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最初の気仙沼入り(2011年4月18日)

最初の気仙沼入り(2011年4月18日)

4月18日より気仙沼市立病院への応援に行ってきました.

4月中旬で日本産科婦人科学会としての気仙沼市立病院への支援が終了しましたので,そのあとを引き継ぐ形で,東北大学病院産婦人科と調整しながら当科の医師が交代で支援に行くことになりました.

東北大学病院から気仙沼市立病院へ切迫早産妊婦のバックトランスファーがあったため,同乗医師としてヘリコプターで気仙沼入りしました.ヘリは海岸に沿って北上したため,津波の惨状を空からみることができました.南三陸町志津川は昔の写真で見た空襲のあとのような惨憺たる光景を呈していて,思わず戦慄を覚えました(写真1).

【写真1】空からみた南三陸町志津川.津波で全壊した公立志津川病院の建物がみえる

 気仙沼市立病院は,ご存じのように小高い丘の上に建てられていたおかげで,ギリギリ津波による被害を受けないですんだそうです.ちょうど桜が満開の時期でした(写真2).

【写真2】気仙沼市立病院に登る坂.桜が満開であった

気仙沼市の町中もだいぶ片付いてきたとのことですが,港近くまで行くと瓦礫が山のように積まれていて,津波の被害の傷跡はいまだに生々しい状態です(写真3).大型の漁船が陸の上に乗り上げており,津波のパワーのおそろしさに驚かされました(写真4).

【写真3】港に近い中心部.

【写真4】大形のマグロ延縄漁船が津波で道路に打ち上げられていた

 病院の業務はほぼ通常の状態に戻っているようですが,分娩を取り扱っていた市内の開業診療所がそのまま休院になった分だけ,分娩や外来の数はかなり増えているようです.常勤医はふたりのみで,それも卒後9年目と5年目というとても若いコンビであり,だからこそ震災後もまったく休みなしにバリバリと働いてきました.臨床的にもかなりできる若手たちです.

しかし本当にたいへんなのはこれからなのだろうと思います.これまではみなが必死になって働いてきて何とかなってきましたが,実際に震災後のさまざまなストレスでまいってしまった医師も出てきているようです.

幸いなことに当院産科には,成育医療センターのご好意により4-5月にかけて当科に人的支援をいただくことになっています.その分の余力でわれわれが気仙沼など外の病院の応援に交代で行くつもりです.周囲の方々にいろいろとご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが,何とぞよろしくお願い申し上げます.

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カウンタ 1933 (2012年4月30日より)