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カウンセリングといえないものをカウンセリングと自称するのはやめてほしい

「カウンセリング」といえないものを「カウンセリング」と自称するのはやめてほしい

                                 (2022年11月18日 室月淳)

「酢が甘いのが嫌だったり,それぞれ嫌いなさまざまなので,それを詳細にカウンセリングすると実は嫌いなのは「酢の物」そのものではなかったりする」

ある有名な料理店の主人が,お客さんに好き嫌いをていねいに聞き出し,そのうえでそれまで食べられなかったものを「食べられるようにしている」とSNSに書いていました.それを「カウンセリング」と自称しています.非常に人気がある店らしく,フォロワーが多く,その書きこみにも「いいね」が1万件以上ついていました.最近は「美容カウンセリング」とか「コスメカウンセリング」などといったカウンセリングが巷にあふれているので,とりたてて目くじらをたてるような問題ではないのかもしれません.

しかし「カウンセリング」とはいえないものを「カウンセリング」と自称するのはやめてほしいという気持があります.これはおそらく心理や遺伝,医療の分野でカウンセリングをおこなっている専門職に共通した思いなのではないかと思います.軽々しく「カウンセリング」ということばをつかってほしくないとこういった専門職が思うのは,他のプロフェッショナルのスキルや能力を軽んじたりしているからではありません.ほかのプロフェッションとでもいうものを尊敬していて,たとえば料理といった専門技能を尊重するからこそ,おまけみたいにカウンセリングをしているなどとは口にだしていただきたくないといことです.

「カウンセリング」にあたる日本語はもともと存在していませんでした.「遺伝カウンセリング」は比較的早い時期の,国内ではすでに1960年代にはじまっていましたが,そのころは「遺伝相談」という訳語があてられていました.心理カウンセリングはそれよりすこしおくれて国内に導入され,1970年代に河合隼雄氏が「カウンセリング」ということばをそのまま使いはじめています.90年代にはいって遺伝分野でも「遺伝カウンセリング」が普及しました.

なぜ「相談」ではなく「カウンセリング」かというと,単に「相談」という日常語には包摂できない理論と方法論がそこにはあるからです.カウンセリングはきちんとした学問的背景のある心理的技法で,それをおこなうためにはある一定のトレーニングと資格が必要です.「相談」という語感に惑わされて,だれでも手がだせるものと受けとられると望ましくないのです.

「カウンセリング」はあいての内面に介入して,ときにはある意味「操作」をおこなうことがあります.心への侵襲をともなう技法です.だから心理カウンセラーはきびしい職業倫理規定にしばられています.わたしもあまりうるさいことは言いたくないですが,たとえば営利的行為などとはいちばん距離をおく必要があります.

さきにあげた「美容カウンセラー」や「コスメカウンセラー」といった名は,ちょっと洒落て雰囲気だけでつけているも承知です.しかし心理介入のある部分は,いわゆる「洗脳」の技術との親近性があるのです.仮にそういったひとたちが仮に悪意でなかったとしても,物品販売などの営利事業にカウンセリング手法を使うようとなるとほんとうに危険なのです.

たとえば本屋にいくと「お客様のニーズをとことん引き出す カウンセリング販売の技術」などといった本が売れていたりします.しかし販売にカウンセリング手法が使うのは問題なのです.カウンセリングは医療と心理の両方にクロスオーバーしていますが,ひろい意味での「治療」を目的とする限り,少なくともクライエントの同意がなくてはなりません.

おおげさでなく,本人の同意なく心理操作をするのは洗脳です.商品販売のみならず宗教の勧誘なども同様です.実は近年「コーチング」といわれるテクニックにもおなじようなにおいを感じていて警戒しています.

料理店でやっているのは「カウンセリング」といえるものではない,というのならそれはそれで結構です.しかしカウンセリングでないものを「カウンセリング」と呼ぶのはやめたほうがいいでしょう.「カウンセリング」はこれまでわれわれが学び,育み,つくりあげてきた専門的な方法論ですから,それを横から勝手に自称するのはよくないことだろうと思います.

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カウンタ 102(2022年11月18日より)