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予期せぬ結果をどう伝えるか

妊娠中に発見された児の異常−予期せぬ結果をどう伝えるか

                                              (室月 淳)

妊娠中に予期せぬ胎児の異常が見つかった場合はどうしたらよいか? 当たり前のことではあるが,問題が特定された時点でなるべく早く,二人に対してわかりやすく率直に伝えなければならない.そのうえで,いかに児についてのポジティブなメッセージを込めることができるかを考えていきたい.

宮城県立こども病院

 はじめに

妊娠した女性が,子宮の中で育つ児を自分自身の一部ではなく,一人の赤ちゃんとして自覚するのはいつからだろうか? 多くの女性にとっては,胎児が自分の中で自律的に動くという強烈なできごと,すなわち胎動感とともに始まるだろう.胎動の自覚とともに,自分の胎児がどんな子どもなのかいろいろと空想したり,人間らしい性質を子どもに想像したりして,愛着を次第に感じ始めるようになる.ここで胎児は,誰かがいみじくも表現した「イメージの赤ちゃん」なのである.想像の中で胎児は,母親の理想どおりに健康で愛らしい完璧な「赤ちゃん」になっていく.

どんな女性であっても,「正常」な子どもを産むということを願わずにはいられない.妊婦の多くは,自分の「赤ちゃん」が異常でないか,また何が自分の内部にひそむ弱点が子どもに出ないかと密かにおそれを抱くものである.だからこそなお一層,「イメージの赤ちゃん」は一筋の傷もない完璧なものとして形づけられる.現実の人間でない胎児に対する愛着もその上に形成される.

ところがある日|の妊婦健診で,超音波でおなかの中をみていた医者の様子がおかしい.おし黙ったままいつもより長々とみている.そして「胎児の○○がおかしい」,あるいは「妊娠週数に比べて小さすぎる」などといったショックな言葉を聞かされるのである.「大きな病院に紹介します」.それから受診までの数日,精密検査までの数日の問に,不安,動揺,悲l嘆によって「イメージの赤ちゃん」像は跡形もなく崩れてしまう.

胎児の異常の具体的な指摘はさらに残酷である.「何でわたしだけがこんな思いをしなければいけないのだろう」.赤ちゃんに何か病気があると,それはいわゆる外表奇形だけではなく,外から見えないであろう内臓の病気や,器質的にはまったく変わりのない血液疾患や代謝異常などですら,イメージの中ではとんでもない姿に化けてしまうのである.それまで抱いていた「イメージの赤ちゃん」が理想的な姿であればあるほど,一度それが崩壊してしまうと,胎児は恐ろしい姿をとって目の前に現れてくる.いわゆる「モンスター・イメージjと呼ばれるものである.自分のうちにあるものが,とんでもないモンスターに変わってしまうのである.そして自己否定,自己嫌悪の強い念と, 「おなかに入れておきたくない!」という妊娠継続意欲の喪失の果てしない悪循環に陥っていく.

 Aさんのケース

Aさんは24歳の初産婦だった.近くの知り合いの開業医のところで妊婦健診を受けていたが,妊娠28週のときに「頭に水がたまっている」と言われ,当院に紹介されてきた.初診の外来のときから表情は固く,「本当はあまり来たくはなかった」,「頭に異常のある児はいらない」と開口一番に言い切った.夫も同じ意見であった.つづけて, 「ここでは中絶をはしてもらえるのですか」と聞かれたので,こちらも少しびっくりしたが,しびっくりしたが,「この妊娠時期ではそういうことはできません.でも,そう結論を急ぐ前に,本当に病気なのか,病気だとするとどの程度のものなのかちゃんと調べたうえで,そういうことをもう一度考えていきませんか」と答えた.中絶できないのなら前の病院に帰る」との返答だったが,検査だけで積極的な治療などはしない,検査が終わったら前医のところに帰るという約束で,1泊2日の入院精査に同意してもらった.

胎児頭部の超音波精査と胎児MRIの結果,胎内での頭蓋内出血とそれに伴う交通性水頭症と考えられた.MRI写真を急いで取り寄せ,脳外科専門医と今後の方針を打ち合わせたうえで,退院前に夫婦に説明をした.おそらく出血が原因の水頭症であり,生まれつきという意味での脳の奇形ではないこと,出生後に脳室腹腔内シャン卜手術を行えば半数近くは正常の神経学的発達が望めること,ただし脳室拡大の進行によっては,満期になる前に帝王切開を行って分娩させなければならないことなどである.しかし,二人はあまり熱意を持って聞こうとはせず, 「約束どおり」何もしないで退院し,そのまま前医のもとに帰っていった.前医の先生にも直線電話をして説明した.再度のAさんの妊娠管理については快諾していただいたが,今後のことについては「本人たちの希望を尊重したい」とのことだった.

