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震災日記1

震災日記1(2011年3月11日〜17日)

このページは、本ホームページの管理人である室月淳の,東日本大震災後の日々のひとりごとを書かせていただいています.震災後の最初の1週間はもっとも苦しくたいへんな時期でした.

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地震発生 - 2011年3月11日(金)14時46分

14時46分,地震発生.ちょうどデスクでメールの返事を書いていたところでした.

病院の建物は最新の免震構造のためか,驚くほど大きな地震という感じはありませんでした.ただやたらにいつまでも揺れが長く続くなという印象でした.わたしの本箱から1,2冊の本が落ちた程度であり,これは自宅では本箱からほとんどの本が床に落ちてちらばっていたのと好対照でした.

揺れがおさまったところで,書きあげていたメールの返事を送信してから席をたち,階上の産科病棟に向いました.決して落ち着いていたから急がなかったのではなく,ただそのときはまだこの地震の深刻さを少しも予想していなかったからです.

院内は一度すべての電灯が消え,非常用の自家発電が立ちあがって非常灯がつきました.電気とガスが停まりましたが,水の方は大丈夫のようです.

産科病棟に特にトラブルや問題はなし.NICUの方もまわりましたが,新生児科医が総出で新生児の状態確認とレスピレータやモニタの点検を行っていました.人手が必要なときはいつでもどうぞと声をかけて出ました.

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地震の中のNICU - 2011年3月11日14時46分

当院形成外科のS先生が,NICU入院中の児の写真を撮ろうとカメラを用意したところ,ちょうどそのとき地震が襲いました.地震の真最中のNICUを撮った貴重な写真を,S先生のご許可をいただいてアップさせていただきました.

NICUのスタッフがクベースとレスピレータを必死になって押さえています.一度電源が落ちて非常用に切り替わって,モニターのアラーム設定がリセットされたため,NICUのあちこちでアラームが鳴り響いびいています.新生児科のTS先生がアラームを止めようと手を伸ばしました(左奥).

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停電による危機 - 2011年3月11日(金)夜

電気,ガスは停まっていますが,水道と酸素供給,そしてネットは奇跡的にOKのようです.病院の建物はいくつか軽い被害がありましたが,今のところ院内での事故やけが人はありません.救急外来に地震による外傷の方(ただし大人)が数人来たそうです.

重大なことが判明しました.院内の自家発電はガスで動いているとのことで,今残っているガスがなくなれば,院内の電気がすべて停まることになります.電気が完全に止まった場合には,NICUやICUなどのレスピレータとECMOを手押しするために,NICUを初め病院のスタッフ多くが泊まり込むことになりました.節電のため病院全体を暗くしており,院内もだいぶ寒くなっています.

先ほど東北電力の発電車が来てくれて,レスピレータとECMOを動かすだけの最低限の電力は,自家発電が停まっても何とか明朝までは供給できると連絡が入り,院内に少しだけ安堵の空気が流れました.いずれにしろ最大の問題は電力がいつ復旧されるかということです.

本日日中に行われた心臓外科術後の子が緊急手術が必要ということで,ICUに緊張の空気が漲り,多くのスタッフが集まり始めたところです.これからICU内で再開胸が行われます.

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ナースステーションでの夜明かし - 2011年3月12日(土)未明

余震が頻繁に続いています.節電のために院内は暗く,室温もだいぶ下がってきました.

医局も当直室も真暗のために何もできないので,唯一,明かりのあるナースステーションにパソコンを持ち込んでたまっていた仕事をしようとしましたが,院外の状況が気になってあまり集中できません.病棟の非常用ラジオ(手回し発電)をつけっ放ししてニュースを聞いていましたが,未確認の伝聞情報が繰り返されるだけで,被害の全体像がよくつかめません.ただどうも容易ならざる状況のようです.

沿岸が津波で大きな被害を受けたといううわさを聞き,お世話になっている石巻の開業医の先生に安否確認とお見舞いメールを出しましたが,返事はいまだ返ってきません.

