魔羅道那
病気の実感と向き合い方(退院から4年経過して)
急性骨髄性白血病の治療をしてから4年、自分が重い病気を患っていることが信じられないと思える時さえある。通常は、血縁関係ではない他人から受けることが多い骨髄移植だが、幸いにも血縁関係にある妹から骨髄移植を受けることができた。骨髄移植を受けたほとんどの患者さんが経験するであろう、いわゆる拒絶反応もほとんど起こらず順調にここまできた。元気だからこそ入院していた期間についても遠い出来事のように思え、本来は消えていたかもしれないこの命がこうして今続いている奇跡を実感できないでいる。
僕は自分の病気とどれだけ向き合ってきただろうか。今こうして振り返ると、常に背を向けてきたように思える。つらい入院生活、現実逃避をするようにゲームや読書、ボードゲームにハマったが、退院後の学業/進路のことや病気についての情報収集はまるっきりしなかった。母親が心配して、そのような話題について話かけてきてくれても曖昧な返事を返すだけだった。
そう考えると、今こうして大学に元気に通えているのも、周りの人たちの支えやサポートが絶大だったからであり、自分の力で闘病生活を乗り越えたからではない。冒頭で自分が病気であることが実感できない時があると述べたが、何も今現在、元気だからというだけではないだろう。病気と真正面に向き合うことがなかったからこそ、病気であったことが自分の中で薄れてしまっているのだ。
こんな感じで、自分は同世代の患者さんと比べて他人任せで病気から目を背けてきたからこそ、特に悩むこともなく生きてきた。ただこれも一つの答えなのだと思う。入院中すでに高校生だったが、甘えられる時は甘え、嫌なことからは逃げてきたからこそつらい闘病生活も過ごせたのだと。今後はもう少し責任感を持ち、人として自立できるようになりながらも、お得意の現実逃避は忘れずに、自分なりに生きていければなと思う。