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NIPTとはなにか? そしてどこにいくのか? 後篇

無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)とはなにか? そしてどこにいくのか? 後篇

                                (2012年12月26日 室月 淳)

目次(後篇)

6. 生命倫理学的視点からみたNIPT

7. 日産婦「指針案」批判

8. 母体保護法指定医はなぜNIPTにかかわってはいけないのか?

9. NIPT検査はなぜ制限されなければならないのか?

10. おわりに

11. 参考文献

目次(前篇)

1. はじめに

2. NIPTとはなにか?

3. 母体血胎児染色体検査をめぐる国内のこれまでの流れ

4. NIPTコンソーシアムの施設条件と対象妊婦

5. 8月末のマスコミ報道とその後の経過      前篇 へもどる

 6.生命倫理学的視点からみたNIPT

NIPTをめぐる国内の現在の議論は,選択的中絶による生命の選別を認めない立場,あるいはマススクリーニングとなることによって優生社会化することを危惧する立場からのNIPT批判,拒絶と,希望によって妊婦が検査を自由に受ける権利を保障せよ,非侵襲的検査なのだから遺伝専門医に限らず広く一般に検査を認めよというNIPT自由化の主張の,広く両側からの意見に遺伝専門医が対応しているというのがわたしの認識です.前者はマスメディアなどでよくみられる言説ですが,後者の意見は医師集団のなかや妊婦やクライアント個人の意見として聞くことがしばしばです.

NIPTに関する倫理的議論は,この数年間,世界的にもかなり徹底しておこなわれてきました.その結果議論のレベル自体は深化しましたが,予想もしなかったようなNIPT特有の倫理的問題はでてこず,直面する課題にはこれまでの生命倫理的な原則を厳密に適応することで対処できるという一応の結論になっています.すなわち,情報を与えられたうえでの自由意思による選択であり,検査をうけるかうけないかは個々人が自発的にきめること,検査結果は厳重に管理され本人以外には開示されないこと,インフォームドコンセント(インフォームドチョイス),自己決定,ブライバシー権の3つです.

この3つの大原則を前提としてみとめたうえで,出生前診断の中心にあらわれてくるのが選択的中絶の是非の問題です.これに対するこたえはもちろん「自己決定の尊重」ですが,それは具体的にはつぎのような意味になります.

「検査はいかなる形においても強制的,威圧的ではなく,自発的におこなわれ,検査をうけたカップルの自己決定により以後のことが決められる.検査の前後にはじゅうぶんな説明とカウンセリングがおこなわれ,そのカウンセリングには一切の指示的要素がはいってはならない」

倫理学者のなかには優生社会への危機を最重視するひとたちがいて,自己決定をこのようにまとめることにすら,障がい児の中絶をせまる優生政策と同じであるとなお批判しています.そのような批判がありながら,それでもなおカップルの自己決定にすべてをゆだねようというのが,現代社会と医療の到達した上記課題へのこたえなのです.

それではそういった倫理的な批判にどのようにこたえるべきなのでしょうか.「産むか産まないかはカップルがきめる」かわりに,「どち らを選択しても社会的不利益を受けないよう,国や社会は全力で支援する」ことが必要となります.「産むことを選択 した」家族のために,各種の福祉,社会対策やノーマライゼーション政策の実施が求められます.障がい者が排除されるのではないかという不安のもとでは,どのような出生前検査も障がいを持って生活している方や家族を始め,国民に受け入れられるはずはありません.NIPTの導入を契機として,「すべての障がい者が安心して生活できる社会」をつくっていくという社会の姿勢が求められます.

NIPTはスクリーニング検査の一種ですが,陰性的中率が高いという特長をもつので羊水検査のかわりとして導入しようというのが最初の前提でした.ただし採血というきわめて非侵襲的検査なので,安易に対応しているとマススクリーニング化してしまうので,細心の注意をはらって対応する必要があります.そのためにNIPTの検査対象を,羊水検査の通常の適応となるハイリスク群(35歳以上,既往,マーカー)に限定したわけです.

もちろんここに「妊婦が検査を受ける権利」という視点からの主張があってもいいと思います.ただしここで「妊婦の権利」,「クライアントの利益」というのは以下のようなことになります.

