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NIPTとはなにか? そしてどこにいくのか? 前篇

無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)とはなにか? そしてどこにいくのか? 前篇

                                (2012年12月26日 室月 淳)

目次(前篇)

1. はじめに

2. NIPTとはなにか?

3. 母体血胎児染色体検査をめぐる国内のこれまでの流れ

4. NIPTコンソーシアムの施設条件と対象妊婦

5. 8月末のマスコミ報道とその後の経過

目次(後篇)

6. 生命倫理学的視点からみたNIPT

7. 日産婦「指針案」批判

8. 母体保護法指定医はなぜNIPTにかかわってはいけないのか?

9. NIPT検査はなぜ制限されなければならないのか?

10. おわりに

11. 参考文献              後篇 へとぶ

 1.はじめに

以下の文章はまったく個人の立場で書いたものであり,NIPTコンソーシアムや日本産科婦人科学会などの公的見解とはまったく関係ないことを最初にお断りしておきます.

いま話題となっている新型出生前診断は,医学的に説明すると,母体血漿中に存在する胎児由来のcell-free nucleic acidを用いておこなう出生前検査ということになり,それをもっとも正確に表したいいかたは,母体血細胞フリー胎児遺伝子検査(maternal blood cell-free fetal nucleic acid (cffNA) test)となります.この場合のnucleic acid(核酸)はDNAとRNAの両方を含みます.現在導入を検討されているシーケノム社のMaterniT plusでは細胞フリーの胎児DNAを用いますので,cell-free DNA(cffDNA)という単語もよく目にします.

たとえば「NIPTコンソーシアム」といったときのNIPTはnon-invasive prenatal genetic testingの略で,無侵襲的出生前遺伝学的検査と訳されます.欧米ではnon-invasive prenatal genetic diagnosis(NIPD)という単語もよく目にしますが,この検査はあくまでも診断(diagnosis)ではなくスクリーニング検査であることを考えると,NIPTのほうが正確といえます.無侵襲的検査のなかの具体的なひとつの方法として,母体血中の細胞フリー胎児遺伝子を用いる検査があるという位置づけになります.

MPS法という名前がでてくることがありますが,これはmassively parallel genomic sequencing method(大量並列シーケンス法)を意味します.NIPTのいくつかある検査原理のひとつであり,上記のシーケノム社のMaterniT plusではこの方法をつかっています.

もっとも人口に膾炙している新型出生前診断はマスコミがつけた仮の名前ですが,検査の実質をなにも表現していないうえに,将来別の新しい検査がでてきたときには混乱のもとになりそうです.簡潔でわかりやすく,かつ内容を字面で表現している母体血胎児遺伝子染色体検査,ないしは母体血胎児染色体検査という名称を,社会一般では使用していくことを個人的に提案します.ただし本稿では医学的により正確なNIPTという略称をもっぱら使うことにいたします.

 2.NIPTとはなにか

胎児の染色体異常や遺伝子異常を診断するためには,これまでは羊水穿刺や絨毛採取などにより胎児細胞を直接採取して検査してきました.しかしこれらの侵襲的な方法のリスクは高く,羊水穿刺では約0.3%,絨毛採取では約1%の流産の合併があります.またごくまれですが,腸管損傷や感染などの母体合併症などもおこることから,かねてよりリスクをともなわない無侵襲的な胎児遺伝学的検査法の開発が期待されてきました.1997年に香港のDenis Loらが,母体血漿中に胎児由来のDNA断片(cell-free fetal DNA)が存在していることをはじめて報告しました.それ以来,母体血中の胎児遺伝子を用いた胎児診断が研究され,近年の次世代シークエンサーが登場してその臨床応用の試みがさらに加速することになったのです.

胎児由来のcell-free DNAは母体血漿中のDNA断片の約10%を占めています.母体血漿中のDNA断片をすべて集め,それらを網羅的にシークエンスし,各々のDNA断片が何番染色体に由来しているかを同定していきます.そして各染色体に由来するDNA断片量が,正常に加えてどの程度変化しているかから,胎児の21トリソミー,18トリソミー,13トリソミーの診断を行う方法が開発されました(母体血中cell-free DNA胎児染色体検査).この方法による検査の精度は非常に高く,21トリソミーの場合では感度99.1%,特異度99.9%,18トリソミーの場合では感度100%,特異度99.6%,13トリソミーの場合では感度91.7%,特異度99.7%と報告されています(2).

