幻肢と身体像 body image, 身体図式 body schema
- 幻肢は身体のイメージの記憶を前提にしている。幻肢とは、意識の世界で過去になりきれなかったのイメージである。過去から記憶していた身体イメージを、四肢切断後も四肢が失われたことを認知できないでいる高次脳機能の産物である。
- 生理学や心理学では, 経験によって獲得された多種感覚情報 multi-modal sensory representation (視覚, 触覚, 体性感覚) を統合する自己身体の表現のことを、身体図式 body schema や身体像 body imageと呼ぶ。body schemaは、無意識的な感覚の統合構造である。一方body schemaは、身体図式によって統合された後の意識に上る表現を指し、互いに切り離せない概念である。
[Headの体位図式 postural schema]
- Sir Henry Head(P 1861〜1940, イギリスの神経学者)とSir Gordon Morgan Holmes(P 1876〜1966年, ロンドン)が1920年に著した「studies in Neurology」で最初に、body schemaの概念が記載された。
「脳による微妙な姿勢の感知は、われわれに空間内の身体の正確な定位を与えるだけでなく、身体のすべての動きを測定できるようにして、われわれ自身の身体による空間測定を可能にしている。さらにわれわれは運動や空間の概念を自動的に関係づける身体の姿勢についての基本的標準を知らないうちに発達させる。あらゆる認知可能な変化は、意識内部に入り込むとき、以前に進行した何かとの関係をすでに担っている。すべての姿勢の変化は意識に上る前にこの結合された基準に照らして測定される。ゆえにわれわれは図式 schemeという用語を提案したい。位置を絶え間なく変化させることにより、われわれは常に、絶えず変化する自分自身の姿勢のモデルを木築あげている。それぞれの新しい姿勢や動きはこの可塑性の図式に記録され、大脳皮質の活動は、変化した姿勢が誘発した新しい感覚グループをそれぞれ図式と関係づけるものである。」
- 中心後回病巣患者の剖検報告をし、体性感覚は基本的に保たれているが、その強さ、部位、大きさ、空間的関係、立体感覚がわからなくなることを発表した。
(Henry Head, G. M. Holmes: Sensory disturbances from cerebral lesions. Brain, 1911, 34: 102-254. First systematic account of the functions of the thalamus and its relationship to the cerebral cortex. Reprinted in Studies in Neurology, 1920.)
- Sir Henry Headは、「すべての後続する体位変化が意識に上る前に比較されるべき標準」を体位図式 postural schemaと定義した。
[Simmelの幻肢と幻肢痛]
- Marianne L. Simmel (1956) (米国の心理学者、認知神経科学者, 1923〜2010)は幻肢痛と無痛性幻肢のメカニズムは異なり、区別しなければならないと示唆した。
- Simmel, MLはHeadの考えを取り入れ、「身体図式 body schema」が幻肢を創出すると説明した。
- HeadもSimmelも、身体図式は生後学習して獲得したものである。かつては幻肢痛は、幻肢の原型とみなし、幻肢痛が出現すると幻肢を生じると考えられていたが、Simmelは、幻肢痛は幻肢に付属するものであると考えた。
- 幼児期の早期に姿勢、運動および触覚の刺激によって身体図式を獲得し、おそらくほぼ6歳頃にこの図式が安定化する。しかし成長にあわせて身体図式も少しずつ変わり、修正される。
- ハンセン病では、手足の指が次第に失われ、身体図式もそれに併せて手足の指を失っていくので、幻肢は起こらない。
- 四肢切断では、身体図説の集成が遅れて、幻肢が起こる。幻肢の持続は、身体図式の再学習に長い期間を要することを示している。
- 無形成症 aplasiaによる四肢の先天的な欠損があっても幻肢は起こらない。
[Melzackのニューロマトリックス説 neuromatrix theory] ←→ペインマトリックス
- Melzackは1990年に、四肢切断後の幻肢を説明するのに、ニューロマトリックスという概念を提唱した。
- 疼痛は広範に分布した神経ネットワークによって生起した神経信号によって引き起こされる多次元の体験である。
マトリックス=中世以来の医学ラテン語で、「生み出すもの」という意味 |
- 脳の中には身体イメージを"unit"として感じる機構が備わっていて、それを「神経マトリックス」と呼ぶ。
- この機構は、自己を"self"として意識し、他者から区別する。この機構は生来的なもので、生後の経験で修飾されるとしても、遺伝的に脳の中に組み込まれている。
- 正常では外界からの刺激情報がこれに働いていて、正常の身体感覚が生じるが、外界からの情報がなくてもこの機構自体が身体の感覚は感じうる。
- 脳は身体全体に絶えず信号を出し、正常の身体部位はそれに正常に反応する。
- しかし欠損部ではその反応がないため、脳は自身の機構内のselfとしてのその部位を感じる。これが幻影感覚であるという。
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BODY-SELF NEUROMATRIXへの入力 | | | |
BODY-SELF NEUROMATRIXへの出力 |