NIPTとはポストゲノム時代における遺伝子診断サービスの商業化のひとつです.あらゆる医療関連技術を個人の選択の幅をひろげる医療サービスとしてとらえ,関連技術が開発されればときをおかずに商品化するのが北米式の考え方です.この場合,「妊婦の権利」とは自由市場化を正当化する論理となっていくのです.そしてこの診断サービスは胎児の健康情報がほしいという消費者ニーズにこたえる有望な産業となります.新しいタイプの「不安産業」の誕生です.

こういった「妊婦が受ける権利」や「クライアントの利益」を重視する北米型の自由主義は,自己責任と消費者のニーズという概念で遺伝子診断サービスを推進することになります.そうなると個人の意思で,生まれてくる子の遺伝子改造や遺伝的質の選択を行う,個人主義的優生学を認知するまであと一歩のところに来ることになります.実際にそれを擁護する主張をしているひとも少なくありません.しかし望まれることはすべて実現させなければならないのか?

それに対してヨーロッパや日本では,個人の自己決定を重視しながらも,人権や人間の尊厳そのものを維持するために,これまで自己決定権にある一定の制限を加えてきました.医療を公共のものと考え,お金のある人間が自ら望むままに利用するのではなく,最大多数が平等に,それぞれ必要な医療を享受できるというのがその基本的な思想です.医療技術の使用は個人の欲望のままに無制限に行われるのではなく,あくまでも人間の未来の尊厳と幸福のためにはどのような条件が必要となのか,いままさにその議論がなされようとしていると思います.

 7.日産婦「指針案」批判

無侵襲的出生前遺伝学的検査にかんする今回の日産婦指針(案)は,おおむね正しいことが書かれていますが,納得しがたいところが3点あります.

施設条件を大幅に緩和したこと

産科と小児科が常勤医で,どちらかが遺伝専門医をもつことでは,検査実施施設が格段に増加することとなります.遺伝カウンセリングや検査後のフォローなどに関するコントロールがきかなくなり,おおきな混乱がおきることになるでしょう.指針案の前段でのNIPTが生命倫理的にさまざまな問題があるという議論をふまえて,だから「NIPTの実施を禁止する」,あるいは「さらに実施条件をきびしくする」というのなら筋はとおっていますが,なぜ逆に施設条件を緩めるという結論となるのか? 納得のいく説明はありません.

NIPTコンソーシアムの構想における施設要件では,遺伝専門医が複数いて,かつ産科医,小児科医とも専門医であることが必須でした.そして産むという選択をしたときに,カップルを全面的に支援しフォローできる施設で検査をおこなうというようになっています.

それではなぜ複数の専門医が必要なのでしょうか? ひとつはNIPTの実施には遺伝専門医や遺伝カウンセラーによる遺伝カウンセリングは倫理的にも必須であることです.複数の専門医がいることにより,どのような状況においてもクライアントに必要十分な遺伝カウンセリングを行うことが保証されること,名義借りなどといった名目だけの遺伝専門医といった状況をなくすことができることです.

もうひとつの理由は,現代社会において出生前診断はあくまでも個人の選択の問題としてたてられていて,障がいも個性のひとつとして認める方向にあることです.ところが,出生前診断を先天異常出生の予防手段とし,異常がみつかれば中絶がとうぜんと考えていて,さらにはその態度を隠そうともしない医師が一部にいます.遺伝専門医を複数おくことによって,そういったかたよった優生思想による医療を防ごうとする目的があります.

妊婦に検査の存在を積極的に知らせないとしたこと

妊婦に検査の存在を教えないという方法による制限のしかたにも疑問を覚えます.1999年の「母体血清マーカー検査に関する見解」のときは,検査の説明が十分に行われる環境になく,マススクリーニング検査として行われる懸念があるということで,医師に妊婦に対し本検査の情報を積極的に知らせる必要はなく,本検査を勧めるべきではないと勧告されました.

この時代は遺伝カウンセリング体制が整っていないという名分がありました.それが整うまでという暫定的な処置であり,関係機関はその整備に勤めることという勧告があったはずです.それにそって臨床遺伝専門医はこれまで努力してきました.そのあいだ日産婦はなにをしてきたというのでしょうか? いままた同じ方針をいいだすのは,この13年間なにもしてこなかったことを自ら認めているようなものだと思います.

