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東日本大震災後のわれわれの活動

東日本大震災後のわれわれの活動

ささやかなわれわれの活動の記録です.

被災地最前線ではない後方支援病院であった宮城県立こども病院は,患者の殺到やライフライン断絶,物資の欠乏などで苦労しましたが,被災者を直接救命したわけでもなく,この大災害の中で自分たちの使命を見失っていたのではないか,もっともっとできることがあったのではないかという無力感にも捉われることがありました.その中でいつも少しでもわれわれにできることはないかといつも考えてきました.

 

 気仙沼市立病院への応援

 気仙沼市立病院は津波の被害にあった宮城県気仙沼市の中心部にあり,地域の中核病院です.われわれは4月より気仙沼市立病院の応援を継続して行ってきました.

 

最初の気仙沼入り(2011年4月18日)

フェイスブックでの全国への呼びかけ(2011年6月19日)

 

気仙沼市立病院産婦人科支援プロジェクトのご報告(2012年1月2日)

 

 「ハッピーバースデイ 3.11」 プロジェクト

 

「ハッピーバースデイ 3.11」プロジェクト

宮城県立こども病院での写真展開催(2012年2月12日〜26日)
宮城県立こども病院での写真展 にたいするレスポンス(2012年3月1日)
2年後の「ハッピーバースデイ 3.11」(2013年3月11日)

 

 南相馬市立病院への応援

 

原発事故後の福島の先天異常率は全国と有意差なし(2014年8月6日)

Reproductive Health in Fukushima (August 4, 2014)
Destroyed perinatal care after Fukushima nuclear power plant disaster and its present recovering under several supports (March 30, 2014)
南相馬の放射線健康カウンセリング活動で自分自身をみつめなおした(2013年11月7日)
南相馬市立総合病院産婦人科スタッフとの懇談(2012年9月15日)
コミュニティ再生への遥かなる道(2012年8月20日)
南相馬市立病院での放射線健康カウンセリング外来の立ち上げ(2012年6月24日)

 

南相馬市立病院でのカウンセリング活動の報告が出版物となりました.

【編著】千代豪昭,【執筆協力】古川洋一,室月淳,及川友好 「放射線被ばくへの不安を軽減するために 医療従事者のためのカウンセリングハンドブック −3.11.南相馬における医療支援の記録− メディカルドゥ

 

 東日本大震災アルバム

2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故による被害,およびその後の復興に関する,やや個人的な写真記録です.

ツィピ先生とともに(2014年2月10日)
さくらの枝の芽(2013年3月1日)
快晴(2012年12月7日)
菊の香(2012年11月16日)
南相馬から飯舘村へ(2012年10月19-20日)
南相馬 9月(2012年9月15日)
4回目の南相馬(2012年8月31日)
3回目の南相馬(2012年8月17日)
南相馬市小高区(2012年6月22日)
南相馬の春(2012年4月22日)
8か月後の仙台空港(2011年11月28日)
いわき市豊間海岸(2011年8月7日)
気仙沼市鹿折地区(2011年6月1日)
県道10号線を走る(2011年5月22日)
仙台空港周辺(2011年5月15日)
気仙沼大川のさくら(2011年4月28日)
1回目の気仙沼(2011年4月20日)
ヘリコプターでの母体搬送(2011年4月18日)

 

 思いだすことなど

東日本大震災から4年以上がたちましたが,ときにふと当時の記憶が鮮明によみがることがあります.ほとんどが個人的な経験であり,声を大にしていうことではありませんが,それでも当時の記録としてどこかにとどめておくことに何らかの意味があるかもしれません.つれづれに書き留めておきたいと思います.

震災のときのコンビニのことなど(2015年6月7日)
失われた時を求めて(2015年6月4日)

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カウンタ 3432(2013年3月12日より)