NIPTは母体からの採血によるものであり,母体と胎児ともにほとんど侵襲がないため,これまで行われてきた羊水穿刺や絨毛採取などの侵襲的検査を回避して,流産といった検査に関連した合併症を減らすメリットがあります.日本国内では推定で年間1万件以上の羊水穿刺が行われていると推定されています.仮定の話ですが,この羊水検査のすべてがNIPTにおきかわったとすると,羊水穿刺による流産率が0.3%くらいですから,年間300人以上の無辜の胎児の命が救われる勘定になります.これがこの検査の最大の利点です.

このようにこれまで羊水検査や絨毛検査を受けてきた多くの妊婦にとっては,この検査法により安全に信頼度の高い検査結果が得られるというメリットがあります.たとえば21トリソミーにおいては感度99.1%,特異度99.9%という高い数字が報告されていますが,臨床的にもっとも重要となるのは,検査陽性者のなかで実際に胎児が21トリソミーである確率(陽性的中率),検査陰性者のなかで胎児が21トリソミーではない確率(陰性的中率)です.陽性的中率は母集団の罹患率によって変化し,1/100(妊婦年齢では38歳相当)では90%以上ですが,1/300(35歳相当)では75%,一般頻度の1/900では30%程度になることに注意が必要です.逆に陰性的中率は母集団によってもあまり変化がなく,100%に近い精度となります.

すなわちもしこの検査で陰性を示したとき胎児は21トリソミーではないとほぼ考えることができますが,陽性のときは侵襲的検査(羊水穿刺または絨毛採取)による確定診断が必要となります.このように検査対象は,従来ならば羊水検査や絨毛生検などの侵襲的検査が提示されるようなハイリスク群に限定されることが望まれます.具体的には,染色体異常のスクリーニング検査でリスクが高いと判定された妊婦や高年妊婦,染色体異常児の出産既往や染色体異常児の家族歴がある場合などです.

またこの検査の限界としては,判定保留(Not Informative)という結果が1-2%にあること,また21トリソミー,18トリソミー,13トリソミーの3種類の染色体異常しか診断できないことなどがあげられます.すなわち3種類の染色体(21番、18番、13番染色体)の数的異常を診断するもので,均衡型転座,微細欠失などの構造異常や染色体モザイクなどは対象外となります.

 3.母体血胎児染色体検査をめぐる国内のこれまでの流れ

わたしはNIPTコンソーシアムを代表する立場ではまったくないので,以下はあくまでもまったく個人的な視点からの記録です.

現在のNIPTコンソーシアムを構成するメンバーには,2010年にアムステルダムで開催された国際出生前診断学会(ISPD2010)に参加した人間が多くふくまれます.もちろんその何年も前よりNIPTの話題は耳にしていたのですが,アムステルダムのISPDに参加してそこでの話題が圧倒的にNIPTのことであったのに驚かされました.ISPD2010ではNIPTの医学的検討にあわせ,倫理的な議論も徹底して行われていました.シーケノムの担当者も参加しており,来年(すなわち2011年)から北米で検査受託を開始し,それに引き続いて日本でも行うとその時点で明確に表明していました.

日本における出生前診断は,極端にいえば羊水検査が普及した1970年代で進歩をとめた状態にあります.超音波による初期スクリーニングも血清マーカー試験の導入も,学会などの公的な場で正式にとりあげられて検討されたことはなく,日常臨床には非常に限定された形ではいっています.世界の趨勢からみて,わが国の出生前診断の分野は臨床的にも研究的にも周回遅れどころか2周遅れの状態といっても過言ではありません.世界の状況を目の当たりにしてわれわれは,少なくともわたしは大きな衝撃をうけました.

日本に帰ってきた上記のメンバーはその後たえずNIPTについて意識をし,さまざまな機会をとらえて紹介をしてきました.NIPTの日本導入の見通しが明らかでしたし,遺伝子診断の国際的潮流にのるのは遺伝の専門医として自然の流れですが,日本の社会的状況ではさまざまな議論をよぶことは予想されましたので,日本産科婦人科学会や人類遺伝学会としてきちんと取り組むようによびかけてきました.わたしが直接知っている範囲でも,2010年の日本胎児治療学会,2011年の日本産科婦人科学会学術集会,産婦人科臨床遺伝専門医連絡会,日本遺伝カウンセリング学会,日本人類遺伝学会などで繰り返し話題としてとりあげられましたが,しかし全般的にはその反応は非常に鈍いものでした.NIPTが一般にはなじみのややうすい臨床遺伝学領域のテーマだったからだろうと思います.