そもそもNIPTをマススクリーニング化させない目的で,検査の存在自体を妊婦に教えないという対処は完全に誤っています.出生前診断を受けるときの原則を確認してみればその理由があきらかです.繰り返しになりますが,基本は「情報を与えられたうえでの自由意思による選択」,すなわちインフォームドチョイスであり,検査をうけるかうけないかは個々人が自発的にきめること,結果は本人以外には厳重に秘匿されるといったことだからです.「知らしむべからず」という医療は完全に時代錯誤であり,上記の基本原則を真向から否定するものです.情報強者と情報弱者の格差をそのまま追認することになります.そもそも10年前と違ってインターネットの発達した今日では「検査の存在を知らせない」ということはナンセンスでしょう.

おそらくいま求められているのはそれとは逆のことです.妊婦のみならず一般国民,あるいは一般産婦人科医にたいしてNIPTをふくむ遺伝学的な知識を普及啓蒙すること,すなわち遺伝リテラシーの向上です.一般の遺伝リテラシーが高くなれば,妊婦がそれほど積極的にNIPTに飛びつくことは多くありませんし,医師も簡単に検査をしようとは思わないでしょう.

結論を3月までさきのばししたこと

パブリックコメントを募集し,再度検討して3月に結論をだすというのは,単なる結論のさきのばしにすぎません.パブリックコメントによってどういった新しい視点がうまれてくるというのでしょうか? むしろこのあいだに複数の検査会社が参入して,全体としてコントロールのつかなくなる事態をおそれています.北米では上記のシーケノム社のほか,アリオサ社,ベリネイト社の2社がNIPT検査を商業ベースで受託しています.それぞれ日本法人や代理店をすでにもち,日本での検査受託を目指しています.コンソーシアムが検査開始を急いだのは,責任ある体制をつくってカウンセリングと検査を行うためでした.

コンソーシアムが構想したNIPTの枠組みは,実は遺伝性乳癌/卵巣癌のBRCA遺伝子検査の体制を模したものです.BRCA遺伝子検査は,遺伝専門医と専門外来がある全国10数か所の認定施設のみで行われ,そこで専門のカウンセリングを受けたあとで初めて検査がなされます.数年前から始まったこの体制はこれまで特に問題も混乱もなく運営されてきています.NIPTにおいても最初にきちんとした枠組みにより検査体制をスタートして,あとから参入してくる海外検査会社もその体制のなかで検査を受託するモデルをつくる必要があります.それが年内にスタートとして急いできた理由でした.

日産婦は「断固導入すべきでない」という結論もありえたと思います.それもひとつの見識です.その場合はもちろん国内の遺伝専門医はその方針に従うことになります.今回のような事実上の結論先送りという方針こそもっとも避けるべきだったと個人的には思います.

日産婦がいまやるべきこと

今回の指針案は,1999年の母体血清マーカーのときの「見解」でしめされた考え方におおきく影響されています.すなわち,検査が安易に施行されようになると,社会一般に広まるかもしれず,結果的にマススクリーニング化するおそれがある.だから検査の施行をコントロールするために,「知らせない」,「広報しない」という方法を選択するというものです.ただし母体血清マーカーのときは,検査施行施設には一切の条件をつけませんでした.

すなわち,積極的に知らせる必要はない,聞かれたときだけ適切な情報を提供する,ただし実施施設の制限はない,ということでした.今回のNIPTの指針案もほぼ同じです.施設要件は一応ありますが,上記に説明したとおりNIPTの施設認定条件よりも大幅に緩和したものとなりました.

妊婦に検査の存在を教えないという方法による制限のしかたというのは,医学的にも,生命倫理的にみても,欧米での考え方からいっても,あるいは世間の一般常識からみてもきわめて独特な,というか,はっきりいうと非常識な発想だと思います.

1999年の「母体血清マーカー検査に関する見解」のときは,検査の説明が十分に行われる環境になく,マススクリーニング検査として行われる懸念があるということで,うえのような勧告がなされました.遺伝カウンセリング体制が整っていないといわれれば,われわれ遺伝専門医は不本意ですがそれに従わざるを得ませんでした.そしてその後の10数年間というもの,ごく一部の診療所とはいえ野放図ともいえる検査施行と,その後のフォローにわれわれはさんざん苦労してきました.それにもかかわらず一般への適切で正しい情報提供や,教育,啓蒙といった活動は禁じられてきたのです.

