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(幻の)切迫早産治療薬レトシバン

切迫早産治療薬レトシバン − 非ペプチド型オキシトシン受容体拮抗剤

                                 (2018年8月14日 室月淳)

 要旨

レトシバンは切迫早産治療薬として新しく開発された非ペプチド性オキシトシン受容体拮抗剤であり,オキシトシン受容体にたいする選択性がすぐれているという特性がある.北米でおこなわれた第2相試験では,有意の妊娠延長効果に加え,新生児の予後の改善傾向も認めるという画期的なき結果がでた.残念ながら日米欧でのグローバル治験はメーカーの社内事情のために途中で打ち切られたが,今回のレトシバンのグローバル治験への参加自体が,わが国の子宮収縮抑制剤の低用量長期持続投与という切迫早産治療のスタンダードを反省させられる契機となった.

 

 はじめに

「切迫早産」についてほどわが国と欧米諸国のあいだで臨床的に乖離のある領域はない.

欧米では切迫早産管理においていわゆるtocolysisには意味がないとされている.既存の支給収縮抑制剤には新生児予後を改善するほどの妊娠延長効果はなく,せいぜい母体ステロイド投与のための48時間程度の短期投与short tocolysisとして使われるにすぎない.一方,わが国ではベータ刺激剤である塩酸リトドリンが主に使われているが,早発陣痛ではない症例もふくめて長期間にわたり漫然と投与される傾向が一般的である.こういった長期維持療法はエビデンスに基づかない過剰な医療のおそれがある.

2011年の米国食品医薬品局(Food and Drug Administration; FDA),および2013年の欧州医薬品庁(European Medicines Agency; EMA)の勧告によって,塩酸リトドリンの点滴投与は48時間以内に限定されること,あわせて硫酸マグネシウムとの長期併用の制限や塩酸リトドリンの内服の承認取り消しがなされた.また2016年にだされたアメリカ産婦人科学会(ACOG)の切迫早産管理の指針(1)では,短期間のみの妊娠延長効果が認められているβ刺激剤,カルシウム拮抗剤,およびNSAIDをファーストラインの切迫早産治療薬として使用し,ステロイド投与後に48時間以内に投与を終了することがレベルAとして推奨されている.これらのことのいずれもが,わが日本において一般的におこなわれている切迫早産治療の見直しをせまるものであった.

そのような状況に登場してきた新薬であるレトシバンは,世界的な切迫早産管理の世界標準をかえる可能性があっただけでなく,そのグローバル治験に参加することによって,日本においてもエビデンスにもとづいた治療に切りかえる千載一遇の好機であったわけである.

 

 レトシバンとはどのような薬か

レトシバン(GSK221149)は,組成式C27H34N4O5,質量494.2529,分子量494.5827の新規化学物質(図1)で,切迫早産治療薬として新しく開発された非ペプチド性オキシトシン受容体拮抗剤non-peptide oxytocin receptor antagonistである.よく似た名称のアトシバンatosibanという既存の切迫早産治療薬がヨーロッパで主に使用されている.レトシバンはペプチド性のオキシトシンやアトシバンなどとは薬理的に異なる性質をもち,非ペプチドであるため安定性が高く,かつオキシトシン受容体にたいする選択性がすぐれているという特性がある.またほかの切迫早産治療薬にくらべると副作用がきわめて少ないという利点をもっている.

北米でおこなわれたレトシバンの第2相試験では,有意の妊娠延長効果に加え,新生児の予後の改善傾向も認めるというおどろくべき結果がでた(2).レトシバン投与群(30例)はプラシーボ群(34例)にくらべ8.2日間の妊娠延長が認められ,全体のなかの早産の割合もレトシバン群18.7%にたいしてプラシーボ群では47.2%と有意に少なくなった.レトシバン投与後7日以内の分娩は0%であったのに,プラシーボ群では17.6%とこれも大きな差を認めた.妊娠の延長とともに早産児に特徴的にみとめられる無呼吸やRDS,頻呼吸の頻度も減少した.また両群のあいだに母体,胎児,新生児に薬のあきらかな副作用を認めなかったことも注目された.

