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崩壊の危機に瀕する周産期医療と卒後教育

崩壊の危機に瀕する周産期医療と卒後医学教育

                          (室月淳  2012年5月8日)

本稿は周産期医療研修のあるプロジェクトの報告書の末尾にまとめたものの再掲であり,2008年の時点で書かれたものである.今後の地域周産期医療をどのように再構築するかを考えたコミュニティの視点からの周産期医療再建への提言が本稿のあとにつづくことになる.

その報告書が書かれてから4年たって,事態としては少しだけ改善した面とより悪化した面がある.改善した面として,周産期医療の危機の意識が社会で少しずつ共有されるようになって若干の医療資源が配分されるようになったことであり,全国的にみれば労働環境に以前よりも少しだけ緩和の兆しがみえていることである.悪化の要素としては何といっても東日本大震災と福島第一原発事故があげられる.これは東北地方でかろうじて持ちこたえていた周産期医療を,数年後には一気に破綻の淵に追い込む可能性がある.

出雲大社(島根県)

 1. 周産期医療の現状

なぜ周産期医療崩壊が起きたのか

周産期医療は現実に崩壊しつつあることは今や誰の目にも明らかになった.多くの病院で産婦人科が休診(実質的には廃止)せざるを得なくなっている.少し前の統計になるが,日本病院団体協議会による「病院経営の現況調査」(2006年)によれば,回答のあった2782病院のうち,2004年から2年間で休診した診療科のあった病院は439病院(16%)あり,その中で産婦人科が71病院,小児科が67病院であった.マスコミで周産期医療の崩壊が喧伝されない日はないといってよい.

周産期医療の崩壊の原因は複合的である.まず医療制度そのものに問題がある.診療報酬制度も病院経営に対し厳しいものである.自治体病院の職員の問題があり,さらに自治体病院経営を常に政治の手段としてきた自治体首長や議員にも大きな責任がある.患者モラルの低下も目に余るものがあり,原因のひとつになっているのは間違いない.

しかしながら何といっても最大の原因は医師不足であり,その背景には非常識な医療費抑制政策がある.医療制度が崩壊しつつあり,医師の労働環境は悲惨な状態となって,病者,弱者に実際に被害まで及んでいるというのに,それでもなお国として医療費抑制政策を今後も続けるつもりなのだろうか.医療現場の人間には到底理解不能である.

もともとわが国の周産期医療は無理の上に成り立っていたのに,医療費を増やしてより充実させるのではなく,もともと足りないのをさらに削減して病院も減っているわけである.それを何とかしない限りどうやろうとも良くなりようがない.周産期医療とはいっても,現状は少ない人的資源を疲弊させて維持しているのみで,この状態が続けば破綻するのは自然の成り行きであろう.

他の先進国の数分の一しかいない貧弱な病院勤務医の定数のため,交代制勤務すら組めず最低限の人員で産科や新生児医療に当らないといけない現状と,司法や国民の求める,ときには非常識としか思えないような高い医療水準に基づく訴訟リスクのため,各地の周産期医療体制は急速に崩壊している.そのような中,患者の要求ばかりが肥大化し,現実の医療の実態と乖離している.医師,行政,地域住民すべてが話し合い,現在できること,将来すべきことを充分に議論し,実行すべきときである.

医療を成り立たせている3要素

医療を成り立たせている3要素は費用,アクセス,医療の質である.これまでわが国においては相対的に安い費用で,すべての人が好きなときにいつでも自由に,最高レベルの質の医療を享受できる,世界的にもまれにみる理想的な医療が周産期医療も含め成立していた.

日本の医療にかかるコストは非常に安い.対GDP比の医療費の割合をOECDで比較しても格安であるのはよく知られた事実である.医療へのアクセスに関しては日本では抜群によい.よく日本の「3時間待ち3分診療」に対して,アメリカは「一回で15分診療」という.しかしアメリカでは民間保険などの制約により15分診療の予約をとるために1週間かかることも珍しくない.応召義務もなく,門前払いする医療機関も多い.医療の質について,特に周産期領域においては,周産期死亡率も母体死亡率も世界で最高レベルを達していることは言うまでもない.WHOの包括的な「効率」を指標としたランキングで日本は1位であるのに対して,アメリカは13位でOECD中最低ランクの部類であった(2005年).

