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震災日記2

震災日記2(2011年3月18日〜31日)

このページは、本ホームページの管理人である室月淳の、東日本大震災後の日々ひとりごとを書かせていただいています.地震後の最初の1週間が過ぎ,少しずつ病院外の状況にも目が向くようになりました.

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現時点での最大の問題? - 2011年3月18日(金)

今われわれにとって最大の問題は,ガソリンがないことです.ガソリンがないので薬やサプライ,リネン,食料などといった消費財が補給されない,職員が出勤できずに診療所も閉鎖,患者も病院に来られないという感じです.またガスが止まっているので,病院内も夜は凍えるような寒さです.

病院の食堂のおばちゃんたちが頑張って,どこからか多量の米を調達してきて,昨日夕から1時間限定で食事を出すようになりました.おかずは,昨日は切干大根ときんぴらごぼう,今日は手羽先とひじきでしたが,とにかくごはんだけはどんぶりで食べられますし,久しぶりに満腹となりました.

満腹となるとなんだか問題の半分以上は解決したような気分になっています.つい数日前のわたしの飢餓感の正体は心理的なものに過ぎないことは間違いなく,自分の精神の脆弱さに今はホトホトあきれています.深刻に反省しているところです.本当に自分が恥ずかしい...........(赤面)

この1週間たくさんの先生方からお見舞いのメールをいただいて,あまりに多くてあまりご返事を書けないでいるのが申しわけなく思っています.がんばれという文面のメールがいちばん多いのですが,でもそういったメールの文章を読んでいていちばん励まされるのは,意外にもその行間からユーモアが漂ってくるものでした.

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各地の病院からの音信 - 2011年3月18日(金)

大地震から1週間がたちました.この1週間,被災地の最前線の病院,後方支援病院,開業診療所,大学病院など,それぞれの施設がそれぞれの状況で戦ってきました.苦しい状況の中でみなががんばってきたのです.

ようやく電話やネットなどが復旧し始め,あちこちの状況が伝わってくるようになりました.某地域病院で産婦人科科長をしているわたしの友人からのメールを,以下に引用させていただきます.

「I病院のSです。

連絡が大変遅くなりご心配とご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありません。当地区はA病院、B病院、C先生、D先生、E先生何れの先生方も無事で診療にあたっております。ご安心ください。

さて、当院の現状ですが、震災後も病院はほとんど無傷でしたが、ライフラインと諸々の物資不足により、手術対応が不可能な状態でした。

本日になり電気、水のライフラインが復旧いたしました。それに伴い諸々の物資不足は変わりませんが、帝王切開手術に関しては出来るとこまで対応するということで病院側の了承を得ました。従って産科診療は従来通りで継続可能になりました。

11日からここまで分娩13件、帝王切開2件に対応しました。本日もこれから2件の帝王切開を行います。また沿岸地方よりの被災妊婦は本日まで7名来院しています。ガソリン不足により通院不可能な満期の妊婦に対しては、隣の体育館を市に避難所指定を要請し収容可能にしました。

新生児科の協力もあり当地区の周産期医療は十分継続可能です。先ほど大学病院からY 先生、S両先生が応援に到着し感動しました。

I病院産婦人科は機能しています。どうかご安心ください。」

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東北大学病院3号館 - 2011年3月19日(土)

午前中は地震以来はじめて東北大学病院によってきました.教授,医局長と,情報交換および今後のことについて相談しました.現在,大学病院が情報と支援物資の集積,配分の拠点となっています.病棟のナース控室でカレーライスをごちそうになってきましたが,当院と比べて明らかに食料が豊富にあって,スタッフのQOLが高いそうなのがうらやましかったですね(笑).

各地からの支援物資が大学病院に集まってきており,これから各地のニーズに合わせて届けられる予定です.その中にわたしの友人から送られたお産セットや分娩キット,ドレープなどがあるのを見つけました.確かに仙台まで届いています.うれしくて思わず目頭が熱くなりました.S先生,ありがとうございました.

産婦人科医局がある医学部3号館には,教室の好意で准教授室にわたしのデスクがまだあるのですが,余震によって倒壊のおそれありということで立ち入り禁止となっていました.とりあえずこっそり入り込んで必要なものだけを持ち出そうとしましたが,8階まで階段を4往復して運んだところで力尽きました.いやあ,本っていうのは重いこと重いこと,明日はおそらく筋肉痛です.