現在使われている子宮収縮抑制剤のいずれもが新生児予後を改善できるほどの有意の妊娠延長効果がなく,母体へのステロイド投与に必要な48時間程度の時間稼ぎとして使われているにすぎないのは周知のとおりである.この第2相試験の結果をみるかぎり,レトシバンの妊娠延長効果はこれまでの治療薬が成し得なかったものであり,もし臨床的に実用化されれば世界の切迫早産治療のスタンダードを大きく変化させることが期待されたのである.

 

 レトシバン第3相試験のプロトコール

レトシバンの第3相試験は,当初,米欧による国際治験の形で準備が進み,途中から日本も参加することで日米欧の三極のグローバル治験として開始されることになった.国際的な多施設共同研究であるが,新薬の臨床試験としてはもっとも厳密であるランダム化,二重盲検化,プラシーボ対照研究(randomized double-blind placebo-control study)が採用された.これは主としてFDAからの要請によるものである.

治験対象者の選択基準は,妊娠24週以上34週未満の未破水かつ単胎で,規則的な子宮収縮が30分間で4回以上を認め,かつ,〇匍楔の開大が2cm以上4cm以下,∋匍楔展退が25%以上かつ開大が1cm以上,のいずれかを認める妊婦である.すなわち日本で一般的に「切迫早産」と称される患者と異なり,あきらかな子宮収縮により分娩が進行しつつあるよりアクティブな切迫早産を対象としている.

治療プロトコール(図2)は,硫酸マグネシウムをのぞくそれまでの子宮収縮剤をすべて中止し,上記の基準をみたす切迫早産妊婦にたいしてレトシバン6mgないしはプラシーボを5分間でローディングし,以後6mg/hで48時間投与をおこなう(子宮収縮の症状をみながら途中で12mg/hまで増量可).硫酸マグネシウムによる標準治療はおこなってもおこなわなくてもかまわない.胎児の肺成熟を目的とした母体ステロイド投与をおこなって,レトシバンは48時間で投与終了とするshort tocolysisである.

プライマリエンドポイントは分娩までの日数と新生児予後であり,治験組み入れ症例の目標数は900例(そのうち日本は70例)とされた.2016年春より順次,治験へのエントリーが開始された.

 

 当初より予想された問題点

上に述べたように,今回のグローバル治験は主としてFDAの認可を得ることを目的にしており,治験デザインに関してはFDAの基準によって厳格に定められました.新薬認可のハードルは国際的にみてFDAが最も高く,とくにプラシーボ治験は必須となっている.グローバル治験として国際的にまったくおなじ条件で実施されなければならないため,それ以外の国にとっては運用上むずかしい点を含んでいた.

仮に日本国内のみでの承認をめざすのであれば,リトドリンなどの既存薬との比較試験(いわゆる非劣性試験)のみでもPMDA(医薬品医療機器総合機構)の認可がおりる可能性も考えられたが,グローバル治験による世界同時承認をめざすため,日米欧で同じプロトコールで臨床開発をおこなうことになったのである.しかしなによりもわれわれがこの治験に参加しているという事実が,今後の日本における産科診療のエビデンスにもとづくグローバル化という意味でたいへん重要であると考えられた.

さきに述べたように,これまでのわが国における切迫早産の治療は,アクティブではない症例も含めて,既存の治療薬を長期間にわたり漫然と投与することが多く,エビデンスを軽視した過剰医療の傾向にあった.レトシバンはshort term tocolysisによって新生児予後改善が期待できるほどの妊娠延長効果が得られることを前提に開発されており,仮に日本で認可されることになれば,単純に切迫早産の治療薬がかわるのみならず,治療方法や治療対象がかわっていくことが期待された.切迫早産治療そのものを考えなおす重要な意義をもっているのである.われわれがとくに希望してグローバル治験への参加を実現させたのはまさにそのためであった.