安い費用は,医師の過重労働と犠牲心によるところが大きい.医師の労働が苛酷であることは社会的にようやく知られはじめている.病気の発症は時間など関係ないことと,医師の強い社会的使命感などが相まって独特の労働慣行が出来てしまった結果,労働基準法などからみれば仰天するような労働環境が常態化している.たとえば文字どおり徹夜で働いた当直明けにそのまま働く36時間勤務はごく通常のことである.働いた時間に対する手当てがなく違法ないわゆる「サービス残業」が当たり前となっている.「超勤」を含めた労働時間で公務員医師の給与を割ると時給は708円だというデータすら存在する.医師の高い使命感,勤労論理に国および国民は甘え過ぎてきたのではないか.現在の周産期医療の崩壊の原因を,簡単にひとことでいうと,医療を医師の自己犠牲に依存し,費用の惜しむあまり周産期医療の整備を軽視した地方自治体,政府の医療切り捨て政策が招いた結果である.

一刻の猶予もならない対策

周産期医療の立て直しには一刻の猶予もならない.医師の多くは20歳代後半で活躍を始め,60歳代後半で臨床の一線から離れる.医師の仕事人生の道半ばとなる年齢は40歳代後半であり,実際,多くの分野の医師の平均年齢はそのくらいである.しかし若手の医師がある分野を敬遠すれば,後進がいないため平均年齢は徐々に上がっていく.実は産婦人科医の平均年齢は50歳代の後半にある.半数以上はすでに50歳以上であり,60歳以上だけでも4割を占める.産婦人科医の減少傾向が始まったのはもうすでに20年も前からなのである.

医学部卒業後に一人前として医師として働けるようになるまで最低10年はかかるだろ.さらに現在では臨床研修制度があるため,2年間のよけいな回り道がある.産科医師の待遇の大幅改善,医療免責と無過失補償制度の整備,患者の自己責任とモラルの向上などといった,政策的にさまざまな産科優遇措置を即時にとり,仮にその結果産科志望者が増加したとしても,それが実際の周産期医療の立て直しにつながるのは少なくとも10年先のことなのある.実際には対策が具体的に奏功し,医学生研修医の意識が少しずつ変化するためには時間がかかるだろうから,向こう15年間は周産期医療の状況は悪化することはあれども,改善する見込みはほとんどない.逆に,周産期医療に対する無策があと10年も続けば,産科はほぼ確実に消滅するだろう.

すなわち周産期医療立て直しのための対策は急を要するのはもちろん,対策の効果が現れて少しずつ状況が改善するまでの15年間は,崩壊状態にも関わらず最低レベルの医療を姑息的にでも維持していかざるを得ないだろう.最低レベルというのは,医療の質のみならず,国民の周産期医療へのアクセスの面においてである.すなわち向こう15年間にとらざるを得ない姑息的対策は自ずから明らかであろう.すなわち現在の世界最高レベルの周産期医療の提供は,今後15年間は不可能である.はっきりいえば医療レベルを大幅に低下せざるを得ないこと,具体的には過去に日本が誇ってきた世界最高の周産期死亡率,母体死亡率を,一時的にではあるが発展途上国並みのレベルまで落とさざるを得ないことである.

同時に,保険証一枚あればいつでもどこでもだれでも最高レベルの産科医療にかかることができるというのはもはや幻想に過ぎないことを国民が自覚しなければならない.国民の周産期医療の受診については,大幅なアクセス制限をかけなければならないだろう.具体的には,受診費用の大幅な値上げ,受診待ち時間の大幅な増加,受診施設の大幅な減少と地域的な偏在などとなって現れてくる.今日「産科の集約化」がもっともらしく喧伝されているが,これは地方に住む住民に対して産科医療に対するアクセス制限をかけているのと同義なのである.また分娩は基本的には救急医療といえるので,究極のアクセス制限のためには,国民の出産数の大幅な制限を政策的に誘導する必要が出てくるおそれすらある.たとえば中国の「一人っ子政策」のような.

 2. 卒後医学教育の改善と充実

産科医師不足,周産期医療崩壊の現状を踏まえて卒後医学教育を見直す必要性がある.現在,問題になっているのは地域医療であり,東北地方の多くの地域が同様の状況下にある.地域周産期医療の崩壊の阻止につながる卒後医学教育や卒後臨床研修の見直しでなければならない.地域周産期医療に従事する医師養成の重要性はいくら強調してもしすぎることはない.

周産期に従事する医師として必要な臨床能力の習得のために

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臨床能力の取得に当たっては実地でのトレーニングにまさるものはない.ただし臨床研修に当たっては,患者側の理解が得られにくいことが最近の問題となっている.研修医による診療に対して初めは抵抗を示す患者がいるが,指導医がきちんとバックにいることを説明すると納得することが多い.医療不信もある中で,患者に理解し安心してもらうためには説明が重要である.指導医が研修医をきちんと指導するだけでなく,患者に充分に説明して同意を得ること,研修医の診療をバックアップできるような時間が取れることが重要である.それだけの制度的手当が必要となってくる.