階段は暗く,懐中電灯を点しながらだったのですが,上から一階までずっと血痕が点々と続いているのに気がつきました.たぶん地震によってけがを負い,出血しながら階段を下まで逃げた人がいたのだと思います.リアルな情景でした.

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石巻,気仙沼の産科医療支援について - 2011年3月19日(土)

宮城県の産婦人科の現状として,石巻,気仙沼が壊滅的な打撃を受け,妊産婦や患者がそれぞれ石巻赤十字病院,気仙沼市立病院に集中しています.物資と人の継続的な援助が必要な状況で,とりあえず東北大学病院が中心となって交代で産婦人科医師が応援に行っています.

沿岸地方ではこの2か所以外の病院,診療所はほぼ全滅し,復旧の見通しはまったく立っておらず,この状態は長期化しそうです.現在,日本産科婦人科学会が中心となって,産婦人科医師の継続的派遣を行うことになりました.

宮城県には昭和大グループが本日入る予定で,東大グループも数日以内に来て,1-2週間で人が交代しながらしばらく診療応援を続けてくれる予定になりました.岩手県には順天堂大グループが応援予定です.いずれにしろ長期の安定した診療応援をいただけると聞いています.

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これからわれわれに何ができるか - 2011年3月20日(日)

この10日間は,分娩ができなくなった診療所からの患者受け入れ,バックアップなどに忙殺されていましたが,仙台市内の電気,水道などの復旧によって周囲の病院,診療所も徐々に機能を回復してきました.当科もまだまだ余裕のない日々ですが,忙しさのピークは過ぎつつありそうです.

もちろん今回の多くの犠牲者のことは忘れられませんし,石巻,気仙沼などの最前線の病院で戦っている同僚たちの苦労はまだまだこれからなので,ただホッとしているわけにはいきません.これから自分たちに何が出来るかを考えています.今後の復興のためにいずれにしろ息の長い努力が必要となってくるでしょう.

被災地への物資の補給やライフラインの復旧が進んでいます.当面われわれが考えなければならないのは石巻,気仙沼の病院への人的応援,逆に避難所にいる妊産婦のケアおよび当院への受け入れ,といったところでしょうか.さらに今後は,被災地の周産期医療の長期的視野からの立て直しを考える必要がありそうです.

今のわれわれに何ができるか? 自分たちの身の丈にあった,息の長いお手伝いをするためにはどうしたらいいか? 若干の焦燥感を交えつつ,今,それを考えているところです.

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国立成育医療研究センターへの支援依頼 - 2011年3月21日(月)

もともと当科は4月から医師がひとり増員の予定で,都立病院の医師が新たに赴任する予定だったのですが,今回の震災のために引越しもままならず,しばらく延期になりました.現在,大学病院からI先生の応援をいただいていますが,それも近々お返ししなければならないでしょう.

一昨日,国立成育医療センター集中治療科の先生が視察に見えられました.そのとき成育医療センターの総長先生が今回の震災支援に非常に前向きとお聞きしました.そこで被災地支援として,ある程度の期間,医師を応援で送っていただけないか頼んでみることにしました.

もちろん当院は震災の最前線地ではなく,忙しくなったとはいえ通常の産科業務であり,災害支援ボランティアのつもりで来られると期待はずれになるかも知れません.ただし東北大学病院と調整して,応援で得た余力で被災地の病院に支援することを考えています.

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成育医療センターからの返事 - 2011年3月22日(火)

成育医療センターの部長先生に支援のお願いのメールを昨日送ったところ,本日正式に承諾のご連絡をいただきました.被災地支援の一環としての正式な協力として,とりあえず4月4日より1か月間,産科医をひとり派遣していただけるそうです.本当に感謝の念でいっぱいです.

宮城県の今後の産科医療を長期的に見据えて,われわれの立場で何ができるかをじっくりと考えていきたいと思っています.また派遣される医師をとおして,成育医療センターの周産期医療のいいところを学ぶことができればと願っています.

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全国から届いたお見舞い・励ましメール - 2011年3月23日(水)

時間的にも精神的にも少しだけ余裕ができたので,これまで全国の友人知人からいただいたお見舞いのメールを改めてチェックしてご返事を書きました.20数通という数になりました.

たいへんだったときにこういった友人からのメールにどれだけ励まされたかことばに言い尽くせないものがあります.メールが不通だった地震後の数日間が非常に心細く不安だったかを思い出せば,そのことはより一層に明瞭となります.