その後, Aさん夫婦が,こちらの病院でモルモット扱いされたと言っているのを伝え聞いた.われわれとしては最大限に二人の気持ちに配慮して診療をすすめたつもりだったので,多少なりとも傷つかなかったといえばl嘘になるが,いま思い起こせば,診断の正確性のために複数の人間で超音波検査を行ったり,あまり予備知識もなしにMRIという仰々しい機械の中に入れられたりと,本人からみれば「もの」扱いされた気分となったのかも知れない.何とかふたりに対して児の受容を促そうと,頭部の病態をなるべく正確に説明し,出生後の治療にじゅうぶんの希望があることを伝えいようとしたが,本人たちにはその準備がまだできていなかったのだろう.初診の段階で,「とにかく検査を」という姑息的な約束などしないで,もっと徹底的に話し合いをすべきだったのかも知れない.あるいは,われわれの説明の言葉が専門的に過ぎたのだろうか? コミュニケーション技術が未熟だったのだろうか? われわれの気がつかない言動がふたりを傷つけていたのかも知れない.いまなお思い起こしては,こういった自問自答をすることがある.

 Bさんのケース

 Bさんは31歳の初産婦だった. 妊婦健診をしていて,妊娠17週のときに超音波検査で胎児の後頚部と体幹の浮腫が認められた.本人にその場で胎児児水腫であることを簡単に説明し,大学病院への制介状を用意するので,なるべく早く受診して相談するように話した.Bさんは「どうしてわたしが」と言って絶句し,そして涙を流した.「助かるのでしょうか」と問われたので,「正確なことは原因を調べてもらい,むこうの先生に詳しくお話をお聞きください.ただ一般的には,自然に軽快する場合もあるし,胎児輸血などの治療が奏功することもあります」と話して,とりあえず納得していただいた.

しかし,その日の夕方, Bさんの夫より電話が入った.思いもかけない詰問口調だったので当惑してしまった.一応の状態を説明したところ, 「なぜいままでわからなかったのか」,「妊娠管理が悪かったのではないか」,「どうしてほかの病院に紹介しなければならないのか」,「そちらでは検査も治療もできないのか」などと矢継ぎ早に質問された.もちろん医学的な見地からは,これらの質問はある意味でナンセンスなものである.しかし夫の立場に立ってみれば,やり場のない怒りを医療者に向けざるを得ない心情は理解できた.簡単に説明はしたが,電話であまり突っ込んだやり取りをするのは誤解のもとと考え,とにかくふたりでもう一度外来にこらえるように説得した.

改めて外米で夫婦に説明し,大学病院を一度受診するよう話をした.それに対して, 「実はわたしはある福祉施設の職員をしており,たくさんの障害児の面倒をみている.奇形の子も染色体異常の子もよく知っているのだ」と洩らされた.Bさん本人も以前は同じ職場で働いていたのだという.「親も子もどれだけ悲惨かはよくわかっている.そういった子どもを早くみつけて中絶させるのが産科の医者の役目ではないのか」と.「それは違う」と思わず言ってしまったが,これはこの段階でするような議論ではなかっただろう.

その後のことについては,後頚部の浮腫は妊娠の進行とともに次第に消失したこと,羊水検査でターナ-症候群と診断されたこと,紆余曲折の末に妊娠継続となったことを大学病院より報告いただいた.その後しばらくして,Bさんの夫から「自然分娩で無事に女の子を出産した.その節は失礼な物言いをして申しわけなかった」との電話をいただいた.世の中での染色体異常児に対する正しい認識の欠如は,むしろ専門職である人々に少なくないといわれることがある.Bさん本人と夫が妊娠中にどのような葛藤を経たうえで出産まで至ったのかは想像するほかないが,「自分でも意外だが,やはりかわいくて仕方がない」とのことばが聞けたのは,やはりうれしいことだった.

 予期せぬ結果をどう伝えるか

わが子が何らかの障害を持っているかも知れないと知ったとき,それまでの日常とは打って変わった世界に突き落とされることになる.その中で母親本人がいまの周産期医療の中で何に苦しみ,何に救いを見出しているのか,そういった体験集が出版されている(1).「生まれてくる子に『おめでとう』と言ってほしい」,「私はたった一言でいい, 『大丈夫だよ』の言葉がほしかっただけなのに,でも医療関係者にそんな無責任な言葉を期待するのは筋違いでした」など,医療者に対する辛疎な批判も含む率直な告白である.個人的にも読み通すにはある意味でつらい本である..19人の体験は限りなく重く,この壮絶な戦いの中にわれわれは謙虚に身を寄せるほかはないだろう.

予期せぬ結果,すなわち「健康な赤ちゃんを産みたい」という妊婦の期待に反した結果を伝えるのは,それを伝える医療者のほうもつらい.医療者の資質や人間性も厳しく試される状況である.いまだ未熟な立場で解説などというのもおこがましい気がするが,わたし個人のとりあえずの方針は,正確な事実をなるべく早い時期に,正確にかつ直接に伝えること,そのうえで自分たちで決めてもらうこと,両親がどのような選択をしようともその決定を支援していく,といったいわば当たり前のことである.妊娠中に胎児に異常が見つかったときは,夫婦がたとえどんな選択をしようとも,それは苦しい中からの選択となる.医療者もともに苦渋の中で支えていくことになる.