もし完全停電の下で分娩介助をしなければならなくなったときのために,病棟中の明かりと懐中電灯を集めて用意しました.

停電のため暗いナースステーション

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地震翌朝 - 2011年3月12日(土)午前

産科入院や分娩など特別のこともなく夜が明けました.朝方,病院の周囲の見回りも兼ねて,近くの産婦人開業の先生を訪ねました.自家発電で1-2日は特に問題ないとのこと.電話が不通なので緊急のときの対応の打合せをしました.

土曜日の早朝ということもあって人も車も少なく,町中も平穏ですが,24時間営業のはずのコンビニエンスストアは閉店しています.昨夜自宅に帰った同僚の話だと,深夜のコンビニエンスストアに人が殺到し,多量に買い込む客が出てきたりして,かなり不穏な空気が流れていたそうです.

午前中に震災対策会議が招集され,関係職員が集まりました.電気,ガスの復旧の見込みなし.パイプの中に残っているガスで自家発電をしており,現在の電気の使用状態であれば1-2日は持ちそう.入院患者の食事は,非常食を用いて3日分を確保しているとのことです.

病院の被害はほとんどありません.唯一,正面玄関前のロータリーの歩道にかかっていた屋根がみな落ちたくらいです.幸いにもけが人はありませんでした.

正面玄関前のロータリーの落ちた屋根

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不気味なほどの静けさ - 2011年3月12日(土)午後

嵐の前の静けさなのでしょうか? 病院の周囲はいつもの週末と同じく平穏で,空は澄み渡っています.一般救急外来には何人か来院者がいますが,通常と比べてそれほど多いわけではないようです.産科は外来も陣発入院もありません.

携帯も固定電話も通じず自宅からの呼び出しが効かないため,産科医師3人のうち常時2人が病院内に待機するようにしました.しかし院内にいてもほとんど何をすることもありません.本を読もうとしてもとても集中力が続かないので,臨時の対策本部となった会議室に何となく詰めていました.

自家発電の燃料がいつ切れるかわからないので,病院内の消費電力を最小限にまで抑えています.パソコン,自動販売機,ポット,テレビなどいったあらゆる電気製品のコンセントを抜いて節電していますが,院内で唯一会議室にテレビをおいてニュースを見られるようしています.

テレビからは「沿岸部は壊滅状態だ」,「海岸で200体以上の遺体が散乱している」,「建物の3階まで浸水した」といったような断片情報ばかり流れ,余震がたびたび起こることもあって,時間とともにいら立ちや焦燥感といったものが募っています.

会議室に集まってテレビのニュースに見入るスタッフ

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溺死した赤ちゃん - 2011年3月12日(土)午後

心停止の赤ちゃんが来たとのことで救急外来に走って行きましたが,すでに昨夕に亡くなった赤ちゃんの死亡確認のための来院でした.ところが・・・・・・・・そのお母さんに見覚えがあります.10日ほど前にうちでお産をした方でした.

一緒に津波に巻き込まれ,お母さんだけがかろうじて救助されたとのことです.お父さんとお母さんが泣いていて,あまりのことにかけることばもありません.

津波による大惨事がテレビの中だけでなく,現実に,すぐそばで起きたことが戦慄とともに実感されました.

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あると重宝するもの - 2011年3月12日(土)夜

手回し発電によるラジオと携帯電話の充電器.ただし完全に充電するにはかなりの体力が必要(笑).懐中電灯と乾電池はいくらあっても多すぎることはありません.

電気,ガスがない状況では湯が手に入らず,カップラーメンは非常食としては不適切なことがわかりました.逆にアルファ米は水でもOKであり,とてもおいしく食べられました.これはグッドですね.

お湯が出ないためにがまんして水のシャワーを浴びました.冷たいシャワーを浴びている感じは,遠い昔に小中学校で受けた水泳の授業の記憶を呼び起こします.

