はじめに
エンシトレルビルフマル酸(エンシトレルビル)の承認申請に絡んで、承認を申請した塩野義製薬(申請者)や評価を実施している規制当局(PMDAおよび厚生労働省)以外に、学会の提言もだされ、それがニュースになり、ネットでも話題になりました。どういう状況なのか、私なりにデータを整理しながら見ていこうと思います。
ネットの反応
フォロワー数が多く、また私の目で見て過去のご発言や投稿姿勢といった外観上の印象をもとにある程度信頼できると考えている方々の発言をいくつか紹介します。直近の学会の提言や承認にかかる報道からいくつか。
ネットの反応1
はじめはこちらです
日本感染症学会及び日本化学療法学会の共同声明に対する意見です。同じスレッド内に直に公開された一連の文章を一通り引用します
塩野義の薬の承認を促す感染症学会と化学療法学会の提言に驚いています。多くの医者は賛同しないでしょう。塩野義の薬は症状改善に関する主要評価項目について有効性は認められませんでいた。また、この提言の中で塩野義の薬が「呼吸器症状の改善が示されています」と
書かれていますが、元々の評価項目にない項目を抜き出して解析し、有意差が出たとする事後解析のやり方は薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会( mhlw.go.jp/stf/newpage_27)でも批判されています。今あるデータだけで、国産だからという理由で承認を勧めることは学会、薬への信頼を損ねてしまいます。
塩野義に対する、2022年7月20日薬事・食品衛生審議会での島田委員の発言 「要するにエンドポイントを後からいじるというのははっきり言って御法度ですよ。それをわざわざされて、これは有効性が認められるところをピックアップしてやるというのは臨床試験としてはあってはいけないことだと思います」
審議会でのPMDA藤原理事長の発言 「先ほど事務局が多重性の調整というように言っていましたけれども、そういうことをちゃんとやらないといけないのですが、それをやらずに何度も何度も解析して、どこかで有意差が出たからいいのではないのと言っているのが塩野義さんかなと私は理解しております。」
一応、私が追ったところでは以上が一連のご発言で、その後多くの方々との応答になります。細かいスレッドまでは追いきれていない部分があるかもしれませんがご了承ください。
まず気になったのは、「今あるデータだけで、国産だからという理由で承認を勧めることは学会、薬への信頼を損ねてしまいます。」の箇所です。学会が承認を勧めるとしている理由はそのように書かれているでしょうか? 国産云々の箇所を探すと最後のページに該当箇所がありました。
4.緊急承認制度適応、承認済薬の適応拡大の必要性 以上1、2、3で述べたことを早期に実現するための方法の一つとして、現在食品・衛生審議会で 議論されている国産の新型コロナウイルス感染症治療薬を早期に緊急承認すること、もしくは承認 済みの抗ウイルス薬の適応拡大の可能性を検討することが強く求められます。 緊急承認制度は安全性が担保され、有効性が期待できる薬剤を早期に承認し、臨床現場で使 用できるようことを目的とした制度で5月から法制化されました。米国における緊急使用許可(EUA) 制度に相当するもので、米国では現在使用されている抗ウイルス薬・ワクチンのほとんどがこの制 度で認可されています。 日本ではすでに特例承認されている2種類の経口薬が使用可能となっていますが、重症化リス クを有しない患者に対する臨床試験は行われていない、もしくは有効性が証明されておらず、適応 拡大にあたっては臨床試験を追加で行うことが必要かと思います。一方現在議論がなされている 国産抗ウイルス薬は、重症化リスクのない軽症者における臨床試験において呼吸器症状の改善が 示されています。加えて臨床第二相(2a)試験以降では主要評価項目であるウイルス量の減少が 示されています。
この部分を解釈するのは難しいのですが、文章を追いますと【現在適応外になっている(治療薬のない)重症化リスクを有しない患者に対する治療薬の承認】を求めていて、その例として、現在食品・衛生審議会で 議論されている国産の新型コロナウイルス感染症治療薬(「エンシトレルビル」の事であると理解しました)の承認、または既承認の治療薬の適応拡大を求めています。つまり、【国産だから承認してほしい】とは書かれていません。治療薬のない患者に対する治療薬を承認してほしいという文脈になります。