シーケノムの担当者が明らかにしていたとおり2011年10月には米国で母体血胎児染色体検査がスタートし,2012年3月の段階ですでに12,700件行われたと報告されました.米国でこの検査を主導したシーケノム社がわが国でも臨床サービスを開始するのは必至の状況となりました.しかし具体的にどのような妊婦にこの検査の情報を提供し,検査結果をどのように伝えカウンセリングを行っていくかなど,検査やカウンセリングの方向性についてのコンセンサスがまったくできていない状況でした.このままでは各施設がばらばらな基準でカウンセリングを行い,検査を実施する体制が予想され,検査開始とともに大きな混乱が生じることが予想されました.

4月13日からの日本産科婦人科学会学術集会でも大きな話題となり,年内の検査開始となることは周知の事実となりましたが,学会として何らかの対応や方針をうちだすという動きはほとんどありませんでした.学会開催期間中の4月15日にひらかれた産婦人科臨床遺伝専門医連絡会でもかなり活発な議論がなされましたが,その時点で意見の集約化をすることはできませんでした.6月3〜6日にフロリダ州マイアミビーチで国際出生前診断学会(ISPD2012)があり,多くの日本人が参加して国際的な出生前診断の潮流を目の当たりにして衝撃をうけて帰ってきて,そのまま6月8〜9日の松本での日本遺伝カウンセリング学会に参加しました.6月9日夕には産婦人科医,小児科医からなる全国ブロック別出生前診断研究会世話人会が開催され,やはりNIPTについて情報提供と議論がなされましたが,そこでも明確なコンセンサスを打ち出すにいたりませんでした.

その段階でもうまったなしの状況となってきました.結局学会などの公的組織がほとんど動く気配をみせなかったため,産婦人科のなかの遺伝医療の専門家が声をかけあい,自主的にあつまって「NIPTコンソーシアム」という組織がたちあがりました.NIPTの臨床応用に向けてみんなの意見を集約し,一定のコンセンサスのもと検査が施行されるようにすることを目的としたものです.第1回の準備委員会は結果的に12施設の代表があつまって7月8日(日)に開催されました.

そのあと何回かの検討を経たうえで,9月から試行として首都圏の複数施設で検査を開始し,その3-6か月後をめどに全国の他施設に拡大していくことを予定としました.検査の位置づけとして,臨床研究として実施するか保険診療外医療の提供とするかについてもかなり議論がなされました.NIPT検査実施のための施設条件を厳格に適応すること,今後どのような遺伝カウンセリングが適切なのかの検討が必要なことといった理由により,参加施設の共同研究としてスタートすることが決められました.

 4.NIPTコンソーシアムの施設条件と対象妊婦

NIPTコンソーシアムの構想では,NIPT検査実施のための施設条件として以下の6点をすべて満たすことが定められました.

  • 1. 出生前診断に精通した臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーが複数名所属し,専門外来を設置して診療している
  • 2. 専門外来で,ひとり30分以上の診療枠を設定してカウンセリングを行い,その中で検査説明を行う
  • 3. 検査後の妊娠経過についてのフォローアップが可能である
  • 4. 絨毛検査や羊水検査などの侵襲的胎児染色体検査に精通し,安全に行える
  • 6. 臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーは,検査についての研修などを通し,検査法についての知識を充分に有しており,また院内で検査についての結果説明やカウンセリングに十分対応できる

この施設条件のなかでは,臨床遺伝専門医または認定遺伝カウンセラーが複数名所属と,小児科の臨床遺伝専門医と連携というふたつの条件が,もともと真剣に遺伝医療に取り組んできた施設のみを限定する実質的なハードルとなっていると思われます.興味や思いつきでNIPTを導入しようとしても,臨床遺伝専門医を新たに雇用したり,所属医師のなかから複数の遺伝専門医を養成するにも一朝一夕ではいかないからです.これらの施設条件を満たす医療機関は全国でざっとみて30-40施設といったところかも知れません.