この場を借りて改めてお礼を申し上げます.本当にありがとうございました.

でも多くの友人は勘違いしてると思うんですね.みんなテレビなどで繰り返し流されている地震や津波の映像や,被災地の悲惨な光景をわたしの方に重ねてイメージしているのではないかと思います.確かに震災後はたいへんでしたし忙しかったですが,いわゆる被災地から離れた後方支援の仕事ですから,あまり同情されるのも何だかなあという感じ(笑).

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ありがとう,I先生 - 2011年3月24日(木)

震災後の診療の忙しさもどうやら峠をこえたようです.一時期,閉鎖した市内の診療所の妊産婦が殺到しましたが,そういったところもライフラインの復旧とともにほぼ再開となったので,当科の忙しさもだいぶ落ち着いてきました.

震災後の3月14日から当院の応援に来てくれていたI先生ですが,自分の職場の病院が来週より通常の診療体制に戻ることになったので,当科のお手伝いは本日で最後ということになりました.食糧不足,ガソリン不足といった最悪の環境下で,忙しい毎日を手伝っていただいたことに本当に感謝しています.

先生とは苦楽をともにした紐帯を強く感じています.落ち着いたら一度みなで慰労会をやりましょうね.

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震災後2週間 - 2011年3月25日(金)

震災からちょうど2週間がたちました.スーパーマーケットの棚にはまだ空きが目立ちますが,ようやく行列をつくらずに食料品を買えるようになりました.外食のレストランなども再開するところが出てきています.しかしガソリンスタンドでは相変わらず長い列をつくっていて,いまだなかなか手に入りません.ガソリン不足のために物流が改善せず,それが災害復興の足を大きく引張っています.

ガソリン不足のために妊婦健診に来られない妊婦さんがかなりいます.われわれも夜間,休日といつでも呼び出しがかかる可能性があるため,いつでも病院に直行できるように,最後の一,二往復分のガソリンを残したまま,車を自宅に置きっぱなしです.通勤は日によって徒歩かバス,あるいは他の先生との相乗りなど何とか工夫しています.

自宅の部屋の本箱から崩れたおちた本やファイルなどをようやく片付けました.本の山の中から出てきた長宗我部友親の「長宗我部」を,いつ来るかわからないバスを待ちながら読んできます.著者は長宗我部氏の直系であり,帰化人の秦氏から数えれば70代という気の遠くなるような家系の歴史が書かれている本です.おもしろくて外の憂き世が忘れられます.

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沿岸部の産婦人科医療の復興 - 2011年3月26日(土)

被災地の病院や避難所ではまだまだ混乱が続いていますが,震災後2週間が過ぎ現地も少しずつ落ち着きを取り戻してきました.しかし周産期医療の復興に向けて問題は山積みです.

宮城県を例にとると,沿岸の石巻市や気仙沼市の診療所が壊滅し,現在,残った石巻赤十字病院と気仙沼市立病院に妊産婦と新生児が集中しています.石巻には7か所,気仙沼には2か所の診療所がありましたが,お年のこともあって多くの先生が廃業を考えており,場合によっては産婦人科医すらお辞めになられるかも知れません.

今後,それぞれの公立病院の負担がかなり長期にわたって増加することになりそうです.産婦人科の医師もスタッフもベッドも増やさなければいけないでしょう.しかし,もともと宮城県内の産婦人科医がまったく足りなかった状況ですから,産科医定員を増やしたところで大学からの派遣も難しく,公募にしても充足させるのはなかなか期待薄です.

今後,国や自治体が資金を投入して復興を目指すことになるのでしょうが,地域医療,中でも周産期医療を再建できなければ,石巻,気仙沼といった沿岸地域には人が戻ってこないでしょうし,そうなれば単なる過疎地の廃墟と化してしまいます.

今は全国的に支援の機運が高まり,物資と情報が多く届くようになって,感謝の言葉もありません.しかし本当の問題は今後5-10年のスパンで存在しています.全国各地から産婦人科医の応援をいただいていますが,それが少しでも長く続けていただけるよう心よりお願い申し上げます.

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家族と一緒の週末 - 2011年3月27日(日)

仙台のこの週末は寒く,今日も外は微かですが雪が舞っていました.この寒波が過ぎれば,あとは少しずつ暖かくなっていくでしょうが,避難所の方々のつらさが思われます.

