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写真展終了とそれにたいするレスポンス

宮城県立こども病院での写真展 にたいするレスポンス

                                    (2012年3月1日 室月 淳) 

 写真展終了とそれにたいする感想

このプロジェクトは,震災のときのわれわれの働きのひとつの集大成,あるいは象徴としてわたしは捉えていました.

われわれも患者の殺到,ライフライン断絶,物資の欠乏などで苦労しましたが,最前線でない後方病院でしたから,被災者を直接救命したわけでもなく,この大災害の中で自分たちの使命を見失っていたのではないか,もっともっとできることがあったのではないかという思いにも捉われました.ただそういった困難な状況で,それでも新しく生まれてくる生命があった,その手伝いをしてきたという自負はありました.だからこそこの写真展こどはぜひとも実現したいものでした.

多くの人にインパクトは与えたと思います.展示スペースのところに感想を入れるポストでも作ればよかったなと今にして思いました.それでも院内の一般の投書箱にいくつか感想がありましたので,それをここに引用させていただきます.

「よく皆さん,がんばったと関心致しました.あたり前の事が一番幸せなのかなあと思いました.」

「いのちのたくましさを感じました.辛い気持ちになることの多い日々でしたが,喜びがあったことに心が救われます.みんな健やかに育っていってほしいです.」

「健康体の人でさえ地震ではパニックになりがちでしたのに,ましてや妊婦さんはどれだけ心細かったことでしょう.悪条件の中で分娩されたお母様方と,支えた周囲の方々に敬意を表します.」

「感動しました! お母さん方はがんばったんですね.」

「震災によってたくさんの命が失くなってしまった一方で,新たな命の誕生もたくさんあったのだと写真展を観て感じました. 当時,3月とはいえ,まだ雪の降る寒い中,ライフラインも断絶され,非常に困難な状況で,家族はもちろん周りの人々の協力など,みんなそれぞれのエピソードがあり,そんな状況の中でも生まれてきてきた赤ちゃん達がすくすく元気に育っていってくれればと願っています.」

「津波等で亡くなられた方のためにも,命を大切にして立派な社会人になってほしいですね.」

「3月11日にたくさんの不幸なことが起こり,そんなたいへんな中で,一生懸命生まれてきた命があったこと,それだけでもとても感動です.この子たちはわたしたちの希望だと思います.」

「赤ちゃんの笑顔はいつ見ても最高です! ただ「ハッピー」というタイトルには違和感を覚えました.こども病院には様々な事情を抱えた方がいらっしゃるので,中にはハッピーなことを直視できない(したくない)方もいるのでは・・・・・と思いました.」

「毎日,赤ちゃんは生まれているので,特別,この日だけ取り上げる.それは停電になったりいろいろありましたが,「ハッピー」という言葉に何か違和感がありました.」

「あの日,亡くなられた人々の方が多かったであろう「3.11」.あえてその日をとりあげて,ハッピーバースデー・・・・はないんでないかと思いました.私はちょっと「えっ!」と思いました.」

といったものでした.投書数がこのくらいでしたので,必ずしも一般的傾向を反映しているわけではないでしょうが,一部に「ハッピー」ということばに違和感を感じたり反発を感じる人たちが少なからずいることに,わたし自身も少なからずショックでした.これはもしかすると被災地の仙台だからこそなのかも知れません.

死者,行方不明者が2万人という凄惨な災害の中で,それでも新しい命の誕生があったということが,われわれの未来への希望の象徴であること,そしてわれわれはそれを一生懸命サポートしてきたことにひとつの意義を見出そうと思っていました.しかしいろいろな見方があることに改めて気づかされ,反省もさせられました.

 

 わたしの友人からのレスポンス

3月11日には多くの人たちがその命を失いました.その中にはもちろん妊娠中の方もいましたし,出産後に赤ちゃんと一緒に津波に巻き込まれ,母子とも亡くなった方も,赤ちゃんだけを失った方もいました.もちろん親を亡くした子どもも多かったと思います.3月11日に生まれた赤ちゃんは岩手,宮城,福島の被災3県で200人近くと聞いていますが,もちろんその日に命を失ったかたの人数が圧倒的に多いのはもちろんです.