産科医療は外科系であり,技術がなければ何もできない.しかし技術は指導医から伝授してもらわなければできるようにはならない.自己流でできるほど甘い世界ではないし,特に現在は「ミス」や「失敗」が許されない.自ら高い質で医療を行いつつ,後輩を指導できる医師は多くない.しかも現在,指導医クラスが大挙して病院から退職しているので,今後は指導できる医師も研修できる施設も少なくなっていくであろうことが大きな問題である.

現在,踏みとどまっている指導医への手厚い待遇改善が早急に必要である.技術は失われてからでは取り返しがつかないし,去ってしまうとその病院は閉院の危機に陥るほど指導医の存在は重要である.大学病院や臨床研修病院は指導医が扇の要である.まずそこから待遇改善を徹底してほしい.

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産科医師は常に訴訟リスクを抱えて臨床に向き合わざるをえず,それが今日の産科医療の委縮,ひいては地域周産期医療の崩壊のひとつの原因となっている.「もし訴えられたら,それだけで医師生命を失いかねない」というのは多くの産科医の実感である.医学生,研修医などはそういった風潮を敏感に感じ取っており,医学実習や臨床研修の中で周産期医療の魅力に惹かれながらも,最終的に他科を進路として選択することが多い.周産期医療研修システムの中で,そういった医療紛争に対してどのように考え,どのように対処していくかを教育していくかは,現在においては重要なテーマのひとつである.

医療事故が絶えない中で,仮に医療過誤訴訟となった場合でも,被告の医療側のみならず原告の患者側にも満足な結果を与えているとは言い難い.そこで考え出されたひとつの方策が「医療メディエーター」というものである.メディエーターは英語で仲介者,調停者の意味で,医療者側と患者の間に入り,中立的な立場で両者の「橋渡し」を担う.医療事故などのトラブルが起きた際に医療者側と患者側の間に立ち,両者の対話を促すことによって,衝突のエスカレートや訴訟などを未然に回避,紛争解決を目指すものである.

実際に「日本医療メディエーター協会」(理事長・高久史麿自治医科大学学長)が発足し,本格的な人材育成と資格認定がスタートしている.本GPPプログラムにおいても,そのトレーニングプログラムを導入し,一定のプログラムを受講したのちに,技能レベルの認定を受けることを目指している.プログラムでは,現実に起きそうな場面を想定したロールプレーイング(役割演技)などを通じて実際に役立つスキルを身につけることを目指している.

e-ラーニングの導入

地域周産期医療の現状として,一般に医師数が少ない遠隔地の病院ほど医師は忙しい.そのために孤立しがちであり研修の機会も少ない.このような医師たちが手の空いた時間にインターネットを利用して研修できるようにすることは大きな意義があるだろう.コンテンツによる修学や,ネットでの医師同士の意見交換やアドバイス,また診断や治療情報の検索,取得などを通して,そういった地域周産期医療に従事している医師を孤立させずに,それまで受けてきたGPPプログラムと継続性をもった研修を生涯にわたって受けられるようすにすることが目的である.

そのためには専用のウェブサイトを立ち上げ,研修機会を提供し,かつ最新の医療情報へアクセスができるような環境を構築する必要がある.そのためにはコンテンツ作成について充分に吟味する必要がでてくるだろう.また特別なアプリケーションを必要とせずに,パワーポイントなどで作成したファイルや講演会の動画などを簡単にアップロードし,また更新することにより,一種のライブラリーを構築できるようなシステムが望ましい.また「画像掲示板」機能などを盛り込み,診断画像をもとにサイト上で討論できればいい.そのためには専門のメーカーなどにソフトの開発を依頼したりすることが必要となってくるかも知れない.

また同時に,こういったシステムに搭載する教育用のコンテンツを収集するかも重要になってくるだろう.これはわれわれGPPプログラムで主催する定期的な「GPPセミナー」での講演や,医学部内で行う臨床講義や各種セミナー,産婦人科教室内で毎週定期的に行われている症例検討会,研究報告会,医薬品や機器に関する説明会,さらにはGPP関連病院での周産期に関するカンファレンスや勉強会などをそのままコンテンツとして収集し,アップロードすることは可能である.またニーズに応じてオリジナルの講義などを作成することも必要となってくるだろう.

