Y.S.
出口の見えない入院生活
私は1年4か月という長期にわたり入院しました。特に後半の5か月間は出口の見えないトンネルにいるようで、心が折れそうになる時期でした。
2009年9月下旬、あと3クールとなっていた抗がん剤治療が腸閉塞のため中断しました。腸閉塞はすでに何度か経験していたのですが、今回はいつまで経ってもよくなりませんでした。原因はおそらく放射線治療によるもので、1年近くにわたって行ってきた治療の副作用が腸閉塞という形で顕在化したようです。結局2010年1月の手術まで約3か月間、私は水を飲むことすら許されませんでした。鼻に管を入れていたため、シャワーを浴びることもできませんでした。この頃の私は時が流れるのをただ傍観することしかできませんでした。
抗がん剤治療はどんなに気持ちが悪くなってもいつかは終わります。しかし、食べることができない生活はいつ終わるかわかりません。一生病院で生活しなければならないかもしれないという不安と、自らの力で生きることのできない情けなさ。まわりにつらく当たってしまうこともありました。
幸いにも抗がん剤がよく効いており、治療が中断したときには寛解状態でした。治療を止めたことによる悪影響もなく、そのことが私の支えになりました。また、家族や病棟の看護師、緩和ケアチームの方の支えで何とか持ちこたえることができました。あと1か月絶飲食生活が続いていたら、私の心は完全に折れてしまっていたかもしれません。
退院後も腸閉塞には悩まされ続け、2012年に再手術も経験していますが、いまは元気に生活しています。先の見えないトンネルでも、進んだ先には出口がありました。しかし、当時はそんなことを知る由もなく、ただただつらかったという記憶しかありません。
2017年執筆