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フェイスブックでの全国への呼びかけ

フェイスブックでの全国への呼びかけ(2011年6月19日)

 産婦人科の先生方へ−気仙沼市立病院のボランティア応援の呼びかけ

以下の文章は,わたしがフェイスブック上で全国に気仙沼市立病院支援を呼びかけたものです.

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現在,当宮城県立こども病院産科では東北大学とも相談しながら,地震と津波の直接の被災地である気仙沼市立病院を応援しています.

これまで個人的なつながりで,全国の産婦人科医に呼びかけてボランティア希望者を募り,毎週の平日の3-4日間ずつ交代で手伝いに行っております.もし一度気仙沼市立病院のお手伝いをしても構わないという先生がいらっしゃいましたら,ぜひともわたしまでお声をかけていただけませんでしょうか.

気仙沼市立病院の常勤医は2人で,9年目の科長と6年目の医師という若手コンビですが,ふたりとも元気によく働いています.しかし津波の被害により市内の開業医2軒が壊滅し,その分の分娩と産婦人科救急,産婦人科一般診療が集中しています.5月からは婦人科の定期手術も再開しましたのでなかなかたいへんな状況です.分娩も最近は少し緩和された状態になってきましたが,月50件弱くらいのペースです.

本当は常勤医が3-4名くらい必要なところですが,どこも人的余裕がなくなかなか厳しい状況です.日産婦学会が気仙沼への支援を終了した4月上旬以降は,毎週土日の週末を東北大学病院から,平日の数日間を当科を中心とした個人的なボランティアによってお手伝いを続けてきました.これまで全国から応援に来られた先生方には,この場をお借りして改めて心より感謝申し上げます.

6-7月の応援の目途はついているのですが,8-9月は今のところまだ何も決まっていません.これをお読みになっている先生方の中で,8月か9月のどこかの火曜日〜金曜日の3-4日程度をお手伝いいただける方はいらっしゃいませんか?

仕事内容はまったくふつうの産婦人科医の仕事です.午前中の外来(主に妊健),夜の分娩の宅直が主な仕事になります.バイト代はでません(申しわけありません)が,往復の交通費は支給,宿泊は病院そばの官舎で,三食は病院内の食堂で出ます.

気仙沼市立病院は築40年の古い建物ですが,500床の地域中核病院です.若い研修医が多く,院内は非常に活気にあふれています.病院は市街地ですが,小高い丘の上にあったため,ギリギリ津波の被害に遭わずにすみました.

先日,三度目の気仙沼入りしてきました.添付写真は鹿折地区といって,震災より3か月近くも立ちますが,瓦礫の山はそのままかなり残っており,復興はかなりゆっくりとしたペースです.

被災直後はDMATなどを初めとした多くの医療支援団がかけつけ,多大な貢献をしていただいたことに深く感謝しています.3か月たった今は,そろそろ自らの力での医療再建を求められていますが,こと産科医療についていえば,震災直後と状況はあまり変わっていません.もともとギリギリの医師数で行っていた地域ですから,開業医の先生方が地域を去り,その分もプラスされた地域中核病院の負担は,今後よくなっていく見込みがいまだあまり立っていません.

世間的には過去のできごとになったかもしれない大震災ですが,被災地への支援はむしろこれからといっても過言ではありません.どこも余裕がないかとは存じますが,一度,被災地をこの目でみたい,そして数日のお手伝いしても構わない先生がいらっしゃいましたら,ぜひわたしの方までご一報いただけませんでしょうか.

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上記の呼びかけに応じて,多くの「友達」たちが応援に来てくれました.ここで改めて心よりお礼を申し上げます.

 

 東日本大震災で活躍したフェイスブック

わたしが友人に誘われてフェイスブックに登録したのは2011年3月1日,東日本大震災の10日くらい前のことでした.入ったはいいものの使い方もよくわからず,特に何を書くわけでもなく過ごしていました.

3月11日14時46分に大地震が起こり,それらしばらく病院内に詰める日々が続きました.電気,ガスといったライフラインが途絶しましたが,インターネットだけはなぜか翌12日昼くらいまでは奇跡的につながっていて,自家発電の暗い病棟でニュースによる情報収集を行っていました.仙台市郊外の周囲から孤絶した環境にある当院には救急患者がくるわけではなく,自家発電の暗い病棟では仕事もできずに時間的余裕をもてあましていました.外界では何かとんでもなくことが起きているという緊張感が漂う病院内の状況を実況中継としてフェイスブックに投稿し続けていました.

外の世界でも地震被災地からの生の情報を渇望していたようです.直接の被害はまったくなかった当院ですが,フェイスブックでのわたしの実況中継が広くシェアされたようで,夜半からは見ず知らずのひとたちからメッセージがたくさん届くようになりました.中にはDMATを組織したので,当院での明朝の受け入れ体制を整えてほしいといった突然の要請なども飛び込んできました.

翌日昼にはネットも不通になり,数日後に回復するまでは不安で心細いような日々を過ごしました.こういった非常事態下では,フェイスブックによる励ましや情報交換が大きな役割を果たすことを強く実感いたしました.

震災から1か月もたち自分たちの仕事もやや落ち着いたころ,過酷な仕事に疲労していた同僚や後輩たちを支援するために,われわれも沿岸部の被災地の病院に数日間の交代で手伝いに行き始めました.被害が大きく被災人口も多い石巻地区は東北大学が主に支援を行っていたので,われわれは気仙沼市立病院に応援に行くことにしました.あわせてフェイスブック上で全国の産婦人科医師にボランティアの呼びかけを何回か行ったところ,何と全国からあわせて27名の先生方が個人の資格で応援に来て下さったのです.北は北海道から南は熊本まで,北米やバングラデシュの国外からもわざわざ気仙沼に来て下さいました.もともと時間的余裕のある産婦人科医など存在するはずもないのに,それでも遠い気仙沼まで,それもボランティアでお手伝いに来て下さったことに,ここで改めて心より感謝申し上げます.

フェイスブック上で呼びかけた気仙沼支援は,一応,昨年の12月いっぱいで終了といたしましたが,今回のネットワークは今でもわれわれも貴重な財産として生きています.ときに応じて今でもなされる励ましや情報交換は,このプロジェクトで生まれた人と人のつながりや絆といったものを実感させます.崩壊の危機に瀕した東北地方の産婦人科医療ですが,新たな再生は人と人のつながりの中から生まれてくるしかないことを確信しています.

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カウンタ 2264 (2012年5月1日より)