もう一点、このツイートの中で重要な部分は【塩野義の薬は症状改善に関する主要評価項目について有効性は認められませんでいた。また、この提言の中で塩野義の薬が「呼吸器症状の改善が示されています」と書かれていますが、元々の評価項目にない項目を抜き出して解析し、有意差が出たとする事後解析のやり方は薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会( mhlw.go.jp/stf/newpage_27)でも批判されています。】 です。この部分は、この記事の後半で公開されているデータを追って私なりに考えてみたいと思います。
ネットの反応2
次の方はこちらになります
直に書かれたスレッドを追いかけてみました
感染症学会、化学療法学会理事長の名前で厚労大臣に出された「提言」。いくらなんでもひどすぎるので、絶望しています。一般の方や医師会くらいが言うならともかく、専門家集団とみなされる学会がこれでは救いようがありません。 kansensho.or.jp/uploads/files/まず「新しい抗ウイルス薬の臨床試験において、抗ウイルス効果は主要評価項目の一つです」とありますが、間違いです。抗ウイルス薬が目指すのは「患者の治癒」です。ウイルスを「殺す」のは手段であり、目的ではありません。これはEBMの基本のきの字であり、プロがいろはを知らないのは、言語道断です「病気の速やかな改善に至ることは、日本の新型インフルエンザの死亡率が世界で最も少なかったことの一つの要因と考えられます」。これは当時の会議でも申しましたが根拠不十分です。確かに米国とかでは死亡は多かったですが「自宅で安静」を基本とした欧州各国も日本と死亡者は大差ありませんでした。日本ではすでに特例承認されている2種類の経口薬が使用可能となっていますが、重症化リスクを有しない患者に対する臨床試験は行われていない(中略) 国産抗ウイルス薬は、重症化リスクのない軽症者における臨床試験において呼吸器症状の改善が ここが最大の問題です。リスクない軽症者に対する堅牢なエビデンスはありません。また、自然治癒する可能性の高い「リスクのない軽症患者」を治癒するプライオリティは低いです。エビデンスレベルで言えば現在承認されているラゲブリオ、パキロビッドのほうがエビデンスレベルは高いです。この文章を起草したのが日本の製薬メーカーなのか、医学者なのか、その両方なのか分かりませんが、あきらかに「下心」のある、学術界が出すにはあまりに非科学的な悪文です。読むのは大臣であり、医学、感染症学の素人であることを考えると、非常に悪質です。かつて日本の感染症系学会は製薬メーカーの太鼓持ちのような「よいしょ」をたくさんしていて、僕ら真面目な専門家を鼻白ませていました。最近はそういうエゲツないことをする人は減りましたが、理事長名でこれをやるかな。また往時の黒歴史に逆戻りか、と暗澹たる思いになりました。昔と違い、今は優秀な若手感染症医がたくさんいるから、こんな不真面目な文章の誤謬はすぐに看破されます。もちろん、「立場」を慮って忖度する人もいるとは思いますが、学会内にだって、ちゃんとした人もいるはずだ、と期待したいですね。黙殺しちゃだめですよ。あと、揚げ足とってくる人が出てくることを想定して先回りしておくと、「主要評価項目」とか、ウイルス量とかで、理論武装っぽい、その実「言葉遊び」をしていることは承知しています。しかし、これも一種のご飯論法なのでやはり「誤謬」というべきなのです。
ネットの反応3
承認申請資料の確認
臨床試験が実施された時期
新興感染症治験の難しさ
- 評価方法が確立していない中で有効性の指標を設定しなくてはならない
- 変異株が次々と流行することで、評価方法が硬直的だとうまく有効性を評価できない
- ワクチン接種が進むにつれ症状が軽い症例が増加すると、比較対象群との差が検出しにくくなる
試験時期のまとめ
- 先行医薬品:オミクロン流行前、ワクチン接種が進んでいない時期のハイリスク患者を対象として試験を実施
- S-217622 (エンシトレルビル):オミクロン流行時期、ワクチン接種済み80%の時期に試験を実施
オミクロン株で重症化率が減少しているのに新たな治療薬は必要なのか
連日の報道を見ていて、第7波では感染者がそれまで以上に、桁違いに多いというのは感じています。実は数字はしばらく見ていると見慣れてしまうのですが、東洋経済オンライン編集部のホームページの一番はじめのグラフ「検査陽性者数(新規)」を直近のスケールのまま左(古い時期)のグラフを見ると、以前はとても感染者が多いと思っていた第6波の波がかなり低いことに気づきます。
既存薬が承認されているのだからP3の結果を待てば良いのでは
S-217622 (エンシトレルビル)の効果
エンシトレルビルの抗ウイルス効果を示します
エンシトレルビルの抗ウイルス効果を他薬剤と比較します3, 4,5