本来であれば,遺伝性疾患,染色体異常の理解とか自己選択,自己決定の重要性などを理解してもらう,一般の遺伝リテラシーの伸長によって,こういった検査のマススクリーニング化とか優生化を防ぐのが必要であるのに,日本ではむしろ「教えない」「知らしむべからず」というまったくの反対方向に向かおうとしています.出生前診断がいつまでたっても一種のアンダーグラウンドにあるのは,こういった考え方がいつまでも主流となっているからではないでしょうか.

日産婦がいまやるべきことは,専門的な遺伝カウンセリング体制があり,出生後の児のケアと長期的フォローが可能な施設を選び,きちんとした監視下でNIPTを始めてみることです.NIPTにどのていどのニーズがあるのか,どういった問題が生じるのかがあきらかになるでしょう.検査へのアクセスをひろげるのはそれならでも遅くありません.

 8.母体保護法指定医はなぜNIPTにかかわってはいけないのか?

母体血胎児染色体検査(NIPT)について,「妊婦がある程度アクセスしやすい母体保護法指定医のところで検査を行うべき」という提案が産婦人科医の一部からなされています.しかし母体保護法指定医は,以下のまったく異なったふたつの理由によりこの検査にかかわるべきではないと考えます.

ひとつは,NIPTにかんする現在の生命倫理学のコンセンサスからは許容しがたい発想だということです.上にも書きましたが,NIPTについてわれわれが直面する課題には,従来の生命倫理的な原則を厳密に適応することで対処できるというのが国際的なコンセンサスとなっています.そして自己決定の尊重によって選択的中絶も許容されますが,その場合以下の条件が要請されることになります.

「検査はいかなる形においても強制的,威圧的ではなく,自発的におこなわれ,検査をうけたカップルの自己決定により以後のことが決められる.検査の前後にはじゅうぶんな説明とカウンセリングがおこなわれ,そのカウンセリングには一切の指示的要素がはいってはならない」

すなわち出生前診断は個人の選択の問題として厳密にたてられていて,出生前診断を先天異常出生の予防手段としてとらえたり,医療経済的な視点から医療費の縮減を目指して,異常がみつかれば中絶へ誘導するような優生的発想は徹底的に排除されなければなりません.これは20世紀のナチスドイツに典型的にあらわれた優生主義への深刻な反省からきています.しかし倫理学者のなかには優生社会への危機感を最重視するひとたちがいて,自己決定をこのようにまとめることにすら,障がい児の中絶をせまる優生政策と同じであるとなお批判しています.そのような批判がありながら,それでもなおカップルの自己決定にすべてをゆだねようというのが現代社会と医療の到達した上記課題へのこたえでした.

母体保護法指定医とは,母体保護法第14条に基づいて人工妊娠中絶手術を行うことができる医師を指します.もちろん母体保護法指定医がもっているに違いない高い倫理観を決して疑っているわけではありません.しかし法律によって医療行為としての人工妊娠中絶を認められている医師が,同時に染色体異常のスクリーニング検査を独占的に担うことは,うえに説明したような現在の生命倫理にかんする議論の文脈からは許容しがたい発想だろうと思います.

もうひとつの理由は,NIPTで重要とされる「遺伝カウンセリング」の視点から,母体保護法指定医ではカウンセラー-クライアント関係が成立しがたいことです.現在の遺伝カウンセリングの基盤にあるカール・ロジャースの理論では,「クライアント中心主義」といってカウンセラー-クライアントの人間関係が重視されています.カウンセリングの主体はあくまでもクライアントにあり,カウンセラーとクライアントはまったく対等の立場に立ちます.カウンセリングはひととひととの相互作用であり,外から他人が解釈や説明,解決策などを積極的に与えることはできません.それは「非指示的技法」ということばでまとめられています.

これは知的,専門的,年齢的,地位的優位性を背景とした「医者と患者」,「親と子」,「教師と生徒」,「年長者と若者」といった一種の上下関係にたつ「権威者」的アプローチの否定です.カウンセラー-クライアント関係と医者-患者関係は同時には成立しえないため,すなわち主治医がカウンセラーの役を兼ねることは,遺伝カウンセリングの世界では原則的に忌避されています.これは親が子を「カウンセリング」したり,教師が生徒を「カウンセリング」することが「原理」的にありえないことを考えれば理解しやすいと思います.

NIPTコンソーシアムの参加施設では,NIPTの希望者を原則すべて他医療施設からの紹介と想定しているのはそういった理由があります.遺伝カウンセリング→検査→遺伝カウンセリングといったステップを踏み,クライアントの自己決定をうながしたあとは,どのような決定であろうともすべて紹介施設に返すというのは,あくまでもカウンセラーとしての立場に徹するためです.

