思い出すこと
東京大学名誉教授
桐野高明先生
森田明夫先生が東大脳神経外科に講師として赴任して来たのは、1998年の秋でした。森田先生は米国メイヨークリニックに臨床フェローとして留学、チーフレジデントを勤めた後に、ジョージワシントン大学で頭蓋底外科の経験を積んでいました。その当時、東大脳神経外科の講師人事に関して、同門の先輩からの推薦を受けるということをやっていました。森田先生には複数の関連施設責任者からの強い推薦があり、ぜひ日本に帰って来てほしいという当方の希望を伝えました。その当時の恵まれた米国の環境を捨てて日本に帰ってくるというのは、大きな決断であったろうと思うのですが、彼は日本への帰国を選択してくれました。森田先生が帰国して、最初に会ったときに、私は彼にこれから日本では何をやりたいのか、と聞きました。彼は言下に、米国でやってきた頭蓋底脳外科を引き続きやりたい、また是非よい臨床研究をやりたいと言いました。その当時、脳神経外科だけではなく、日本の臨床医学全体に、しっかりした臨床医学の論文が少ないこと、特に英文一流紙にそのような研究が出せていないことが大きな問題であり、その当時の課題でもありましたので、彼の希望することは、我々としても是非実現していただきたいことでもありました。もちろん、森田先生の臨床面での活躍が大いに期待されていたことも、言うまでもありません。
脳動脈瘤はくも膜下出血の主要な原因であり、ひとたび出血を起こすと、致死率の高い疾患として知られていました。未破裂脳動脈瘤は、日本では年間約1%の率で破裂を起こし、約半数が死に至ると考えられていたために、破裂をする前の治療が推奨されていました。しかし、1998年に、米国から未破裂脳動脈瘤はほとんど破裂せず、未破裂脳動脈瘤の手術を行う意義はないという論文が発表されました。これは日本での経験とは異なり、日本においてしっかりとした臨床研究を実施し、反論する必要がありました。そこで、東大脳神経外科が中心となって、全国的な調査研究をおこなうことになったのです。この研究の中心的研究者として、研究の全ての面にわたって責任をもって実行したのが、森田先生です。この研究は大変優れた結果を残し、UCAS Japanの研究としてNew Eng J Medに掲載されました。研究開始から論文になるまで、10年以上の歳月を必要とした研究です。臨床研究というものをよく知り、またその価値がわかっている森田先生のような人物でなければ、この研究を長期にわたって持続することはできなかったと思います。
森田先生の日本に帰国したばかりのころの言葉を思い出し、彼は帰国当初の初心を貫徹したんだな、と思い出しています。