手回し充電で働く懐中電灯とラジオ.震災の長期停電時に重宝します

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地震2日目 - 2011年3月13日(日)午前

固定電話や携帯電話がまったく通じず,むしろ今のところパソコンを使ってのメールやフェイスブックなどが自由に使えます.仙台の特に被害の大きい東部の状況は,地元のここでもラジオやインターネットを経由した全国情報でしか入ってきません.

地震直後に隣近所の大人のけが人が受診した以外には,いまだほとんど急患らしい急患はきていません.どうも周囲はたいへんな被害状況らしいのですが,仙台西部の郊外の当院は,情報のエアポケットに入っているのか,不気味なほど平穏です.何かわれわれにできることがあれば動きたい,みながそう思っています.

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Y教授の来院 - 2011年3月13日(日)夜

電話,メールが不通で,インターネットも昼前に使えなくなり,病院から外に出られないわれわれには,他の医療施設とのコミュニケーションが難しくなっています.仙台市内の産科医療がどうなっているかがまったく把握できません.孤立感があります.

18時くらいに大学病院産婦人科のY教授が突然来院しました.当院の状況を確認を説明しました.市内の産婦人科診療所が,電気,水道などのライフラインの途絶により分娩取扱いができなくなってきているため,仙台の北部と西部の3か所の診療所の分娩を当院で受けてほしいとの依頼がありました.

もし受診した妊産婦がハイリスクのときは,そのまま山形県内の周産期センターに転送しても構わないとの指示です.当面の間,こちらに来る妊産婦はすべて受け入れる覚悟を決めました.今後どこまで分娩数,入院数が増えるかは未知です.

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電気の復旧 - 2011年3月14日(月)朝

本日未明に病院の電気が回復しました.周産期センター内の照明がついたときは,深夜にもかかわらず周囲から歓声がわきました.

朝の病棟回診前に,今後はしばらくの間,当科のベッドなどのキャパシティに関係なく,指定された3か所の開業診療所の妊産婦はすべて受け入れることを病棟スタッフの前で宣言しました.みな緊張して悲痛な面持ちです.

今日から大学病院からの応援のI先生がいらっしゃいました.当面の間お手伝いいただけるとのことです.

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たくさんの励ましのメール - 2011年3月14日(月)夕

本日午後にネットが復旧しました.その間多くの方々からお見舞いや励ましのメールやコメントをいただきましてありがとうございました.ひとりひとりにご返事をお返しできないことをお詫び申し上げます.

状況は徐々に厳しくなってきています.仙台市内では分娩取扱いを停止する診療所が増え,そこから妊産婦がどんどん来院してきます.病院間の通信手段が途絶えているため,陣痛開始してから飛び込みの形でやってきます.

飛び込みの産婦さんに聞いた話では,電話が通じないため直接診療所に行くと,玄関に「宮城県立こども病院でお引き受けしますので,直接受診して下さい」といった感じの貼り紙がしてあるそうです.

ガスが止まってオートクレーブが動かず,分娩セットも水洗い,アルコール消毒でまわしています.薬や医療材料,リネンも厳しくなってきました.職員の食事も満足に出ていませんが,被災地や避難所の被災した人たち,そして現場でがんばっている石巻や気仙沼などの病院のことを思い,みなが我慢している状態です.

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次々に飛び込んでくる分娩 - 2011年3月15日(火)午前

現在,市内3か所の診療所の外来,分娩をすべて当院で引き受けています.昨夜から今朝にかけて,電話不通のために事前連絡なし(飛び込み)で来院したのは,陣痛発来が4件),救急車2件です.

当科のM先生,S先生,応援のI先生,そして病棟の助産師,看護師スタッフがよくがんばっています.次々とくる患者をトラブルもなくどんどんこなしています.「こども病院」として少数のハイリスクの妊娠分娩をみるという特殊性をもった産科でしたが,こういった非常事態で数多くのローリスク妊産婦を扱う日が来るとは思いませんでした.この経験はわたしたちにとって大きな財産になることは間違いないでしょう.

当院の現状は昨日に電気が回復しました.ただしまだ電力供給が不安定のため,院内の使用電力は極力絞っており,診療情報システムやCT, MRIなどは稼働していません.手術室は必要最小限(1列)しか稼働しておらず,他の外科系救急との兼ね合いで帝切があまり自由にできません.