今日の夕方は,震災後初めて家族で繁華街である一番町に出てみました.日曜日の夕方とはいえ,ふだんよりも全体的に暗く,人出も少ない印象でした.牛タンで有名な「利休」が開いていたので,しばらくぶりに本当においしいものを食べることができました.ガスはまだ復旧していないので,本当に炭火で調理しているようです.

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震災による東北地方の産科医療の危機 - 2011年3月28日(月)

3月11日に東北地方を中心に大きな地震と津波が襲いました。東北地方の産科医療は、その前から産科医師不足によってギリギリの状況にありましたが、この大震災によって致命的な打撃を受けています。

宮城県や岩手県の分娩を取り扱っている地域の基幹病院は,この10年間でギリギリまで集約化が進んでいて,これ以上は減らすことのできない状態です.少数の開業診療所がその周囲にあり,ある程度の役割分担を果たしてきたのですが,今回の震災でその診療所の多くが廃業の危機に陥っています.場合によっては産婦人科医すらお辞めになられるかも知れません.東北地方の産科医不足にはますます拍車がかかっています。

もっとも重要なのはこの地域の医師の絶対数を増やすことです.そのために被災地の医療再建を直接の目的とした医科大学の新設を訴えたいと思います.

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マクドナルドハウス - 2011年3月29日(火)

被災地には避難所や自宅で暮しながらお産を迎えようとしている妊婦さんが多数います.ガソリン不足や車自体を失って妊婦健診にも満足に行けず,また通院していた産婦人科診療所が閉鎖してしまったりして,陣痛開始後に飛び込みのように病院を受診することがしばしばです.いわゆる出産難民です.

これまで当院は,後方支援病院として被災した妊産婦,乳幼児を積極的に受け入れてきましたが,今回,分娩が近づいた妊婦さんが病院近くに泊まって分娩を待てるように,宿泊施設を確保いたしました.マクドナルドハウスというもともと病院に近接してある専用宿舎で,妊産婦の利用は規約外と断られていたのですが,今回の特殊事情を鑑みてOKをいただきました.

産後の住居の確保や生活の継続的支援といったところまではもちろん一病院としては難しく,行政の支援に頼らざるを得ないのですが,安心してお産のできる場の確保だけはぜひとも実現したいと思っています.

マクドナルドハウス.宮城県立こども病院から歩いて5分くらいのところです.

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もっとも悲しい外来 - 2011年3月30日(水)

今日はこれまででもっとも悲しい外来でした.当院で自然分娩し7日に退院された方が,たまたまご実家に赤ちゃんを連れて里帰りしていたときに,11日の地震と津波に巻き込まれてしまいました.赤ちゃんを抱っこしながらタイヤにつかまって漂流しているうちに,赤ちゃんはどんどん冷たくなっていったそうです.

1時間ほどで潮が少し引いたところでたまたま近くにいた男性が救助されましたが,そのときはすでに手遅れでした.津波の第二波が来るので一切のものを持たずにとにかく大至急避難せよという指示で,泣く泣く赤ちゃんをその場に置いていかなければならなかったそうです.

翌朝かけつけたご主人と避難所で会え,また幸運にも赤ちゃんのご遺体も見つけることができました.その足で当院外来を受診して死亡確認となりました.心停止の赤ちゃんが来るとのことでわたしも救急外来に応援に走ったのですが,悲しい再会となりました.

本日は産褥1か月健診の日でした.

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胎児手術後の妊婦さん - 2011年3月31日(木)

震災前の3月3日にFLP(胎児鏡下胎盤吻合血管レーザー凝固術)を行った一絨毛膜双胎の妊婦さんが,本日当科を退院して秋田の病院に戻られました.通常は術後2週間くらいで退院することが多いのですが,交通機関が完全に麻痺し,ガソリンも手に入らない期間が続いたため,これまで入院して様子をみていました.

震災後のたいへんだった時期を経験した妊婦さんです.地震の揺れそのもののほかに,停電で夜は真暗な病棟,非常食が中心の貧しい入院食,ガスが止まって本当に寒い夜間などいろいろなことを経験した「同志」でした.

これからの妊娠分娩経過が順調でありますように.

胎児鏡下に胎盤上の吻合血管をレーザーで凝固焼灼しているところ

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カウンタ 3665 (2011年8月1日より)