BC 2641年 | エジプト王Menes(エジプト第1王朝の始祖)が1匹のアシナガバチかスズメバチに刺されて亡したことがヒエログリフに記載されたのが、アナフィラキシーの最初の記載だと考えられている。 |
1901年 |
- 20世紀初頭、モナコでは海水浴客が電気くらげ(カツオノエボシ Portuguese man-of-war, 学名 Physalia physalis utriculuis)に刺される事故が相次ぎ、問題となった。事態を重く見たモナコの皇太子アルベール1世 Prince Albert the First of Monaco(1848〜1922)がCharles Robert Richet(P シャルル ロベール リシェ, 1850/8/26〜1935/12/4, フランスの生理学者, 1913年にノーベル生理学・医学賞を受賞、アレルギー研究の父)とPaul J. Portier(ポワチエ 動物学者)にカツオノエボシ毒素の研究を依頼した。
- アルベール1世自身が指揮するヨット、プリンセス・アリス2世号で、7月にフランスのトゥーロン港をたって、8月の初めに、ヴェルデ岬諸島付近で、カツオノエボシを大量に採取した。
- 毒素を分離し中和抗体を作成するため、カツオノエボシの触手から毒素をグリセリンで抽出し、ハト、アヒル、モルモット、カエルに注射すると、毒素は強烈な作用を発揮し、動物は死亡した。動物の麻痺と無感覚が特徴であったので、毒素をヒプノトキシン Hypnotoxinと命名した。ギリシャ神話の眠りの神ヒプノス(Hypnos:Morpheusの父)と関連づけた。(RichetはAnemonia sulcataから3つの化合物を単離した。Hyptpxin, thalaxin, congestin)
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1902年 |
Charles Robert RichetとPaul J. Portierによるアナフィラキシーの発見---イソギンチャク毒素の研究
- RichetとPortierは、フランスに帰国後、カツオノエボシは入手困難だったので、イソギンチャク(学名 Actinia equina, 英名 sea anemone)からグリセリンで抽出した毒素の高用量をイヌに注射するとイヌは死亡した。
- 致死量に至らない用量では、イヌは反応を起こしたが、健康を回復した。
- この回復したイヌに、1ヶ月後に少量の毒素を注射すると、激烈な反応(下痢、出血、嘔吐、ショック、気管支痙攣、呼吸障害など)を起こして死亡した。
- 無処理のイヌに同量の毒素を投与しても、くしゃみやかゆみが出るくらいの反応しか起こさなかった。
- Richetの結論は毒を注射したことではなく、タンパク質を注射することがアナフィラキシー・ショックを引き起こす。毒素たんぱく質はアナフラキシーを起こすきっかけに過ぎず、動物の血液に存在する物質がアナフラキシーの直接の原因ではないかと考えた。
- この現象の特徴は、 1) 一定の潜伏期が必要、2) 1回目と2回目の物質は同一であること、3) 引き起こされる症状は定型的、画一的であることが判明した。
- 本来、ワクチン接種は毒素、病原体から体を防御するために行うのに、防御とは正反対の結果が起こた。
- Richetは免疫、防衛を意味するギリシャ語「phylax」、そしてPortierはその否定=無防備の意味で、「aphylaxis」という語を提案したが、語呂が悪いので、「anaphylax」と命名した。
Ana- (upward, heightend, intensified)+ギリシャ語 phylaxis (guard, defence), phylax (a guard, sentidied, protector) ---過剰アレルギー反応
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1903年 | Nicolas Maurice Arthus(1862〜1945)がクラゲ毒以外でもアナフィラキシー・ショックが起こることが確認した。 |
1906年 | Clemens Freiher von Pirquet (1874〜1929, オーストリアの小児科医)がショックを起こさない生体の反応をアレルギーと命名した。ギリシャ語のallos(変じた)と ergo(作用)に由来し、「変作用」と言った意味。 |
1923年 | Arthur F. Coca(1875〜1959, コーネル大学の免疫学者)とRobert A. Cooke1は身の回りのいろいろなアレルゲンにしばしば反応性を示し、家族性に発祥する湿疹、蕁麻疹、枯草熱をまとめてatopy(strange disease)と名付けた。 |
1932年 | Wilhelm Feldberg(1900/11/19〜1993/10/23, ドイツ→英国のユダヤ形成理学者)がアナフィラキシーをおこしたモルモットの肺からヒスタミンを発見し、アナフィラキシーにヒスタミンがかかわることを報告した。 |
1932年 | Carl A Dragstedt(ノースウウェスタン大)と Erich Gebauer-Fuelnegg も、アナフィラキシー時のイヌ肝臓からヒスタミンを検出して証明した。 |
1953年 | Riley JF(スコットランド、ダンディーの聖アンドリュース医大)とWest GBは、アナフィラキシー時のヒスタミンは肥満細胞由来であることを発見した。 |
1933年 | Marion B. Sulzberger(1895〜1983, アメリカの皮膚科医)がAtopic Dermatitis(アトピー性皮膚炎)の診断名を確立した。 |