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保因者診断の歴史

保因者診断の歴史

                                 (2023年11月28日 室月淳)

保因者検査は北米では比較的ながい歴史があって,ひろく受けいれられてきた検査です.たとえばアシュケナージ・ユダヤ人と呼ばれるヨーロッパ系ユダヤ人の集団では,テイ・サックス病や嚢胞性線維症.カナバン病といった生命予後不良の疾患の発生頻度がきわめて高いことが知られています.アシュケナージのなかでそれぞれの疾患の保因者はだいたい20-30人にひとりくらいとされます.

アシュケナージは,中世の時代に現代のドイツ圏に移り住んだユダヤ人の子孫で,その後は東ヨーロッパを中心に広がりました.近年の遺伝学的解析では,非ユダヤ人との混血が進んでいるにもかかわらず,アシュケナージ・ユダヤ人特有のハプロタイププロックはよく温存されていることがわかりました.これは15世紀ごろに生じた人口減少のボトルネック効果によるもので,その後に人口増加がおこったものと考えられています.このボトルネック効果はいわゆる創始者効果(founder effect)をもたらし,多くの潜性遺伝疾患の発症をあげることになったのです.

最初に行われた保因者診断プログラムはアシュケナージ・ユダヤ人集団にたいするものであり,1970年代初頭にまでさかのぼります.Tay-Sachs病にたいするものでした.Tay-Sachs病はヘキソサミニダーゼA(hexosaminidase A; HEXA)酵素欠損によるライソゾーム代謝異常であり,神経細胞のライソゾーム蓄積障害がおこります.急性に進行する乳児型では2-4歳くらい,若年型では10歳代前半で亡くなります.もちろん当時はまだ原因遺伝子などはわかっていませんでしたが,血漿中のHEXAの定量によって保因者検査がおこなわれました.スクリーニングがおこなわれる以前は,毎年60例程度のあらたなTay-Sachs病がみつかっていましたが,近年は年に3-5例程度まで減少し,それもユダヤ人以外のカップルからの出生がほとんどのようです.

アシュケナージ・ユダヤ人のTay-Sachs病以外では,鎌状赤血球症やαサラセミア,βサラセミアなどの異常ヘモグロビン症などの保因者検査が1970年代後半からなされるようになりました.これらのヘモグロビン異常症も,末梢血のヘモグロビン電気泳動法を用いれば,DNA検査をしなくても保因者検査が可能です.鎌状赤血球症はほとんどが黒人に発症し,αサラセミアはアフリカ,βサラセミアは地中海沿岸や東南アジアで多くみられ,各地域で集団ベースの保因者検査がなされていました.サルディーニャやキプロスでのサラセミアのスクリーニングプログラムが有名であり,発症者を大幅に減らすことに成功しています.

サンガー法によるDNA配列決定が可能になると,さまざまな疾患の原因遺伝子が発見され,保因者検査にも応用されるようになってきました.サンガー法にかかる費用や時間のため,当初のスクリーニングプログラムは保因者頻度が高いと予想される集団を対象とするものでした.特筆すべきことは,1989年に嚢胞性線維症(cystic fibrosis)の原因となるCFTR遺伝子の遺伝子変異が発見されたことであり,その後は個人を対象にした嚢胞性線維症の遺伝子診断が徐々に推奨されるようになりました[1].1997年に国立衛生研究所(NIH)は,嚢胞性線維症の遺伝的な保因者検査を,限られた集団ではなく広く実施するように勧告しています[2].

このように初期の保因者診断プログラムは,特定のハイリスク集団にたいする限られた数の遺伝疾患にたいするものでしたが,次世代シーケンサーによるDNA解析技術の進歩とハイスループット(高速大量処理)解析が可能となったことが,保因者検査のありかたを大きくかえました.すなわちハイリスク集団にかぎらない一般のひとたちにたいし,多数の遺伝子を対象にした保因者検査をおこなうことが可能となったのです.これを拡大保因者検査(ECS; expand carrier screening),あるいはユニバーサル保因者検査(UCS; universal carrier screening)ということがあります.

商業的には2009年に最初の「拡大保因者検査」パネルが開発され,ターゲットジェノタイピングによって多数の遺伝子を同時に検査する方法が一般化しました[3].現在では複数の検査会社から多くの保因者検査パネルが市販されています.対象疾患は当初の100種類程度のものから,いまでは500とか1,000種類とどんどん数が増え,パネル間での一種の競争のような状況になっています.しかし当然のことですが,多くの数の遺伝疾患がふくまれていればいるほどいいわけではありません.

説明や検査にかんする労力と実際に保因者カップルとして存在する数を考えあわせれば,ACOGが推奨する保因者頻度が1%以上の疾患を対象とするならば100疾患程度,ACMGが推奨する0.5%以上であれば300疾患程度が適正なところではないかと思われます.日本人向けの保因者診断パネルを設計するときはこのような点を考慮する必要があります.

 文献

  • (1)ACOG Practice Bulletin No 171: Management of Preterm Labor. Obstet Gynecol 2016;128:931–933
  • (2)Genetic testing for cystic fibrosis. National Institutes of Health Consensus Development Conference Statement on genetic testing for cystic fibrosis. Arch Intern Med 1999;159:1529-1539
  • (3)Goodwin TM: Regulatory and methodologic challenges to tocolytic development. Br J Obstet Gynecol 2006;113:100-104

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カウンタ 471(2023年11月28日より)