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開始1か月

開始1か月がすぎて

                             (2013年5月9日 室月 淳)

怒涛のような1か月でした.いずれ時期がきたら,しかるべき報告と総括をまとめようとおもっていますが,いまはマスコミ取材や報道にかんする雑感をすこしだけ書きます.

日本医学会から全国で15医療機関が施設認定され,4月より検査をはじめたということで,15施設を対象にアンケートを依頼して,それをまとめて報道しようと考えるところがおおいようです.まあ当然の発想だろうと思います.これまでのアンケートの回答依頼は10を軽くこえました.

それにたいして,当院では当初より回答しないという方針で一環してきました.すべて以下のような文面でお答えしております.

「このたびはアンケート調査のお願いをいただきましてありがとうございます.これまで当院では,無侵襲的胎児遺伝学的検査,いわゆる新しい出生前検査に関して,相談件数や検査件数といった具体的な数字に関しては,報道機関には公表しないという方針で一貫してまいりました.ですから今回のアンケートに関してもお答えしかねます.まことに申しわけございませんが,ご了解いただければ幸いです.」

お断りしました報道機関のかたがたには深くおわびもうしあげます<(_ _)>

ところで1か月たった最近は,「導入前の予想を上回る数で、新しい検査に対する妊婦のニーズが高いことが分かった」とか,「希望者が多く予約を断るケースが増えている」といった報道をしばしば目にします.そこからは,高いニーズに答える体制をつくるべきとのニュアンスが感じられます.

もう一度,「新出生前診断」(NIPT)の導入にあたっての理念をふりかえってみます.この問題の本質は,結局のところ「選択的中絶の是非」の一点にしぼられると思います.しかしその点についての日本社会のコンセンサスはまだできあがっていないのは明らかです.

それではなぜNIPTの臨床試験,すなわち試験的導入がおこなわれたか? それは現在,全国で年間一万五千〜二万件おこなわれている羊水検査について,その安全性をたかめる代替手段として使おうという動機があったからです.羊水検査のリスク,すなわち流産率は0.3%程度ですから,すなわち年間45〜60人の無辜の胎児の命が失われていることになります.もしこの羊水検査のすべてがNIPTにおきかわったとすると,陽性者にはもちろん確定検査としての羊水穿刺をおこなったとしても,ざっと計算してみて年間50人程度の胎児を救命できることになります.

これはあきらかにNIPT導入のメリットですので,この目的のための使用に関してはコンセンサスが得られているといえます.これを逆に考えると,NIPT開始が新たな出生前診断の需要を喚起することは極力さけるべきという結論になります.

それでは現実はどうでしょうか? もしかすると報道のとおり,「各病院から「希望者が多く予約を断るケースも出てきている」という声」が聞こえているのは事実かもしれません.

わたしがクライアントとしての検査希望者から聞いてみたところでは,ほぼ100%のひとが昨年8月以来のマスコミ報道からNIPTの存在を知り,それがきっかけで出生前診断を希望したというひとばかりです.すなわち「採血だけで,お腹の中の子どもにも影響ないなら,やっておこう」ということを考え,これまで出生前診断を考慮していなかった層を検査に誘導している機能を,これまでマスコミ報道がたしてきたといえます.

現在,検査をうけるにあたってのハードルは,検査費用が高価なこと,検査施設へのアクセスが限られていることのふたつです.ダウン症候群を選択的中絶することの是非について社会のコンセンサスが得られていない現状では,「検査を受ける妊婦の権利を保障すべき」と主張するひとたちはハードルの存在は大きな問題ですし,逆に「いらない命などない」と考えるひとたちにとってハードルは高ければ高いほどのぞましいことでしょう.

もし報道各社が,一部の地域では希望者が殺到し,多くを断らざるをえない現状があることを問題とかんがえ,それを全国に伝えたいと考えるならば,選択的中絶の是非の問題を明確に意識して,きちんとした見識のもとに報道する必要があると思います.そうではなく,これまでのほとんどの報道機関がそうであったように,単なる事実の紹をしたあとに,最後に申しわけ程度に,「課題を検討していきたい」とか「生命の選別の是非がとわれている」とか「遺伝カウンセリング体制の充実が必要である」といったクリシェをくり返すだけでしたら,それは単なる検査の宣伝にすぎず,事態をさらに悪化させる働きしかしめさないでしょう.

クライアントにはそれぞれ出生前診断に思い至った事情があります.クライアントの心理社会的側面は,医学的状況などよりもよほどさまざまであり,なぜ「出生前診断」を考えたのか,そして結果が異常の場合はどうするのか,クライアントの声を傾聴して,たんねんに解きほぐしていく必要があります.そういった状況のなかですこしでも前向きな選択肢をかんがえ,提示し,クライアントが自ら選択するのをそっと後押しする(自律的決定を支援する)のが遺伝カウンセラーの役目です.そしてそのなかにはNIPTが重要な役割をする状況はまちがいなく存在します.

マスコミ報道により採血だけでできる出生前診断があることをしって医療機関に殺到するという状況が,いかに本来の遺伝カウンセリングの理念から遠いことが理解いただけますでしょうか.それぞれの医師(産科医)−患者(妊婦)の関係のなかで,さまざまな状況(すなわち「ハイリスク」といわれる条件)が生じたときに,遺伝カウンセラーのところにカウンセリング目的で紹介され,そのカウンセリングのなかでひとつの選択肢として,ひとつの解決策として提示され,それを選びとっていくというのが理想です.

ですから現状では,「報道」という名の宣伝,「報道」という名の啓蒙は事態を悪化させる可能性があると危惧しています.いま必要なのは,プライマリの産婦人科医や一般医と意思を共有することであり,プライマリの先生がたにおける遺伝リテラシーの定着です.あり,われわれはそれに全力をつくそうとおもっています.

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カウンタ 1827(2013年5月10日より)