電気使用が制限され,またガスによるオートクレーブが動かないため,器械の滅菌ができません.帝切,分娩の各器械セットが残り少なくなっており,いちばん苦慮しています.あとは水洗いで対応することになるかも知れません.分娩を停止した他施設から,分娩セット,帝切セットをお借りすることを考えています.

また困っているのは薬,点滴,リネンといった消耗品,それからわれわれスタッフの食料に不自由していることです.物流の回復を一刻も早く願っています.

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食べものがない - 2011年3月15日(火)昼

地震の11日から病院への泊まり込みが続いています.2回ほど家族の顔を見に,それから手に入れた食料と水を運ぶためと着替えを取りにちょっとだけ帰りましたが,あとはずっと病院内にいます.

多くの人間が泊まり込んでいるため,昨夜は医局のソファーで寝ました.かなり冷え込んだためによく眠れず,今朝の体調はあまりよくありません.地震直後から張りつめた状態が続いていたためか,ここにきてかなりの疲れを感じています.

特につらいのが院内に食べものがないことです.事務の方々が食料を手に入れるために四方八方で手をつくしていますが,今朝からは付き添いのご家族にも食糧を差し上げられなくなりました.もちろん入院患者を欠食するわけにいかないので,われわれのところにはほとんど回ってきません.職員は自力手配といわれています.自分ひとりだけならばがまんすればいいのですが,大学からの支援の先生に昼食を何も用意できないのは申しわけないものがあります.

病棟スタッフがどこからかお菓子類を出してきます.お菓子で空腹を紛らわすこの1, 2日です.カロリー計算をするとこれが結構高いんですよね(笑).マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」ということばを思い出して,ひとり笑いをしています.

病院スタッフのために集められた食糧.これを200人以上で分け合うことになります.

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S先生への返信 - 2011年3月15日

S先生:

お見舞いのメールをいただきましてありがとうございました.

2日半あまりの間インターネットが途絶していて,とても不安な気持で働いていました.こうしてネットが復活して,全国の友人知人とメールやフェイスブックでつながると,それだけでとても励みになります.それだけでも大きな助けです.

ですから先生にお願いしたいことは,公式非公式にいろいろと発言していただき,われわれの状況をみなに伝えていただきたいことです.

現在,仙台市の診療所が次々と機能を停止し,お産難民がこちらに殺到し始めています. 当院産科はもともと特殊な機能を求められているため,通常の分娩や帝切を数多くこなすようにはまったくつくられていません.しかしスタッフ一同団結して,何とかこの苦境をのりこえようとしています.

先生からの応援メールをいただいてわたしにとって大きな励みになりました.ありがとうございました.

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泣きごと - 2011年3月15日(火)夕

今いちばん困っていることは.............恥かしながら空腹であることです.何しろ物流が止まっているので院内ではいっさい食物が手に入りません.入院患者(妊産婦,こども)を欠食にするわけにいきませんので,事務方が必死になって市内を走り回って調達しています.ガソリンが乏しくなっているため泊まりこんでいるスタッフも多く,職員はみな空腹をがまんして働いています.

いちばんつらく思うのは自分の家族のことです.病院で一日中働いて,夜もしょっちゅう泊まっているため,家族のために店や配給に並んで食物などを手に入れてあげることができないからです.

今日は病院から菓子パン1個ずつの配給がありましたが,自分の家族のことを考えると持って帰ろうかなという気持にもなります(そうはいっても家には米などはまだあるので,やや大げさな話なのですが).

でも被災地の避難所ではもっとつらい思いをしていることを考えて,スタッフみなで我慢しています.

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6時間待ちの列 - 2011年3月15日(火)夜

地震後,初めて家に帰り,ゆっくり休みました.

下の子の地震に関するイメージは,「パパ,星がきれいだったよ」.学校で習ったオリオンとかカシオペアとかこぐま座がきれいに見えたのが印象的だったようです.家内は近くのスーパーマーケットに朝8時から並び,開店したのが14時の6時間待ち,買えたのは一家族10品目までだったというのに腹を立てていました.

