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震災日記5

震災日記5(2011年5月1日〜15日)

このページは、本ホームページの管理人である室月淳の,東日本大震災後の日々のひとりごとを書かせていただいています.連休が明けるころより全国からの医療支援が徐々に撤退を始めることが予想されています.地元の医療関係者にとっての正念場はむしろこれからかも知れません.

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読売新聞の記事 - 2011年5月1日(日)

マクドナルドハウスに滞在されている妊婦さんが読売新聞に紹介されました.

読売新聞4月30日全国版朝刊

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復興支援のためのNCPR講習会 - 2011年5月2日(月)

NCPR(Neonatal Cardiopulmonary Resuscitation)は,生まれたときにうまく胎外での呼吸循環に移行できない新生児に対する心肺蘇生法を習得するプログラムです.公認の「新生児蘇生法講習会」に参加すれば,標準的な新生児蘇生法の理論と技術を習得することができます.

そのNCPR講習会を,石巻あるいは気仙沼といった被災地の支援として,地元の病院で開催するのはどうかなと今考えています.

地元の医師や助産師,看護師が優先の対象者であるのはもちろんですが,実はそこの先生方はだいたいインストラクターないしはプロバイダーの資格を持っています.むしろ受講者を公募して,全国から若い産婦人科医を石巻や気仙沼に集めて,ついでに復興で立ちあがろうとしている活気ある姿をみせれば,誰かひとりくらいここでともに働きたいと手を挙げる若手が出てこないものでしょうか.NCPR受講と見学をセットにするなどいろいろと方法はありそうです.

NCPRを運営している日本周産期・新生児医学会が,現在,「震災復興支援講習会」の全国での開催を積極的に応援しています.主旨は,復興支援のために講習会開催時に募金を集める,講習会参加費を募金に充てるというものですが,被災地で直接開催するということになれば,まったく別の意味での「震災復興支援」になるのではないでしょうか? 事務局の方にも提案してみようかと思っています.

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「こども病院」と災害医療(上) - 2011年5月3日(火)

今回の未曾有の大震災を経験して,宮城県立こども病院はどのような役割を果たしたのか? その中で産科として何ができたか? 何をすべきであったか? これらのことは近いうちに必ず総括しなければなりません.「こども病院」というきわめて専門性,特殊性の高い病院として役割があるはずです.

こども病院はChildren’s Hospitalの日本語訳であり,その名のとおり小児を専門的に扱う病院です.ただし小児期に先天疾患や慢性疾患があった児は,成人してからも特別な医学的配慮が必要となることが多くあります(いわゆるキャリーオーバー).またハイリスク妊娠分娩について,妊娠早期から母体・胎児・新生児の管理治療を一貫して行うことで,病気の初期治療を充実させ,治療成績と予後を向上させることが期待できます.すなわち「こども病院」は,妊娠分娩,胎児期から,20代以降までを広く含めた「こども」を主に扱う病院といえます.

こども病院は特にこどもとその家族への心理的,社会的サポートに重点をおくことが特徴です.またこどもをケアする専門的トレーニングを受けたスタッフが置かれます.小児科のある病院は多いのですが,予後不良あるいはこどもを苦しめる重い病気を扱うためには,そういった専門家がいる方がいいと考えられます.

それは場合によっては出生前,すなわち妊婦さんや家族に対する対応にもいえることです.妊娠・分娩・出生後の経過,さらにはこどもの成長に伴う母子の医療・社会・経済・福祉上の諸問題について,地域の行政組織と連携して,見通しの良いきめ細かい対応を行うことが重要となっています.(つづく)

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「こども病院」と災害医療(中) - 2011年5月4日(水)

仙台西部郊外のこども病院は,震災による直接の被害を受けることはありませんでしたが,地震後の1週間は電気やガスなどのライフラインの途絶と物流の停止による病院機能の低下に苦労しました.電話がつながりにくくなり,病院間の連絡や患者さんからの問い合わせなどに支障をきたしました.連絡手段の喪失やガソリン不足によるアクセス不良で,産科では妊産婦の受診タイミングが遅れる結果を招くこともありました.