周産期医療において(とくに妊娠22週以降では),胎児異常の告知を両親の陣害受容と結びつけて考えている,あるいは告知を障害受容の最初で最後のものと考えているふしがある.出生前診断では,児の障害受容は重要な主題の一つであるので,告知もまた重要だと考えているからだろう.だからこそ,告知は悩みの種でもある.実際,告知に際してわれわれは大きなジレンマを感じる.胎児奇形に対して,一方では医学的にはなすすべがないことを両親に伝えなければならず,その一方ではそれを抱えて妊娠をつづけることへの意欲をもちつづけてもらわなければならないからである.患者をある意味で絶望の淵に迫いやる一方で,希望を失わせまいとするジレンマに立たせられる.

多くの母親の体験では,否定的な説明に大きな衝撃を受けたという.児が否定されるような説明は絶望感と育児意欲の消失を来すだろう.医療に携わるわれわれは,どうしても疾患などの異常の面に焦点をあててみることで治療を考えていく職業であるが,ややもすればそれ以外のほとんどの部分,すなわち「健常」な姿を見逃してしまう傾向を持つ.どのように話をすれば,両親が病気だけにとらわれることなく,胎児をわが子として,一人の人間としてみることができるようになるのだろうか?

「いかに“深刻な診断"を伝えるか」(2)という|臨床コミュニケーション技術についての本がある.臨床のさまざまな場における医療者の患者・家族とのコミュニケーションの留意点が,それぞれの現状をふまえつつ解説されているのだが,われわれの周産期I医療においてもとても示唆的な本である.そこには,仮に絶望的な状況にあったとしても真実を伝えなければならないこと,そして大切なのは,それにもかかわらずその中にいかにしてポジティブなメッセージを込めるかの重明性が強調されている.

出生前診断の告知にあたってポジティブなメッセージを込めるために,わたしはつぎのいくつかの点を配慮したいと考えている.まず「胎児」ではなく「赤ちゃん」と表現すること.赤ちゃんは必ず妊婦とともに「そこ」にいる.児がその場に同席しているかのように話すのは有益だろう.妊婦本人は, 赤ちゃんの重みと動きをその場所で感じているに違いないからである. 2つめに,超音波などの画像を積極的に用い,児を両親に示すこと.多くの場合は実際よりもずっと「恐ろしい」 病気を想像している.おなかの中にいるのは「モンスター」などではなくその「赤ちゃん」であること,そしてその子は病気にかかっている理解してもらうのである.3つめに,仮に予後不良であっても,考えられる予後や障害.の「幅」を表現するということである.期待される最善の結果,そして最J出の結果について話をする.出生前診断では不確定の要素が入ることが多い.あえて憶測を語るよりも,不確実性についてはわからないと述べるほうがいいだろうと思う.

最後に,いかにしてポジティブなメッセージを伝えるか.たとえば,赤ちゃんの脳の可塑性を強調することがある.わが子に備わった「可能性」という概念の強調である.上で述べた「幅」という考えも両親に楽観的な見かたの余地を残し,目指すべき目標と希望を与えるだろう.また,小児科など関連各科医の出生前からのかかわりを説明すること(病気とその経過,可能性,外科手術など)や,何らかの早期治療およびその理論的根拠を示すこと,援助を与えてくれる専門家や公的サービス,家族会について紹介することなども重要と考えられる.障害のほとんどに親の会があり,具体的な情報を得ることができる.そして最後に,「医療の面ではわたしたちが責任をもってサポートしていくから,困難なこともあるかも知れないけれど,安心して産んでください」と声をかけたい.

 おわりに

最初の「告知」を受けたときの両親の感じ方によって,ふたりがその児をどのように受けとめていくか,児の障害にどのように連れ添っていけるかが大きく左右される.そのためには,いかに伝えるか.可能であるならば,ふたりがそろっているべきだろう.問題が特定された時点で,できるだけ早く,専門用語を使わずにわかりやすく伝えなければならない.明確かつ率直で,なおかつ児に対して肯定的な捉え方をもって前をすることだけは大切にしていこうと思う.

(プライパシーの保識のため,ケースの事実関係を大きく変更したことをお断りいたします.)

 参考文献

(1)加部一彦,横尾京子,野辺明子編:障害をもつ子を産むということ:19人の体験.東京,中央法規出版,1999,302p

(2)チャールズ・ハインド:いかに「深刻な診断」を伝えるか:誠実なインフォームド・コンセントのために.岡安大仁監訳,高野和也訳,東京,人間と歴史社,2000,196p

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