ですから「ハッピーバースデイ 3.11」ということばを使うのは少し無神経だったかもしれない,配慮が足りなかったかもしれないと反省しています.そのことばで傷つくひとは間違いなくいたのですから.しかしわれわれは同時に未来に希望をもって生きていきたい.産科医としてのわたしができたことのひとつが,この未来への希望としての赤ちゃんの出生のお手伝いだと思っています.

上記のわたしの書き込みについて,複数のわたしの友人から反応がありました.ご本人の承諾をいただいて,ここにそれを引用,紹介させていただきます.

涌谷 桐子 先生(沖縄県立宮古病院女性相談室)

ハッピーバースデー3.11が、全国の方に与えた、感動は本物であったと確信しています。また、いつかどこかで起こるであろう、大災害のときに、自分たちは、赤ちゃんを守りきれるかどうか、よ〜く考えて見よう、というメッセージも伝えていると思います。

何もなく助かった命ではない。また、直後ではなく、元気に大きくなっている赤ちゃんたちであることも、重要だと思います。この赤ちゃんたちがここまで成長するまでに、どれだけの親の愛情と努力が、また周囲の人達の支援があったからだったのではないかと、...想像しています。無事生まれても、その後、充分な栄養がなかったり、感染症になったりして、命を失うことも充分あり得ることです。それを、生き抜いてくれたこの赤ちゃんたちがいる、ということは、希望以外の何者でもないと私は感じます。

一方で、「ハッピー」という言葉に、違和感を感じられる方もいると言うことは、驚きでもあり、なにが今現在も起こり続けているのか、ということを忘れてはならないと言うことなんだな、ということですね。

2011年3月11日に生まれ、元気に育っている赤ちゃんたちは、私たちの希望で有り続けると思います。

これをハッピーバースデーと言えなければ、進んでいけない。。。

喜吉 賢二 先生(兵庫県立こども病院)

遠方で拝見することはできなかったのですが、成功裡に終了おめでとうございます。youtubeの動画を何回も繰り返し拝見し、強いメッセージを感じております。「ハッピー」に対する違和感、言われてみれば確かに、つらい経験をされた方にはショックなのかも、、、。私も阪神大震災のとき、あまりめでたい言葉はいちいち考え込んでしまうこともありましたし。広義のPTSDでしょうか?

でも、この生まれたこの子供たちに対しては掛けてあげたいことばです。今は考え込んだり、涙しながら、「ハッピーバースデー!」と言ってあげるひとも多いと思います。、いつか近い将来、皆が心の底から幸せな気分でこの子たちに「ハッピーバースデー!!」と言って上げれるようになることを祈っております。

震災当時から仙台で取材している知人の新聞記者さん

拝読して、被災地のあちこちで聞く同じような話と、とても似ていると感じました。

全くの善意でやっている行為や、まっとうなメッセージも、うまく伝わらない相手はどうしても残ります。たとえば、「絆」とか「日本は一つ」といった巷にあふれる言葉に、違和感を覚える人はたくさんいます。ボランティアが被災地でいろんな復興イベントをやりますが、「元気をもらった」と笑顔で言っている被災者ばかりではありません。一度も参加しない人もたくさんいます。前向きな「復興」という言葉にさえ、まだ「復旧」の途上なのに、と疑問に思う人がいます。

僕自身、よくテレビインタビューの受け答えで、被災地に支援に来た外部の人が「逆に元気をもらいました」という言葉に、反発を感じます。そこに、「元気を失った被災者を励ましに来てあげた」という、一方的な目線を感じてしまうからだ、と最近気づきました。どんなに気をつけたとしても、僕自身、取材時の言動や記事で、反発をまねている部分があると思います。

被災直後は同じ方向を向いていた、気持ちが重なっていた人たちが、時間を経て少しずつバラバラに分かれていく感じがします。でも、それでいいのではないか、とも思います。個人的には、気持ちがぴったり重なる方が、かえって奇異な感じがあります。そのうえで、相手の気持ちを推し量る姿勢をいつも忘れないようにしたい。「ハッピー」をめぐる指摘で、あらためて、そう感じました。

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カウンタ 931 (2013年3月12日より)