震災後の一時期はかなり深刻な事態に陥りながら,最前線の被災地ではないなどの理由で,支援物資や情報が素通りしていく状況でした.県立病院として県当局には毎日のように状況の報告と支援の要望を行っていましたが,こちらの窮状がうまく伝わらないためか,あるいは被災地への支援でそれどころではなかったためか,医薬品や医療材料,食糧などはすべて自前での調達を求められ,結局のところ県による支援は最後までありませんでした.

大震災というこれだけの想定外の事態となれば,行政や自治体などの指導や支援には期待しない方が現実的であるということに,ようやく気がついたのは震災後1週間くらいたってからです.自ら考え,自ら動いていく柔軟な対応が必要とつくづく感じました.情報は現場にあり,最も適切な判断と行動が可能なのは現場の人間だけです.行政をあてにせずに民間同士,あるいは専門家同士のネットワークとフットワークをフルに活用して,必要な人と情報と物資を融通していくことが重要のようです.

こういった流れを受けて,一部の医師は個人的な人脈を駆使して,必要な食糧や支援物資を各地からこども病院に送ってもらうよう依頼しました.また逆に,地元の交通機関を駆使して被災地の病院へ応援に出かけたり,必要な医薬品などの輸送を行うことも始まりました.(つづく)

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「こども病院」と災害医療(下) - 2011年5月5日(木)

こども病院における産科というのは,上に書いたような主旨に特化されていることから,胎児奇形や発育遅延,早産など,それからキャリーオーバー妊婦や前児に異常の既往を持つ妊産婦を特に扱うという特殊性をもちます.胎児診断胎児治療を初めとした高度な周産期医療はもちろん,妊産婦とその家族への心理的,社会的,経済的なケアにも重点をおいて,充分な時間と手間をかけた医療を行っています.逆の面からみると,ローリスク妊産婦の妊娠分娩管理を数多くこなすことは特に苦手としていました.

それではこの大震災に対してわれわれ産科はどのように対応していったでしょうか.仙台市内では診療所の多くが分娩取扱いを停止したため,そこから妊産婦がどんどん来院してくるようになりました.病院間の通信手段が途絶えているため,ほとんどが陣痛開始してから飛び込みの形でやってきました.前述のように限られた数のハイリスクの妊娠分娩をみるという特殊性をもった産科でしたが,こういった非常事態によって次々に始まる分娩を数多くこなしていくような日が来るとは思いませんでした.医師,そして病棟の助産師,看護師スタッフがよくがんばりました.この経験はわたしたちにとって間違いなく大きな財産になったと思います.

地震後から最初の1週間が過ぎると,市内の電気,水道などの復旧によって周囲の病院,診療所も徐々に機能を回復してきて,当科の忙しさのピークも過ぎてくると,少しずつ病院外の状況にも目が向くようになりました.被災地の最前線でがんばっている石巻赤十字病院や気仙沼市立病院の状況を見聞きするうちに,後方バックアップとしてのこども病院の枠をこえて,被災地の産科医療支援に何らかの役割を果たせないかを考え始めました.

ひとつは,当院のマクドナルドハウスを利用して被災地の妊婦を受け入れようとしたことでした.もうひとつは,ボランティアとして被災地の病院を直接応援することです.小児医療施設協議会の一員として密接な関係にある国立成育医療センターから応援医師で送っていただき,それで得た余力で被災地の病院に交代で手伝いにいっていることです.

いずれもこども病院としては「想定外」のことです.しかし成育医療の本質からみれば非常に重要なことともいえます.今回の震災を機にこども病院として災害にどのように対処し,どのような役割を担うべきなのか,きちんと考えることが必要でしょう(この項おわり).

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今日から新しいメンバー - 2011年5月6日(金)

本当は4月から当院に赴任予定でしたが,震災のために引越しができなくなり,1か月遅れで本日から当科の新しいメンバーとなりましたO先生です.東京の病院から来ていただきました.当科も4人体制となり本当に心強い限りです.

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災害時での情報収集と想像力,行動力 - 2011年5月7日(土)

わたしの見聞きした範囲での認識ですが,今回の被災地でもっとも効果的な活動をしていたのは,指揮系統と物資補給が独立し,自立して活動していた自衛隊や米軍でしたし,さらには警察,消防関係といったプロの組織であったことは間違いありません.