Cognitive-evaluative
脳からの動的入力
脳からの静的入力
体験、パーソナリティ、予測、不安、うつ |
Sensory-discrinative
体性感覚入力
内臓感覚入力
視覚、平衡感覚、その他の入力 |
Motivational-affective
HPA系、SAM
免疫系、サイトカイン
内因性オピオイド、辺縁系 | |
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Pain perception |
Action programs |
Stress-regulation programs | |
この3つの痛みの様相がニューロマトリックスにインプットされると、そこからアウトプットされた神経サイン(neurosignature)が、多次元にわたる疼痛体験を引き起こすと同時に、行動やホメオスタシスにも影響を与える。
- Melzack(1990)は、幻肢は切断された方の95−100%に切断直後から発生し、幻肢痛は約70%に出現すると記載した。[1PubMed]
- Melzackらは、生まれつき四肢を持たない10歳以上の患者76人のうち15人(19.7%)が6ヶ月以上、持続的あるいは間欠的に幻肢を体験していたと報告した。
- Wikkinsらも同様に、小児のうち2人(17.4%)が幻肢を体験し、そのうち1人が幻肢を持っていたと報告した。先天的に欠損した四肢の幻肢を持つ症例がある。
- ニューロマトリックスは、視床を経由して大脳皮質の体性感覚野へ向かう古典的体性感覚伝導路、脳幹網様体を経由して大脳辺縁系に向かう経路および大脳皮質の頭頂連合野の3系統を包括する。
- 末梢から脳へ送られる感覚入力は、ニューロマトリックスで統合される。そして、神経マトリックスから、脳の他の部分に信号が送り出される。脳のどこかでこの信号が送り出される。この出力は感覚入力の情報だけでなく、それが自分自身の身体が起こっていることを知らせる。ニューロマトリックスからの出力を神経サイン neurosignatureという。
- 正常な場合、末梢から送られてきた感覚入力が、ニューロマトリックスによって分析され、自分の身体で起こった感覚体験、すなわち身体知覚が形作られる。四肢が切断されて外部からの入力が来なくなると、神経腫、脊髄、あるいは神経マトリックスそのものから自発発射が発生して、神経マトリックスの中をインパルスが駆けめぐり、それによって発せられる神経サインが幻肢の知覚を創出する。
- 失われた四肢に対する出力が筋収縮を起こすために、その部位に疼痛を感じるようになる。
- 幻肢が次第に失われるのは、失われた四肢と切断前につながっていた脳のニューロンが身体の他の部分とつながるようになり、神経サインが変わっていくためである。
- 神経サインは、生得的なもので、生まれつき備わっているが、経験によって獲得したものも付加される。この神経マトリックスが幻肢を下支えしている。幻肢はやがて消えるので、神経マトリックスは可塑的である。
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- Simmelは、生後の経験によって獲得した身体図式が幻肢を創出するとしたが、Melzackは、幻肢体験は生まれつき備わった神経マトリックスの活動を反映すると示唆している。この違いを除けば、SimmeilとMelzackの考えに大差はない。
[Ramachandranと幻肢]
- 脳の再構築が幻肢痛の基礎にあるという理論。
- Vilayanur S. Ramachandran(1995)は、視覚映像が幻肢に影響を及ぼす例があることを示した。手作りのミラーボックスを作り、切断していない手の動作を鏡に写し、鏡に映った手が幻肢に重なるようになり、幻肢が思うままに動くことを感じるようになるに、幻肢痛が軽減したと報告した。
[PubMed]*
- 対象となった9名の上肢切断患者のうち、6名で正常な手を動かして鏡に映った手が動くと、幻肢が動いていると感じる運動感覚が起こった。その一人はそれまでの10年間幻肢が動くと感じたことがなかったので、たいへん喜んだ。
- 繰り返していると、この患者が幻肢が永久になくなり、肩の知覚の断端に幻肢が収斂していった。
- この鏡のトリックを使うと、不可能であった姿勢、例えば指の過度の伸展を感じるようになり、一人の患者は幻肢が引っ張られていたくなるのを感じた。
- 5名は不随意的に幻肢の手を握りしめて痛みを感じていたが、そのうち4名は、鏡に映った手を開くと、握りしめた幻肢の手を開きやすくなった。鏡を使わなければ、幻肢の手を開くことができなかった。
- 3名は原則の手に触れると、幻肢の正確に同じ場所も触れられたように感じた。この感覚は鏡を見ていると起こりやすく、1名は鏡を見ている時にだけ感じた。
- MEGにより画像分析した結果、切断された上肢の感覚領域が顔の領域に接近してきた。顔に触れると手の領域が活性化される。
- 失われた四肢に対して「動け」という指令を出すが、動かないという視覚からのフィードバックが作用するために、幻肢が生じると考えた。
中枢神経系の可塑性変化
- 大脳皮質では、上肢切断による脱神経によって上肢の運動・感覚の機能的連絡が途絶えたとき、本来上肢に相当していていた大脳皮質に代わって、これまで潜在化していた身体他部位の皮質間連絡が表面化し、急激な可塑性変化が大脳皮質に生じる。潜在化していた皮質間連絡が顕在化するメカニズムは,局所の抑制性神経細胞の効果が弱まりシナプスの伝達効率が増加することが関与すると考えられている。
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