規制の虜を読みました

はじめに

黒川清先生が執筆された「規制の虜」という書籍を読みました。東日本大震災に伴って発生した津波によって、全電源喪失を起こし炉心の融解が起きた福島第一原発の事故の調査をする、国会事故調査委員会の委員長を勤めた際のことが書かれています。

私が受け取ったメッセージ

前半は、過去になかった国会事故調査委員会の立ち上げ、組織運営の開始方法など手探りで進めてこられたことが記されています。かの原子力発電所の事故を単に東京電力や規制当局の怠慢だというようなところに帰結させるのではなく、国民が民主主義を、その権利を実行していなかった事に問題を見出してす。後半にかけてのメッセージは、日本のつよい同調圧力、出る杭を打つあるいは空気を読むことを求める、そういった国民性が、東京電力・政府・規制当局の官僚・御用学者に成り下がっているアカデミアの暴走を許したとの分析から、国民の政治への参加を促すような主張になってゆきます。特定の個人が(悪意による)不作為を行っていたから事故が起きた、という様なストーリーにしなかったところが著者の分析力の鋭いところと感じました。

福島第一原発の事故のことは私はそういう分析をしていませんでしたが、国の大きな政策は結構国民の表面的な意向あるいは空気を読んでいると言いますか、民意で動くところがあると思っていましたので、この書籍の分析は興味深く拝読しました。

規制の虜って?

規制の虜と言う意味は、規制当局つまり本来は規制する側より私企業(規制される側)の方が、その業界の専門知識や情報でリードすることにより、規制当局側が企業側にいろいろな物を依存することになり、規制が機能しなくなることを指します。原子力発電を実施している東京電力側には、原発にまつわる情報がノウハウが集積してゆく。一方、規制当局は原発を触ったこともない人が手続きとして規制を実施する。当局が企業の言いなりになってゆくことになりました。

私の米国での体験

この書籍を読みながら思い出したことがあります。私が以前勤務していました米国のFood and Drug Administration 通称FDAのCenter for Biologics Evaluation and Research は、主に製薬企業より提出される申請書類を審査してその医薬品の製造販売承認をおこなう組織です。センターの最後にResearchの名称がついていて、規制をしながら自ら研究もしています。製薬企業からすれば、申請資料を提出したら、できるだけ速やかに承認のプロセスを進めて欲しいと考えていることでしょう。歴史的にも、そして、私が勤務している頃にも、企業からResearch部門をカットしてその分少しでも多くの人員をEvaluationに割いて欲しい、そのような申し入れが入っていました。それに対してFDAは、【進化する技術によって生み出される医薬品を審査するには、自らも第一線の一流の研究者である必要がある。】の様な趣旨の反論をしていました。虜にならないためには、つまり、私企業の言いなりにならないためには、自分たちも最新の技術を知っていなくてはならない。そのために、Researchを外すことはできないと言うのです。さすが民主主義では我が国の先をいく米国の役所らしい、鍛えられた物言いです。

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