母体保護法指定医がNIPT検査を担うというのは,おそらく妊娠継続あるいは人工妊娠中絶という自己決定を受けて,その後の妊婦の医療処置とフォローもおこなうという発想があるのだと思います.これは検査後もひきつづいて妊婦をみていくという一見責任ある姿勢のようにみえますが,遺伝カウンセリング的にはまったくあやまった考え方になります.

 9.NIPT検査はなぜ制限されなければならないのか?

NIPTについて,日本産科婦人科学会や臨床遺伝専門家の自主的組織であるNIPTコンソーシアムが,勝手に施設要件を設定して検査可能施設を限定しようとしていることに,一部の産婦人科医から批判がでています.「この検査を受けたいという妊婦には検査を受ける権利があり,その権利を制限する権限はだれにもない.厳しい施設基準を定めるということは,そこにアクセス出来ない妊婦に対して検査を受ける機会を制限することになる」という主張です.

妊婦の希望に応じてあらゆる臨床検査がどこの医療施設でも受けられるという医療体制にはなっていません.「検査を受ける権利」というのはほかのあらゆる検査で患者に保障されているわけではありません.NIPTについても同様であり,ことさら妊婦の権利を言いたてて一般の医療機関でも広く検査を受けられようにしなければならないという理屈は成り立たないでしょう.もともとわが国の医療においては,お金さえ出せば自らの希望によって望む検査や望む治療を自由に受けられるというようにもなっていません.

しかしこれらの意見には,「妊婦にNIPT検査を受ける権利を制限する権限は誰にもないから,施設基準を取っ払ってわれわれにも検査をさせよ」という要求に単純に還元して,それを批判するだけではすまされない内容が含まれています.それはわたしたちがほぼあらゆるものが売買される時代に生きているという事実です.

上にも書きましたが,NIPTとは今世紀はじめのヒトゲノム計画による遺伝子の商業化によって誕生した一種の商品です.胎児の質の情報に市場価値がつけられて,高額の値段で取引されるようになっています.昔から非市場的な規範が生きていたヒトの命の局面に市場経済が入り込んできたことにこの問題の本質があります.

胎児の命の質の情報とは経済的視点で考えられるものではなく道徳的問題の範疇にはいるものです.そこで扱われるのは命の尊厳についてであり,金を出しさえすればあらゆる商品が手に入れることができる権利,すなわち「検査を受ける権利」が保障されるわけではありません.サンデルのことばを借りると「それをお金で買いますか」ということになります.もちろん妊婦さんの気持には切実なものがあり,それを強欲だとか道徳的に許されない欲望などと単純に批判することなどできません.ヒトとしての尊厳とヒトとしての欲望をどの地点で折り合いをつけていくかは,自己決定と自己責任という名の市場経済原理にまかせることは絶対にできないのです.

母体血による胎児遺伝子検査が可能になったのは現代医学の時代の流れであり,基本的にこれをとどめることはできません.臨床遺伝専門医としては,出生前診断を個人の選択の問題として倫理的に厳密に考えながら,適応者に対してきちんとしたカウンセリングをもとに検査を行うという基本姿勢をとって対処するほかありません.

 12.おわりに

NIPT施行にさいしての倫理的配慮がもとめられますが,それは遺伝医療全般に共通していることです.たとえば診断にさきだって遺伝カウンセリングがおこなわれなければならない,診断の目的,方法,予測される結果を説明し理解をえる(インフォームドコンセント),上記をえるためには複数の選択肢を提示しなければならない(インフォームドチョイス),個人情報を第三者にもらしてはならない,などといったことです.妊婦あるいはクライアントがほんとうに必要とする情報をえたうえで,みずから選択して自己の今後の行動をきめることを支援していくことが,遺伝専門医や遺伝カウンセラーの最終的な目標となるでしょう.

 

 11.参考文献

(1) Lo YMD, et al: Presence of fetal DNA in maternal plasma and serum. Lancet 1997;350:485–487

(2) Palomaki GE, Deciu C, et al: DNA sequencing of maternal plasma reliably identifies trisomy 18 and trisomy 13 as well as Down syndrome: an international collaborative study. Genet Med 2012;14:296-305

    

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カウンタ 9921(2012年12月26日より)