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感謝の言葉

感謝の言葉   宇賀神智久先生(気仙沼市立病院産婦人科長)

宇賀神先生(前列左)と病棟スタッフ

東日本大震災時に応援に来ていただいた先生方、本当にありがとうございました。室月先生のFacebookからの呼びかけにこんなにもたくさんの先生方が応じて下さり、あの時の我々にどれだけのゆとりになったかと思うと感謝しても感謝しきれません。またFacebookを通じて今でも当時来院頂いた先生方と繋がりを持てていることに、まさに「絆」を感じられるのであります。災害が起きた時、最後の砦となり人々の健康を守れるのは我々医療従事者です。今回医師としての使命感を強く感じさせられるとともに、全国に熱い志をもった仲間が多数いるということに胸が熱くなりました。私は医師になって、産婦人科医になって本当によかったと心の底から思います。この気持ちを生涯忘れずに、今後も産婦人科医を続けていきたいと思います。

2011年3月11日の東日本大震災から間もなく2年が経とうとしています。現在の気仙沼は概ね平静の生活を取り戻して来ていますが、仮設住宅暮らしの方もまだたくさんおり、復興への道のりはまだまだ長いのが現状です。当院産婦人科は常勤医2人体制で昨年は年間449件の分娩がありました。被災した分娩取扱い施設が現在も分娩を取り扱っていないため、気仙沼地域の分娩は全て当院で対応しています。何とかこの地域の周産期医療を守っていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。  (宇賀神智久)

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以下の写真は宇賀神 先生よりご提供いただいた大震災直後の気仙沼市立病院の記録です.今後のための貴重な資料になると思いますので,ご許可をいただいてここに掲載させていただきました(室).

午後3時30分 病院のすぐ手前にまで津波が押し寄せる

津波で漁港にあった重油タンクが流され、大規模な火災が発生した

火災は夜になっても勢いが衰えず、不安な一夜を過ごす

市内を流れる大川は瓦礫で埋め尽くされた

港に打ち上げられた巨大なタンカー 津波の脅威を実感

救急外来前にトリアージテントを設置

次々と運ばれる患者(外傷が主)

自衛隊のヘリで患者を搬送

DMATの応援医師達とのミーティング

急患室はトリアージ赤

外傷系が多く整形外来前トリアージ黄

病院正面待合はトリアージ緑

待合にソファーで簡易ベッドを作り対応

徐々に支援物資が到着

自衛隊,消防隊などとのミーティング

医局での当院医師ミーティング

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気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた1(2011年4月〜8月)

気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた2(2011年9月〜2012年1月)

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カウンタ 6812 (2013年1月25日より)