることを願っています。