スーパーの開店待ちの列の前の女性は1歳くらいの小さな子連れで,オムツが手に入らないのがいちばんたいへんと話していました.いつ開店するかもはっきりしないなかで,子どもがぐずりだして本当にたいへんそうで,おかあさんもかわいそうだったようです.途中で2回ほどアパートに帰してあげたとのことでした.

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覚悟 - 2011年3月16日(水)朝

元気でやっています.昨夜久しぶりに家に帰って暖かい夕食を食べ,ぐっすり眠ったら,それまでの無駄な気負いやそれと交錯する弱気,いら立ちといったものが嘘のようになくなって,今朝は本当に気分爽快でした.今日はポジティブに仕事にのぞむことができそうです.

自分の産科医としての意味は,胎児診断や胎児手術といった特殊で専門的なところにあるのではなく,実はこういった状況に直面したときにいったい何ができたか,何を行ったかに本当の価値があるのかなと思ったりもしています.

昨日までほとんど病院に泊まり込みだったためか,かなりの疲労感を感じるようになりました.そこで意識して,ふだんと比べても早めの時間に帰宅し,早めに就寝して十分な睡眠をとるようにしました.

すると今朝はうそのような爽快な気分になっており,我ながらとても驚いています.これから何日でも働いてやるといったファイトがわき上がっています.フィジカルとメンタルの両面における自己管理が,こういった災害時の特殊状況では非常に重要であることに今更ながら気がつきました.

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水洗いとアルコール消毒 - 2011年3月16日(水)

とにかく事前連絡なしで次々に飛び込んでいる分娩や帝王切開を,同僚と協力してどんどんさばいているこの数日です.滅菌器械もリネンも蒸留水も,お産セットも紙オムツもリネンも底をついてきましたが,工夫してまあ何とかやりくりしています.たぶん明日か明後日には補給があるでしょう.

分娩介助は半不潔野で行われるので,分娩器械セットは水洗いにアルコール消毒で対応することにしました.こういった非常事態では仕方がないことだろうと思います.現在分娩を取り扱っていない某病院から帝切セットを3組お借りできました.これでとりあえず1, 2日は大丈夫そうです.

薬や蒸留水,リネン,お産セット,紙オムツなどといった消耗品が尽きてきました.紹介状や外来カルテを渡すときに,ご本人にお産セットや紙オムツなどを渡して持ってこさせていただけるよう,市内の開業医の先生にお願いをしました.

医師やスタッフの泊まり込みが続いていますが,病院からの食事やリネンの供給は停まったままです.

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平常心 - 2011年3月16日(水)夜

今,テレビを見ていたら,スペインリーグの試合前にバルセロナの選手たちが「頑張れ、日本! 僕らは君と共にいる。」という横断幕を掲げている映像が出て,思わず涙がでてきてしまいました.いかんいかん,まだ平常心になっていない........

Pray for Japan, We are with you !

写真はネットより拝借しました.ことばは相手に届くものなんですね

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支援物資 - 2011年3月17日(木)朝

テレビを見ていると,被災地の避難所には続々と支援物質が運び込まれているようですが,当院のような後方支援病院の窮状は意外にあまり知られておらず,援助の手はまったく伸びていません.われわれも被災地に比べれば幸せなのだからまあ仕方がないかなと,半ばあきらめムードです.

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切干大根 - 2011年3月17日(木)夕

本日午後になって,パンや米,カップラーメンといった食料の支援が病院に届きました.職員に早速配布されました.何となくホッとしました.空腹が満たされるといった肉体的なことよりは,これでしばらくは大丈夫という精神的な安心感が重要であるとつくづく実感しています.

また夕方にはレストランで職員への炊き出しがありました.ご飯,味噌汁,切干大根,きんぴらごぼうというメニューでした.ご飯は各自で山盛りによそって食べることができました.切干大根のうまかったことうまかったこと.

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