震災日記その後2
震災日記その後2(2012年3月11日)
このページは、本ホームページの管理人である室月淳の,東日本大震災後の日々のひとりごとを書かせていただいています.2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震と,それに伴って発生した津波は未曾有の災害を引き起こしました.東北地方の医療の再建をまさに今進めなければなりません.
(1) 一周年を迎えて
大震災で亡くなった方々に改めて御冥福お祈り申し上げます.
2011年3月11日以降,わたしの生き方は少しずつ変わってきました.この震災をめぐって経験したことや考えたことはわたしを変え,震災前にはすでに引き返すことができないところまで連れだしています.原発と環境の問題は今後もう無視することは誰にもできないでしょう.政治家を含めた他人を評論家のごとく批判するのでなく,わたしたちひとりひとりが自らの課題として引き受け,アクションを起こしていく必要があります.
「祈る」の語源は,「宣言する」「言う」の古語である「宣(の)る」に接頭語「い」がついたものだそうです.すなわち祈願のことばを声に出して唱えることです.わたしは上のことを亡くなった方々に向って語りかけ,自らの願いとして生きていきたいと祈ろうと思います.
(2)一周年当日
3月11日の大震災の一周年の日は,日本超音波医学会東北地方会に一日中参加していました.2年前から予約した会場でキャンセルが難しかったため,あえてこの日の仙台開催になったようです.
学会長の呼びかけで,地震発生の14時46分に地方会のプログラムを中断し,参加者全員で1分間の黙祷を行いました.
黙祷をしている地方会の参加者
その地方会では,当科の小澤克典先生が「第6回奨励賞」を受賞いたしました.演題名は「位相差トラッキング法を用いた胎児心機能の計測」で,胎児鏡下レーザー手術の前後での一絨毛膜双胎のそれぞれの胎児の心機能を精密に調べたものです.胎盤吻合血管焼灼後に生じる循環動態のダイナミックな変動を見事に明らかにいたしました.さらなる精進を期待いたします.
奨励賞の表彰を受ける小澤克典先生
(3) 震災後の宮城県の医療
(4) 地域医療貢献-NCPR, ALSOなど
(5) 妊娠と放射線・授乳と放射線カウンセリング−残された課題
地震とそれに引き続いた津波により,東京電力福島第一原子力発電所では放射能物質の漏出を伴う大事故に発展しました.あの震災と原発事故から1年以上がたち,マスコミ報道にみる世情もややおちついてきたようにみえます.しかし地震や津波で住む家を失って仮設住宅で暮らす被災者,原発事故により地元を離れた避難者はいまだ大勢います.特に原発事故に関してはいまだ解決の契機を得ず,避難したひとたちも地元にのこったひとたちもそれぞれ苦しみ続けています.
福島第一原発の周辺地域の社会は崩壊し,住民のあいだは引き裂かれました.また残った住民は行政や専門家のいうことをあまり信用しなくなっています.政府は事実を過小評価する一方で安全を強調してきましたし,マスコミは極端な意見を無定見に流しながらその報道内容に責任を取ろうとはしません.専門家もひとによって正反対の意見を平気で述べるため,専門ではない住民にはどちらが正しいか判断するすべがありません.ですから「市民の放射線一般に対する不安や疑問に答える」ため多くのひとを集めて壇上から安全性を声高に説いても,立派なパンフレットや本をつくって住民に配っても,信用されないどころか反発されることのほうが多くなっています.
放射線被曝に対する不安感がなくなり,安心して住めるようになるのが,地域社会の再生の第一歩です.そのためにわれわれには何がお手伝いできるのか.もし若い夫婦が戻ってきて,その地で妊娠出産し,子育てができるようになれば,それはまさしく復興のシンボルとなるでしょう.
われわれ産科医が対応することになる妊産褥婦に対する放射線カウンセリングは難しい問題が多くあります.今どう判断してどの方向に進めばいいのか,それは10-20年もたてば明らかになっているのでしょうが,この時点では暗闇の中で右往左往している気分です.しかし右でも左でもなく,一歩でも前に進むために,ひとりでも多くの先生方のご支持とお知恵を拝借いただければ幸甚です.
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カウンタ 3328 (2012年2月27日より)