医療の面では,現地の中核病院は別にすると,DMATを初めとした食糧などを自前で調達して現地入りして活動した災害医療の専門家集団であり,さらには日赤グループ,国立病院グループ,徳州会グループ,民医連グループといった民間ネットワークが素早い立ちあがりと効果的対応を見せていました.

被災地や各避難所では,もともとあった村落共同体をもとに自然にリーダーが生まれ,構成員各自が自らの役割をこなし,みなで協力し合いながら老人や弱者を守っている姿が目立ちました.地元の消防団の活動もそういったもののひとつと見なせると思います.

逆にもっとも動きが鈍かったのは県や市町村といった自治体でした.これは無理もないことでした.被災地では市町村の行政組織自体が壊滅し,職員自体が被災者となったわけです.県としても大混乱の中でやらなければならないことが多すぎたのでどうしようもなかったのでしょう.

こども病院は,当初,自らの病院機能を維持するために仕事に忙殺されました.入院患者(こどもと妊産婦)の食事だけは最低限確保できるように事務系職員が必死になって食糧調達に動いていました.「県立」病院として,もちろん県には何度もかけあったのですが,基本的に自助努力,自前で調達という指示だったようです.

災害といった想定外の状況では,既存の組織に頼るのではなく,何よりも自分たちで(場合によっては自らが現地に出向いて)情報を収集し,今自分たちがどういう状況にいるか,何が必要とされているかを想像し,民間のネットワークを駆使して援助を要請したり,自分たちが支援に赴くといった行動力が重要であることをつくづく感じました.逆にいちばんよくないのは,他人の援助まち,既存の組織の指示まちといった姿勢でしょう.これは大きな教訓です.

自らが判断し,自らが動くということでは,ときに無駄な空回りとなったり,無意味な行為となることがあるかも知れません.実際にネット上では安易なボランティアを慎むよう諭す声もよく聞かれました.しかしそれはある程度しかたがないことだと思います.失敗をおそれず,批判をおそれず,前向きに行動することのみが被災地での命をひとりでも救っていく道ではないでしょうか.

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地域コミュニティの再生(1) - 2011年5月8日(日)

今回の大震災を通してわれわれは改めて家族や地域社会などのきずなの重要性を再発見することになりました.特に現代日本の都市部とは違って,被災地である三陸沿岸は家族や共同体の伝統がまだまだ失われていない地域です.地震時の秩序ある行動やモラル,避難所での思いやりや助け合い,災害でも揺るがない治安などに関して海外から称賛を浴びたのは記憶に新しいところです.

今回の地震,津波といった大災害で壊滅した沿岸地域を再建するためには,歴史的に地元に根付いてきた共同体を再生させることが鍵だと考えます.もし街づくりにおいてインフラ整備といったハード面だけに片寄ってしまえば,それは単なる悪しき都市化に過ぎません.これまで存在していた人と人のつながりが戻らず,土地の文化や伝統といったものが失われてしまえば,仮に外に避難してきた人々が戻ってきて見せかけの復興を遂げたとしても,再度の災害によって簡単に雲散霧消してしまうでしょう.

災害地の新しい街づくりとして「高福祉コミュニティ」を創造することが提案されています.そのためには建物や道路,ライフラインといったハード面とともに,共同体の再生といったソフト面が重要となります.ではどういった方策が考えられるでしょうか? 現代日本の医療はさまざまな壁にぶち当たっており,医師不足に悩んできた東北地方,特に今回の被災地である三陸地方ではもっとも先鋭的な形で現代医療の矛盾に苦しんできました.ゼロから地域を再建するに当たり思い切った改革が必要となることは言うまでもありません(つづく).

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H先生の応援 - 2011年5月9日(月)

国立成育医医療センターからの新しい応援医師として,本日からH先生が当科にいらっしゃいました.H先生は明日から3日間,気仙沼市立病院へ直接応援に行かれることになります.今日一日だけ一緒に働きましたが,何ごとにも一生懸命な姿勢にとても好感をもちました.何とぞよろしくお願い申し上げます.