治験実施にあたり国際的に最大の問題となったのは,プラシーボ対照試験であることである.アクティブな切迫早産にプラシーボを投与することを患者本人にどのように理解していただくか,また倫理的にはどのように正当化できるのかといった問題であった.プラシーボ対照試験とするにあたって硫酸マグネシウムの併用を可としたのはそういった点を考慮したためであった.また治験実施にあたっては,出生児を管理し,その後のフォローをおこなう新生児科側の積極的な同意と理解が非常に重要であった.

とくに国内においては,切迫早産治療のスタンダードがリトドリンの低用量長期持続投与であったため,レトシバン48時間投与で治療を終了するという欧米式のshort tocolysisにたいする抵抗感も強かった.既存の子宮収縮抑制剤の48時間以上の投与にはエビデンスがないのは世界的なコンセンサスではあるが,国内では塩酸リトドリンが薬事承認された1986年以降の30年以上にわたって,長期持続投与のいわゆるlong tocolysisがあたりまえのように続けられてきたのである.周産期領域での新薬の治験そのものがこの10年以上とだえていたのに加え,今回の切迫早産治療薬のグローバル治験への参加自体が,まさにわれわれの切迫早産管理の認識を変えようとするものだった.日本の産科領域でのグローバル治験参加そのものが初めてであり,治験の立ち上げに難航が予測されたのにもかかわらず,治験実施の意義が非常に高いと考えられたのはこのためである.

 

 レトシバン治験の顛末

レトシバン治験への日本の参加がグローバルで歓迎されかたというと,実はそうではなかった.日本の治験は高い,おそい,質が悪いの3拍子そろっているとして国際的に評価が悪く,とくに臨床試験コストが欧米に比べ非常に高いことが懸念されたためであった.また子宮収縮抑制剤の長期投与や安易な入院治療といった独特のプラクティスがあって,日本でのプラシーボ対照試験は困難との判断があったのかもしれない.

しかしいざグローバル治験がはじまってみると,日本は予想外の健闘をしたのに対し,北米でのエンロールメントがきわめて悪いことがあきらかになった.結局治験開始から1年もたっていないこの5月に,突然,レトシバン治験の中止という連絡がグローバルから届いたのである.治験が中止となったのは,レトシバンに有効性がなかったとか,治験進行中に危険な副作用が認められたからというわけでは決してなく,ただメーカーの社内事情によるものである.アメリカ国内でのエンロールメントが予想以上に進まないため,治験にかかる時間と費用を再検討した結果,プロジェクト撤退が決断された.数年前からメーカーの経営状態が思わしくなく,この4月からあらたに就任したCEOが社内プロジェクトの総見直しをおこない,進捗状況の芳しくなかったレトシバン治験が真先に切られたもののようである.

当院では2016年11月から治験に参加し,半年間で7例のエンロールメントをおこない,そのうち5例に実際に薬剤投与をおこなった.リトドリンの動悸や硫酸マグネシウムの体熱感,倦怠感といった自覚症状(副作用)といったものがないため,どれが実薬でどれがプラシーボかはもちろんわからないが,子宮収縮がなくなって退院,外来管理となった症例と,数日後に早産となった症例とに実際にはっきりわかれた.将来ブラインドがはずされないと確かなことはいえないが,われわれの主観ではレトシバンの有効性が強く感じられていた.それだけにグローバル治験の中止は返す返すも残念であった.

 

 切迫早産治療薬の治験の将来

現存するすべての子宮収縮抑制剤はせいぜい48時間までの妊娠延長効果しか認められておらず,また新生児予後の有意な改善を認めたものも存在しない.あらたな治療薬を開発するとすれば,新生児予後の改善が十分に期待出来るだけの妊娠延長効果が得られることを目標となる.レトシバンは,北米での第2相試験で画期的な治療薬との期待が強かったのだが,今回のグローバル治験の中止により臨床導入の道が閉ざされたことになる.おそらく今後は,残念であるが切迫早産治療薬の開発に手をだす薬剤メーカーは国際的にも現れない可能性が高い.