またNIPT検査を希望する妊婦のうち,以下の条件をすべて満たす者を検査対象としました.

  • 1. 妊娠10週以降の妊婦
  • 2. 「出生前に行われる検査および診断に関する見解」(日本産科婦人科学会)で定める染色体異常(21トリソミー,18トリソミー,13トリソミー)に関する場合で以下のいずれか

・染色体異常症(21トリソミー,18トリソミー,13トリソミーのいずれか)に罹患した児を妊娠,分娩した既往を有する場合

・高齢妊娠の場合

・その他,胎児が染色体異常(21トリソミー、18トリソミー、13トリソミーのいずれか)に罹患する可能性のある場合

  • 3. 夫婦またはカップルからの希望があり,検査の意義について十分な遺伝カウンセリングによる理解の後,同意が得られた場合

これらの対象妊婦は,日本産科婦人科学会からだされた「出生前に行われる検査および診断に関する見解」に完全にしたがったものです.逆にいえば,これまでは羊水検査などが試行されていた妊婦のみを対象とするものであり,羊水検査のかわりにNIPTを行い,合併症としての流産を少なくしようとする意図にもそっています.

NIPTの原理であるMPS法は,ハイリスク群においては高い精度でダウン症候群罹患妊娠を検出しえることがわかっています.しかし周知のとおり確定診断としては不十分であり,羊水検査などが必要となってきます.一方,ローリスク群(たとえば「リスクの高低とは無関係な,不安を持ち検査を希望する妊婦」など)に対するMPS法のスクリーニングの研究報告はまだありません.ローリスク群にこの検査が有効かどうかのエビデンスはまだ存在しません.検査対象をハイリスク群に限定しているのはこの理由もあります.これはアメリカ産婦人科学会,アメリカ臨床遺伝学会も同じ見解をとっています.

 5.8月末のマスコミ報道とその後の経過

こういった動きを報じた8月29日の読売新聞の第一報のあとの騒ぎは周知のかたも多いと思いますので,要点のみ簡単に記します.

読売新聞2012年8月29日朝刊

8月31日に小宮山洋子厚労相が記者会見で日本産科婦人科学会に自主規制を示すよう要請しました.これは国としてはこの問題に積極的に関与しないので,学会がイニシアチブをとってまとめてほしいという厚労省の意向を反映したものと考えられます.厚労省あるいは国がイニシアチブをとって規制すべきだ,あるいは法律をつくるべきだというのは巷間にしばしばきく意見です.しかしわたしは小宮山前大臣の発言はきちんとしたひとつの見識にもとづいたものとして評価しています.

こういった生殖あるいは遺伝子検査の問題においては,仮にそれにあきらかに道徳的根拠があったとしても,個々の人間の決定を法的に規定することには疑問があります.個人の選択にはもともと心理的にも経済的にもさまざまな圧力があることが多く,そこに法的規制をくわえても意味がありません.あるいはなにが生きるにあたいするかといった問題に法律が絶対にたちいるべきではありません.たとえむずかしくても,くるしくても,面倒でも,時間がかかってもじぶんたちの手でコンセンサスをつくりあげていくほかないと思います.

厚労省発言を受けて,日本産科婦人科学会は倫理的・社会的課題が多く含まれるとして安易な実施は慎むべきとの声明を発表しました.12月にまとめる指針の骨子を示す11月13日開催予定のシンポジウムまでは実施自粛を求め,NIPTコンソーシアムに属する各医療機関もこれを了承しました.

日本産科婦人科学会声明「新たな手法を用いた出生前遺伝学的検査について」(9月1日)

11月13日に日本産科婦人科学会主催の公開シンポジウム「出生前診断−母体血を用いた出生前遺伝学的検査を考える」が開催されました.その内容はさきに報告したとおりです.

日産婦公開シンポジウム「出生前診断−母体血を用いた出生前遺伝学的検査を考える」前半報告

日産婦公開シンポジウム「出生前診断−母体血を用いた出生前遺伝学的検査を考える」後半報告

日本産科婦人科学会倫理委員会のなかに設置された「母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する検討委員会」における3回の会合,および上記の公開シンポジウムの議論からだされた指針(案)が以下のものです.

母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針(案)

内容に関する議論は後篇でくわしく述べます.

    

無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)とはなにか? そしてどこにいくのか? 後篇へ

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