1851年 | Claude Bernard(P 1813〜1878, フランスの生理学者)がウサギの頸部交感神経を切断すると、耳が温かくなり、血管網が拡張するのを、1851〜1853年の生物学会で詳細な報告を行った。 |
1869年 | Johann Friedrich Horner(P 1831〜1886、チューリッヒの眼科医)が、40歳女性の症例から報告した。病巣は明らかにされていないが、それまで知られていた交感神経の機能から、交感神経障害によると推理した(Klin Monatsbl Augenheilk)。
⇔英語圏では《ホルネル症候群》、フランスやイタリアでは《クロード・ベルナール・ホルネル症候群》と呼ばれている。 |
1889年 | Alexander(リバプール、エディンバラ)がてんかん治療に、初めて頸部交感神経の部分切除を行った。 |
1896年 | Thomas Jonnesco(=Thoma Ionescu P 1860/9/13〜1926/3/28, パリ→ブカレスト Bucharestの外科医)が眼球突出性甲状腺腫(exophthalmic goiter)の治療に星状神経節ブロックを行った。1899年には緑内障の治療のため頸部交感神経切除術を行い、1902年には三叉神経痛、1905年には視神経萎縮症(optical nerve atrophy)、1917年には外頸動脈の血管腫(angioma of the external carotid artery)1921年には同様の手術で狭心症の治療に成功した。その成績を1920年に発表した。1900年にはlumbar sympathectomy、1901年にはsacral sympathectomy、1922年にはperi-arterial sympathectomyを行った。 |
1899年 | Mathieu Jaboulay(P 1860/7/3〜1913/11/4 パリの外科医、Lericheの師匠)が下腹部の痛みに仙骨神経幹を通る求心性神経が関与すると考え、動脈周囲交感神経切除術を行った。高血圧の治療にも、交感神経切除術や動脈周囲交感神経切除術を行った。 |
1899年 | Charles Emile François-Franck(1849〜1907, フランスの生理学者)が頸部および胸部の交感神経幹の切除によって、心臓からの求心性線維を遮断すると、狭心痛が取り除かれるであろうと予言した。 |
1915年 | René Leriche(P 1879/10/12〜1955/12/28, フランスの外科医)とFontaineは、カウザルギーの治療にsympathectomyを推奨した。1次世界大戦の負傷兵の神経損傷後の激しい疼痛の原因は交感神経の過剰活動によるものと考え、動脈周囲交感神経切除術(periarterial sympathectomy)を行った。Lericheは、痛みの外科治療に関する最初の教科書を著した。 |
1920年 | Kotzareff Aが初めて開胸による胸部交感神経遮断術を行わった。片側性の顔面の多汗が消失した。 |
1923年 9月1日 | Norman Dawson Royle(1888/12/24〜1944, シドニーの整形外科医)とJohn Irvine Hunter(P 1898/1/24〜1924/12/10, シドニーの解剖学者) はガンショットによる頭部外傷後の下肢の痙縮性麻痺に苦しむ30歳の第一次世界大戦での退役軍人に、後外側アプローチで交感神経遮断を行ったところ、結果は良好であった。彼らは1924年にニューヨークで開催された外科学会で、42 人の痙縮性麻痺患者に対する「lumbar ramisection」の報告をした。1924年には内臓神経叢(splanchnic plexus)の切断によって高血圧の治療を行った。 |
1924年 7月24日 | Jules Diez(ブエノスアイレス)は閉塞性血栓血管炎の患者に腰部交感神経切除を行ったところ、ドラマチックに血流が改善した。 |
1925年 3月19日 | William James Mayo(1861/6/29〜1939/7/28, Mayo Clinicの創設者、内科医、Charles Horace Mayoの兄)はシドニーのRoyle↑らの病院を訪問し、腰部交感神経切除術の手技の詳細や術後の皮膚血流の変化を聞き、Arthur AdsonとGeorge Brown(Mayo Clinic)に伝えた。MayoとAdsonは下肢の血管攣縮性疾患の治療に、後方アプローチ(posterior approach)で第2胸部交感神経節を切断すると、痛みと循環が改善された。 |
1925年 | Davis and Kanavelは前方アプローチ(anterior approach)で上胸部交感神経幹を切断した。 |
1928年 | Spurlingは、ガンショットによる腋下動脈の部分切断によって生じた上肢のカウザルギーの治療に、星状神経節と第一頸髄神経節の切除術を行った。 |
1954年 | Atkinsは経腋下アプローチ(transaxillary
approach) |
1920年 | Kotzareff Aが多汗症の治療に初めて開胸による胸部交感神経遮断術を行わった。術後、片側性の顔面の多汗が消失した。 |
1969年 | Clowardは背側正中アプローチ(dorsal midline approach)で両側交感神経幹を切除した。 |
1935年 | Telford EDらが鎖骨上窩アプローチ(supraclavical approach, supraclavicular approach)の交感神経遮断術を行った。鎖骨上窩アプローチは後方アプローチよりも痛みが少ないが、神経や血管を損傷するリスクがある。 |
1944年 | Goetz RHとMarr JAS(ケープタウン)が前胸壁からの経胸壁アプローチ(transthoracic approach)で切除術を行った。 |
1984年 | Wilkinson HAが経皮的にfluoroscopicを使って、経皮的胸部高周波熱凝固術(percutaneous thoracic radiofrequency sympathectomy)を始めて行った。 |
2002年 | King-Shun Chuangらは多汗症の治療に経皮的定位的胸部神経節切除術を行った(percutaneous stereotactic thermocoagulation of upper thoracic ganglionectomy and sympathectomy)。 |