気仙沼市立病院産婦人科支援プロジェクトのご報告
気仙沼市立病院産婦人科支援プロジェクトのご報告
2011年3月11日の東日本大震災の地震,津波,火災などで壊滅にちかい被害をうけた気仙沼市で,産婦人科医療を継続した気仙沼市立病院産婦人科に,全国から有志の産婦人科医が交代で応援にきてくださいました.
日本産科婦人科学会の気仙沼市立病院の公的支援が終了した4月以降は,全国のみならず,海外から多くの産婦人科医師の先生方が自発的に手を挙げてくださってかけつけてくれたのです.その数は25名,それに加えて国立成育医療研究センターより2名の先生方(杉林里佳先生,佐々木愛子先生)が当院産婦人科の応援にきてくださり,その余力でわれわれが気仙沼市立病院の応援に向うことが可能となりましたので,あわせると26名ということになります.
遠い東北の,さらには沿岸部の気仙沼の地に,全国から,そして海外から支援にかけつけてくださった多くの先生方のお気持には本当に感謝しても感謝しきれません.そのかたがたをここでご紹介し,記録に残すことによって少しでもそのご厚意に報いたいと思います.
感謝の言葉
→ 気仙沼市立病院産婦人科長・宇賀神智久先生からの感謝の言葉
支援いただいた各先生方のご紹介
→ 気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた1(2011年4月〜8月)
→ 気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた2(2011年9月〜)
- 以下にその先生方の名前を記し,心よりお礼申し上げます.ありがとうございました.
お名前 | ご所属(当時) | |
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11年 5/10(火)-5/12(木) | 花岡 正智 先生 | 国立成育医療センター |
5/17(火)-5/19(木) | 今野 秀洋 先生 | 国立成育医療センター |
5/24(火)-5/27(金) | 松村 栄恵 先生 | バングラデシュLAMB病院 |
6/1(水)-6/2(木) | 左合 治彦 先生 | 国立成育医療センター |
6/7(火)-6/10(金) | 西林 学 先生 | 埼玉医大 |
6/14(火)6/17(金) | 遠藤 誠之 先生 | フィラデルフィア小児病院 |
6/21(火)-6/24(金) | 佐藤 加寿子 先生 | 埼玉医大 |
6/28(火)-7/1(金) | 喜吉 賢二 先生 | 兵庫県立こども病院 |
8/2(火)-8/5(金) | 岡本 陽子 先生 | 兵庫医大 |
8/9(火)-8/12(金) | 木越 香織 先生 | 国立長良医療センター |
8/16(火)-8/19(金) | 山田 俊 先生 | 北海道大学 |
8/23(火)-8/26(金) | 武井 弥生 先生 | 北海道大学 |
8/29(月)-8/31(水) | 中村 靖 先生 | 茅ヶ崎徳洲会病院 |
9/6(火)-9/9(金) | 田村 正明 先生 | アルベルトアインシュタイン医科大学 |
9/13(火)-9/16(金) | 中田 雅彦 先生 | 徳山中央病院 |
9/23(金)-9/25(日) | 池田 研 先生 | KKR札幌医療センター |
9/27(火)-9/30(金) | 南 宏二郎 先生 | 社会保険船橋中央病院 |
10/4(火)-10/7(金) | 永井 立平 先生 | 高知医療センター |
10/11(火)-10/13(木) | 森川 晶子 先生 | 青森県立中央病院 |
10/18(火)-10/21(金) | 杉見 創 先生 | 国立長崎医療センター |
10/25(火)-10/28(金) | 山嵜 剛 先生 | 熊本市民病院 |
11/15(火)-11/18(金) | 浅野 真 先生 | 都立大塚病院 |
11/22(火)-11/25(金) | 上田 敏子 先生 | 島根県立中央病院 |
12年 1/24(火)-1/26(木) | 倉澤 剛太郎 先生 | 西吾妻福祉病院 |
13年 3/13(水)-3/15(金) | 繁田 直哉 先生 | 大阪大学産婦人科 |
支援プロジェクトの経緯
気仙沼市は三陸海岸の南に位置し,交通の便はあまりよくありません.仙台からは通常,東北新幹線で一度岩手県の一関市まで行って(40分),そこからHR大船渡線に乗りかえて1時間半くらいのところにあります.仮に仙台まで母体搬送するにも救急車で2時間半くらいかかります.
2011年3月11日の地震と津波,その後の大規模火災により気仙沼市街は壊滅的な被害を受けました.うえの図でみるとおり,気仙沼市立病院の建物は市街でもやや小高い丘のうえに位置していたため,津波の浸水はぎりぎりのところでまぬがれました.そして震災直後から救急患者を多数うけいれ,災害医療,救命医療の中心として獅子奮迅のはたらきをすることになりました.
大震災からしばらくはわれわれも自らの医療に手いっぱいで,直接の被災地である沿岸部でたいへんな思いをしている同僚や後輩の先生方に何も手助けができませんでした.地震から2週間を過ぎ心身とも少し余裕ができるようになって,何かわれわれにできることがないかを考えました.被害が大きく被災人口も多い石巻地区は東北大学が主に支援を行っていたので,われわれは産婦人科学会からの公的支援が4月初めに終了した被災地の気仙沼市立病院に,数日間の交代で応援に行きはじめました.半分はこちらからの押しかけだったのですが(笑).
さらには全国からの支援を個人的なつてでお願いしたり,フェイスブックで呼びかけたりしました.以下の文章は2011年6月19日にフェイスブックに投稿した文章です.
その結果,上記の26名の産婦人科医師が,呼びかけに応じて個人の資格で応援に来て下さったのです.北は北海道から南は熊本まで,北米やバングラデシュの国外からもわざわざ気仙沼に来て下さいました.もともと時間的余裕のある産婦人科医など存在するはずもないのに,それでも遠い気仙沼まで,それもボランティアでお手伝いに来て下さったのです.またわれわれの宮城県立こども病院にも5名の先生がたがお手伝いにいらっしゃり,その人的余裕でわれわれも何回か被災地入りいたしました.仙台を経由せず直接現地に行かれた多くの先生方には直接お礼をする機会をこれまで逸してきましたので,ここで改めて心よりお礼を申し上げます.
フェイスブック上で呼びかけた気仙沼支援は,一応,2012月1月で終了といたしましたが,今回のネットワークは今でもわれわれも貴重な財産として生きています.ときに応じて今でもなされる励ましや情報交換は,このプロジェクトで生まれた人と人のつながりや絆といったものを実感させます.崩壊の危機に瀕した東北地方の産婦人科医療ですが,新たな再生は人と人のつながりの中から生まれてくるしかないことを確信しています.
今回の東日本大震災で経験したこと,あるいはそれに対する思いは,ひとりひとりそれぞれ千差万別だったと思います.少なくともわたしにとって地震直後の1週間は内面的な葛藤と試練の連続でしたが,その中で人と人とのつながりの重要性を再認識させられました.今は改めてまた亡くなられた多くの方々のために祈りたいと思います.
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気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた1(2011年4月〜8月)
気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた2(2011年9月〜)
カウンタ 6578 (2013年1月2日より)