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地域コミュニティの再生(2) - 2011年5月10日(火)

現代医療の問題点はいくつかありますが,限られた医療資源の配分の問題,医療の高度化による医療倫理の問題などは真先に上げられるものです.そういった問題を解決する具体的な方策として,1-2万人程度の比較的小さな「コミュニティ」を複数つくって,それぞれが共同体医療プログラム(Community Health Program: CHP)を決めていく制度を提案します.

「コミュニティ」はもちろんこれまでの地縁,血縁によってつくられてきた共同体をもとにつくられます.この共同体の中心に医療施設と療養型施設をもち,総合的,全人的に診療できる家庭医(family physician)が従事します.

CHPとは自らがもつ医療資源をどのように配分し,どのように使っていくかを自らが決める医療プランです.たとえばどのような医療施設をもつか,どこまでの診療を行うか,診療所とするか入院設備をおくか,といった具体的アクションから,延命治療や尊厳死をどう考えるか,選択的人工妊娠中絶を認めるかといった倫理的問題までをも含むものです.

また被災地の地域医療再建を目的としたメディカルスクールの新設も提案いたします.このメディカルスクールが新しい地域コミュニティ建設の中心となり,CHP策定と運用の支援にあたることになります.

前にも書きましたようにメディカルスクールはより短期間で臨床医を養成できると同時に,22歳以降という「人間的な成熟」は地域の医療に強い熱意をもつ優れた臨床医を養成するのに大事な条件と考えられます.今回の震災および原発事故の直接の被災地は,もともと医師不足による医療崩壊の危機に直面していた地域であり,この地域の医師および医療スタッフの絶対数を増やすことが医療再建の必要条件ともいえます.メディカルスクールは高い志をもって地域医療に携わる医師を養成していきます(つづく).

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地域コミュニティの再生(3) - 2011年5月11日(水)

現代においては,個性や権利やプライバシーというものがことさら強調され,個人の自己決定にすべてをゆだねようとする傾向が強くなりました.すなわち医療倫理の議論の枠組みから実質的な道徳判断や価値観が抜け落ちるようになり,生きる意味だとか医療の目的,健康の意義といった真に重要な議論がなされないままに,現実の医療が進められています.しかし医療倫理に関する議論が高まっているのにわれわれが何らの明確なコンセンサスも出せずにいるのは,まさにこのためです.

実際のところ,判断能力を失った患者とか重症新生児などの延命治療の可否や,医療資源配分の問題,遺伝子操作や選択的人工妊娠中絶といった現代における重要な倫理的問題は,本人の「自己決定」によって解決することはできません.そこには倫理的中立の立場はありえず,どうしても生命観や人生観,生きる目的といった道徳判断を持ち込まざるを得ないのです.

そしてこの特定の「善き生」の概念をわれわれに共有させる源になっているのが,共同体の中の伝統です.こうした倫理的決定においてはひとびとの考え方や行動様式といった共同体の中にある共通善が大きな役割を果たしています.すなわちその個人の人格や価値観を決定している共同体の共通善といった観点から倫理的決定がなされることがもっとも自然といえます.

医療資源の配分も,こういった共同体の機能を円滑にし結束を高めるような仕方で,かつ共同体の善き生の概念に見あう形で決められるでしょう.臓器移植の問題についても,社会的に重要な家族という単位に決定をまかせることが可能となります.すなわちインフォームドコンセントだけを重視せず,かつ代理決定は個人の権利が家族の決定を通して発現されたものでなく,家族という共同体の権利によるものと変わっていくでしょう(つづく).

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今日で2か月になります - 2011年5月11日(水)

この2か月間で自分たちに何ができたでしょうか? 忸怩たる思いがあります.

毎月11日は祈りの日にしようと思います.

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地域コミュニティの再生(4) - 2011年5月12日(木)

もちろん「善き生」の概念は複数あり得ることは間違いありません.この点をうまく解決できる社会とは,小さな「コミュニティ」分かれ,それぞれの「コミュニティ」の中で市民たちが自分たちに共通の価値観を互いに明らかにし,確認し,その価値観を取り入れた政策決定に直接かかわることができるような討議民主制です.「コミュニティ」は各人に共通の価値観を互いに討議し合い,合意できる程度の大きさであり,その中での直接民主制,もしくは分野別の委員会に分かれて討議していくものです.