周産期医療を志す若手医師を増やすために

周産期医療の現場の医師は疲弊している.日中働いてそのまま夜も日中以上に働かされ,それが当たり前のようにねぎらわれもせず,何か起こると患者に文句や抗議をいわれる.わずかな手当てで働かされてそれが当然とされている状態をみている若手研修医は,医学的にいくら魅力のある分野であったとしても,報われない仕事に対しては決して志そうとはおもわないだろう.

善意の心だけではシステムとして今の周産期医療が長続きするはずがない.問題は山積みである.話し合いはおろか現状認識すら充分になされていないのが問題である.国は現在の周産期医療のニーズを正確に評価し,供給できるリソースが存在するのかを考えるべきであろう.早急な解決策を現場と国で取り組む必要あるのだが,実際のところ即効性のある選択肢すら見当たらないのが現状である.

しかし今が苦しくても,あと5年後が明るいのであれば,たとえば労働環境が良くなるのであれば人間は希望をもって働き続けられるのである.同様に医学生や研修医からみて,周産期医療の状況が少しずつ改善するという実感があれば,やはり周産期医療に志す人間も増えてくるだろう.

ー産期臨床研修の充実化

臨床トレーニングを充実させることにより地域周産期医療を担う人材育成を行う.次のステップとして,後期臨床研修制度を短縮化し,地域医療に従事する医師を増やすという方向が必要かも知れない.

東北地方に根ざした周産期医療を目指す限り,全国すべてに共通する同じカリキュラムはあり得ず,むしろさまざまな大学があり,さまざまな卒後医学教育カリキュラムが存在し得る.地域周産期医療を意識した臨床実習を充実させるなど卒後医学教育のカリキュラムを構築するには,医学教育のための人員とノウハウが蓄積されている大学病院こそがその中心となるべきである.

東北地方は人口当たりでも,面積あたりでも医師が極端に少ない地方である.その少ない医師が一般から要求される最低限の医療レベルに答えなければならない.麻酔科や新生児の専門医がすぐに来られないようなところで分娩を取り扱うのはやめる方向にはあるが,過渡期においてはこのような形態が必要である.

総合周産期実践医(GPP)育成プログラムに関して,「マルチ産科医を育成」(2006年08月09日付朝日新聞朝刊)という新聞報道による紹介があった.こういった新しいタイプの周産期研修システムが立ち上がること自体が,初期研修医,医学生,さらには一般の興味関心を引きつけ,周産期医療の活性化につながることになる.

2006年8月9日朝日新聞朝刊

  

医療事故賠償の保証

産科医師は常に訴訟のプレッシャーに晒されていて,これが萎縮医療を招き,病院から医師が消えている原因となっている.そういった状況に医学生や研修医は非常に敏感である.産科志望者の減少の最大の原因と指摘する声もある.このために医療事故が起きた場合は,医師個人の責任は問わずに県や国が不利益を受けた患者の救済を行うことを明言する.もちろん同時に医療事故の起きた原因を究明し再発防止策をとる必要はあるだろう.

ドクターフィーの導入

今すぐ産科を希望する医師を増やすことはできないし,もし将来増員することができるとしても時間がかかる.それまでは今働いている医師がこれ以上辞めないようにしなければならない.休日を増やすことは人数の関係で難しいのであればせめて給与面での優遇が必要であろう.インセンティブが働くことで希望する医師が増えることにもなる.勤務医の低賃金と長時間労働によって支えられているわが国の産科医療の現状を改めない限り,産科志望者が増えていく見込みは薄いだろう.

ここ宛修や留学制度

海外と積極的に交流し,国際的視野を持つ医師を育て,知識と能力の向上とステータスアップを目指すことが重要である.

グ綮佞離ャリアアップ

自治体と国が事業主体の異なる病院の枠を越えて,その医師がキャリアアップしていく仕組みを作っていく.いわばかつて大学の医局の果たしてきた役割を担い,東北地方の医師の安定供給をはかる.医師としての生涯のキャリアパス全体を踏まえた上での対策が必要である.

 3. まとめ

われわれ臨床最前線に位置する医療者ができることは,本来の周産期業務のほかには人を育てる「教育」ということの中で地域周産期医療の再建に貢献していくことしかない.小林虎三郎の故事にちなむわけではないが,「米百俵」の精神で周産期医療の未来を創ることを目指している.地域周産期医療のために今後も継続してわれわれの後継となるべき周産期医療者の育成に力をいれていきたい.

 コミュニティの視点からの周産期医療再建への提言につづく 

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