今回の治験参加で感じたことは,アクティブな切迫早産というのはまさに救急疾患だということである.治験対象者が救急車で搬送されてきて,文書でインフォームドコンセントをとり,インターネット上に登録してランダム化され,それが通知されて薬剤部で調剤がなされ,実際に患者に薬が投与されるまでは,どんなに急いでも1時間以上はかかる.そのあいだに分娩が進行して,治験対象からはずれてしまった症例が,エンロールメントされた7例中2例もあった.治験実施には産科,新生児科のほかに薬剤部,検査部の全面的な協力を必要とするが,こういった切迫早産患者の救急搬送はどうしても時間外や休日となることも多く,治験実施がむずかしい一因ともなった.そのあたりが抗癌剤や抗生剤の治験と違う点と考えられる.

たとえば心肺停止の患者にたいしてプラシーボ対照試験が不可能なように,アクティブな切迫早産患者にたいしても,「医薬品の臨床試験の実施の基準」(新GCP)にそった厳密な治験をおこなうことは同様にむずかしいのである.もし切迫早産治療薬の治験にたいしてFDAやPMDAが現行の厳格な実施条件を求めるのならば,将来的はあたらしい治療薬の開発はむずかしいと言わざるを得ないだろう(3).

 

 今回の経験によりわれわれが得たこと

今回の治験の経験でわれわれが学んだのは,切迫早産患者の長期投与されている子宮収縮抑制剤を中止しても,陣痛がおこり早産にいたることはほとんどないということであった.切迫早産の母体搬送を受けて,われわれは全例において塩酸リトドリンを中止したが,そのなかでアクティブな陣痛が続いて治験の対象となったのは,全体の1割程度にすぎなかった.感染、炎症といった因子をもたいない切迫早産患者のほとんどで,次第に子宮収縮が消失していったことはおどろきであった.

規則的な子宮収縮があり,子宮口の開大や頸管長の短縮を認めるものというのは,狭義などではなく,真の切迫早産そのものである.逆にいえば日本のいわゆる切迫早産のほとんどは,実は真の切迫早産ではないのかもしれず,だから子宮収縮抑制剤を中止しても早産などには決してならないのである.レトシバンの治験対象となったのは真の切迫早産,すなわちアクティブな陣痛を伴うものであり,そういった症例を選んで投与するのはなかなかたいへんであった.上に述べたように切迫早産はまさに救急疾患であり,それに二重盲検化プラシーボ対照試験を行うためには,まさに真剣に取り組む必要があった.

現在の子宮収縮抑制剤の長期持続投与は,多くの産科医にとっては,医者になったときからすでに伝統的におこなわれてきた治療であり,このような機会がなければ全面的にそれを中止するという経験はなかなかできないだろう.われわれは今回の経験を生かして,子宮収縮抑制剤の使用を48時間以内とする欧米式のshort tocolysisを切迫早産管理の基本とし,国内の周産期センターにも呼びかけていくこと,また薬剤の投与適応を48時間以内に変更するように働きかけることをこれからの活動の目標としていきたい.

 

 おわりに

切迫早産治療薬としてのレトシバンにたいする事前の期待は大きかったために,今回のメーカーの事情によるグローバル治験の中止はとても残念であった.これまでグローバルでエンロールメントされた症例について,2017年中にはブラインドがはずされ,レトシバンの妊娠延長効果について統計解析される予定である.数は多くないため統計的に有意差がでるかは微妙であるが,すくなくとも有効性の傾向についてはあきらかになるだろう.その結果をみて今後の対応をどうするかを考えていくことになるだろう.われわれにとっていちばん望ましいのは,どこかの製薬会社が権利をあらたに獲得して治験を再開してくれることである.そのときにはまた治験に全面的に協力することになるだろう.

 

 文献

  • (1)ACOG Practice Bulletin No 171: Management of Preterm Labor. Obstet Gynecol 2016;128:931–933
  • (2)Thornton S, Miller H, Valenzuela G, et al: Treatment of spontaneous preterm labor with retosiban: a phase 2 proof-of-concept study. Br J Clin Pharmacol 2015;80:740-749
  • (3)Goodwin TM: Regulatory and methodologic challenges to tocolytic development. Br J Obstet Gynecol 2006;113:100-104

 

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