「コミュニティ」によって種々の異なる善き生の概念があり,たとえば選択的中絶を容認するところもあれば認めないところもあるはずです.もし「コミュニティ」の価値観と自分の価値観との根本的な違いを感じる人は,別の「コミュニティ」に移ったり,善き生の概念を共有する人たちとともに新しい「コミュニティ」をつくってそれに参加することも可能となるでしょう.

今回の「想定外」の災害により行政は機能麻痺に陥りました.地震と津波によって破壊された地域を再び作り直し,その中で生き延びてゆくために,地域が自らリーダーを選び,それぞれの人間が自分の役割を担って,老人や年少者といった弱者を助けていった地域社会の力を,今回の大震災ではわれわれはまざまざと目撃することになりました.多くのものを失ったわれわれにとって,この共同体的精神こそが残された最大の財産だろうと思います.この「共同体的精神」はすばらしいものであるからこそ,日本人の間でだけ完結させるのではなく,将来は世界の人たちとの「共同体の一員」としての精神を分かち合うことを目指すのです(この項おわり).

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H先生,気仙沼より帰還 - 2011年5月13日(金)

昨夜H先生が気仙沼市立病院から帰ってきました.2泊3日の応援でしたが,なかなかいろいろな経験をされてきたようです.

これまで夜間は病棟のエコー検査室や外来のベッドで寝たのですが,先日より官舎に泊まれるようになりました.しかしここも評価はあまりよくないようです.彼のメールでの報告は以下のとおりです.

「官舎が病院から少し離れた平屋の建物で、女性が一人で泊まるのはちょっと無理です。そもそも女性の医師がほとんどいません。まっくらでやたらと広い宿舎です。院内に当直室と呼べるカギがついた個室はありません。」

H先生は,明日には東京に帰ります.1週間おつかれさまでした.最後にみなで記念撮影をいたしました.

左よりS先生,わたし,H先生,O先生,M先生.男ばかりの産科は最近ではめずらしいかも知れません

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津波の爪痕 - 2011年5月15日(日)

本日,成育医療センターのK先生が仙台にいらっしゃいました.こども病院の中を案内した後,時間があったので,車で仙台東部の海岸地帯に行ってみました.仙台南部道路,東部道路を使って,こども病院から30分くらいで行くことができました.

仙台空港への道から分かれて,五間堀にかかる相の釜橋をわたって岩沼海浜緑地の方まで行きました.このあたりは,3月11日地震当日の夜のラジオで「岩沼市空港南2丁目で津波に流された人が多数いる」,「遺体が多数見つかった」と繰り返し報道していた地域にあたります.

南側から仙台空港を遠くに望む.写真左に管制塔が小さく見えます

周囲にはほとんど何もありません.道はきれいに片づけられていますが,その左右にはガレキや車などが積み重ねられていました.防風林の松のほとんどが一方向に倒れており,枯れて赤茶けた色をしていました.

通常であれば海に近い風光明媚でいいところであり,海岸に出る道の途中には平屋建の特別養護老人ホームがありました.しかしここにも津波の爪痕は無残に残されていて,建物は大きく破壊されていました.おそらくほとんどの入所者が津波に巻き込まれただろうねと,ふたりで話をしながらその横を歩きました.

ところが帰ってからネットで調べてみたら,このホームの入所者は全員無事だったそうです!! 本当にホッとしました.津波が来るまでの30分で100人以上の入所者を仙台空港に避難させたとのことで,職員の方々のその判断と行動の迅速さに感服いたしました.

被災地に見物人が集まって渋滞を起こしているとか,「冷やかしなら帰れ」と地元の人が怒鳴ったといったようなことをよく見聞きします.われわれの今回の行動も冷やかしの一種なのかと,正直言って後ろめたい気持はありました.しかし実際に見てみないと分からないことは確かにあります.K先生が自分の目で見て感じたことを,それをまた何人かの人たちにも伝えていただき,そして実際に被災地のために何らかの支援を考えていただければと願っています.

津波のために一方向になぎ倒され,枯れて赤茶けた色となった防風林

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カウンタ 3295 (2011年8月1日より)