それぞれ、異なる試験で試されたものであることを考慮すると直接比較することは慎重にあるべきですが、数字を見ている限りエンシトレルビルの抗ウイルス効果は他薬剤より効果が高く見えます。少なくとも、劣るものではなさそうだという感触を得ます。
治療終了後のウイルス量
これは、興味深い資料です。既承認役では投与終了後からウイルスRNA量の再上昇を示す例が結構あることが示されています6。一方エンシトレルビルではその傾向を認めません。
エンシトレルビルの臨床効果
主要評価項目(12症状によるスコアの変化)
12症状合計スコアによる単位時間あたりの変化量を、プラセボと比較すると有意差が検出できず。主要評価項目ではエンシトレルビルの有効性を示せていません。通常臨床試験では、先行する試験や現評価対象の試験薬の特性から期待できる効果を想定して、評価項目や症例数を統計的に設定します。前述の通りその先行する情報がデルタ株の情報であったため、そのままオミクロン株による疾患に当てはめると大きく狂ってしまい、その例数設計や評価項目が、目的の評価に適切でなくなることは起こりえます。そして通常主要評価項目が達成できていない試験では有効性があるとは評価しません。ネットの書き込みの多くは、まさにこの1点を重視しているようです。
副次評価(4症状による臨床効果)
エンシトレルビルの有効性を評価する上で4つの症状あるいは4症状+熱でスコア化しその変化をプロットしています。Day2以降の多くの時点で両用量とも統計的な差が見られています。私は何よりも、グラフに一貫性があるのを評価します。点推定値を目で追うと、プラセボとそれ以外が一貫性を持って下側に点が来ています。各個人の感じ方や報告の癖などの影響を受けやすい被験者が報告することになる臨床症状の様にノイズの大きなインプットから、両群間での効果を比較するのに際して、一貫性を持ったグラフになっているというのは意味があると考えます。
ウイルス側が変化したため、当初計画した主要評価項目では統計的な結果としては有効性が示せなかったとして、このような副次評価項目を見ることにネットで声の大きな先生方は大きな抵抗感を表明されています。
Phase 3 パートでの評価方法
FDAもオミクロン流行下では症状が軽い症例が多いことから「軽度や消失」ではなく「消失」までの時間を評価することを推奨しているということです。エンシトレルビルの第3相部分ではこちらの評価方法を採用することにした様です。
Phase3パートの評価方法でphase 2bパートを再度評価
グラフから受けるイメージは、「エンシトレルビルの有効性が示されている」です。2つの用量いずれでもプラセボと差があると感じます。この解析は事後解析ということで、当初の統計解析計画になかった集計になるものかと思います。当初の計画に入れ込めなかったのは、計画した時期にオミクロン株の流行もなく、臨床症状がどういったものになるのか想像もしてなかったからで、その後FDAがオミクロン株流行時期の評価方法として推奨する方法で評価したものです。
私としては評価の対象としても良さそうな気がします。事後解析つまり「計画通り以外」は恣意的に都合のいい方法を試して良かったからその方法で結果を報告するというような穿った見方もできるため、試験の評価として適切でないとする考えの方々も少なくありません。
個人的には、自分で言うのもなんですがFDAのような信頼できる規制当局が推奨している方法であるので「恣意的」に色々やったらうまく行ったと言うような方法ではない点、この試験が見舞われたように疾患(を引き起こす病原体)が変化した場合に、試験計画から変更して、1から試験を実施し直していては試験の結果を得るのに時間がかかる点から緊急の承認には許容できると感じています。
安全性
重篤な有害事象を発現した症例は0となっています。個人的には、投薬を中止した有害事象の2件は重篤に扱っても良かったのではないかという気がします。その被験者にとっては、投薬を中止するという医学的に重要なアクションに繋がる有害事象だったので。だとしても事象名からも、転帰からも取り立てて問題にするようなものではなさそうです。
先生に質問させていただきます。私は医療関係者ではありませんが塩野義の株を買ってしまったので必死にゾコーバの行きつき先を推測しています。
(質問)
症状改善効果のグラフですが偽薬も左肩下がりになっています。このことは症状回復段階に入ってからの投薬だったのでしょうか。もしそうなら偽薬との有意差があまり出なかったのはそれが原因と考えられますか。
このことは、もし体内ウィルス増殖中の初期に投薬できれば症状悪化が阻止でき、偽薬との有意差を出せる可能性はありますか。今の抗ウイルス薬の治験で実施するのは難しいことかもしれませんが。