K
目を背けたい
がんが発覚したのは29歳の春。病理検査が確定するまで、少しだけ時間が与えられていた。その間、私は、これ以上ないってくらい一生懸命に仕事をし、仲間とたくさん笑い、栄養をつけるためにいっぱい食べた。なぜって、なぜって…嘘だと信じたかったから。私は大学を出て関西から上京して、役者を目指した。東京に飛び出したものの、右も左も分からず、アルバイトをしながら何度悔し涙を流したことか。だけど、若い私には夢が、希望があった。
躓きながらも7年間必死に積み重ねた努力は、自分を裏切らなかった。プロとしてお仕事をもらえるようになって、この時も作品の稽古のわずかな休みを縫って念の為、病院に行っただけだった。多少の不正出血で、生理不順かな?と。そしたら突然、「がんの可能性があります…」と先生が言う。「子宮も卵巣も全て摘出しなければいけないだろう」と…。結婚も出産もこれからなんだ…現実味など湧くはずがないじゃないか。病理検査の結果が出るまでの2週間、私はバカみたいに真っ直ぐ希望を信じ続けた。でも結果は、非常に悪性度の高い難しいがんだった。
迷いぬいた挙句、病院の隅に隠れながら震える手で母に電話をした。必死に堪えていた涙が、この時初めて溢れた。「ごめんね…お母さん、本当にごめんね…。」母子家庭で必死に私を育ててくれた母。これから沢山親孝行をしたい!それがやっと叶うと思っていた矢先のことだった。自分の悲しみより、愛する人たちの悲しい眼差しが目に浮かんできて、心が張り裂けてしまった。だけど母は気丈だった。「泣いてても仕方ないじゃない。明日、東京に行くから!」と。翌日、上野駅の改札で、私は迷子になった幼い子どものように、雑踏の中に母の姿を探し続けていた…。20代でがんと闘う日々が、この日から始まった。
2017年執筆