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妊産婦さんの「安全と安心」について考えた

妊産婦さんの「安全と安心」について考えた−「世界で最も良好な妊産婦死亡をさらに向上させるために」余聞

                                (2012年10月15日  室月 淳)

先日,某医学会の専門医試験を受験しました.この年での久しぶりの試験勉強はからだになかなかこたえましたが,興味深かったのは専門医試験のなかに「小論文試験」があったことです.与えられたテーマは「世界で最も良好な妊産婦死亡率をさらに向上させるためにはどのようにすればいいのか?」というものでした.せっかくですので,わたしが書いた試験のための小論文を記憶によって復元し,さらにその場では論じることのできなかった内容をつけ加えて,ここに後悔,いや違った,公開いたします.

 

 世界で最も良好な妊産婦死亡率をさらに向上させるためにはどのようにすればいいのか?

世界でもトップクラスの妊産婦死亡率をさらに低減させるためにはなにが必要でしょうか? 一般産科医に対する再講習,母体搬送体制の改善(緊急時の血液輸送体制も含む),高次周産期医療施設の全国的な整備などいくつかが考えられますが,ここでは紙幅の関係で,最初にあげた再講習の充実のみを取りあげて具体的に論じます.

一次医療施設から母体の緊急搬送を受けている経験からいえば,到着時にすでに心肺停止状態でくるケースは最終的に救命が難しい場合が多いようです.出血性ショックでも羊水塞栓でもそれ以外の原因のときも,最終的にはガイドライン2010にそった適切な心肺蘇生法(Advanced Cardiac Life Support)が求められるのが原則です.これは一次施設内でも救急搬送中でも起こりえることです.

そのために医師や助産師看護師,あるいは救命救急士にACLSの受講を広めるのもひとつの方法です.さらに一歩進んで,分娩前後に起こりえる産科救急,たとえば産科大量出血や羊水塞栓,肺塞栓,子癇など母体死亡の原因となりえる状況に対する対応,あるいは新生児仮死に対する適切な蘇生といった考え方やスキルをまとめて,ひとつの講習プログラムとまとめるのはどうでしょうか.それを日常臨床に忙しい産科医師でも受けやすい1日程度のトレーニングコースとして実施し,その受講を勧奨する形がいいと考えられます.

すでに既存のトレーニングコースとしては,前述のACLSのほか,産科救急のプログラムであるALSO(Advanced Life Support in Obstetrics)や新生児蘇生法であるNCPR(Neonatal Cardiopulmonary Resuscitation)などがあります.これらのプログラムのスキルとノウハウを生かして,日本周産期・新生児医学会独自の産科医師再教育用の実技講習コースをつくることができるでしょう.その際に重要なことは,成人教育論に則った生涯学習の視点から,受講者への動機づけを重要視して自己変容を達成できることを目標とすること,そして従来型の講義中心の講習会では効果が薄いので,シミュレータなどを用いた実技講習を中心としたプログラムとすることです.専門医更新のために必修とすれば受講率も高くなると考えられます.

日本の周産期医療の未来は一線の医療を担っている産科医師の双肩にかかっています.そういった先生がたのスキルアップを積極的に支援していくのは学会の責務ともいえるでしょう.

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とほぼこんな内容を書いたのでしたのだが,なんとこのあたりでもうすでに指定の800字をこえてしまい,これで終りということになってしまいました.が,本当に書きたいことは実はこのあとにあったのです.せっかくですのでこのまま続けます.

 

 妊産婦死亡率に関する社会的コンセンサス

しかしこの問題にはもっと考えなければならないことが実はあります.それは「世界で最も良好な妊産婦死亡率をさらに向上させる」必要性について,一度,社会的な議論を行ってコンセンサスを得る必要があることです.必要性がないかというともちろん決してそんなことはありません.産科医療においても社会においても妊産婦死亡をできるだけ減らすことに異議があるわけがありません.まだまだ向上の余地はありますし,その必要性は当然のことです.

ここで「リスク管理」という視点からみてみます.まずあらゆる事象についてゼロリスクを達成することは現実的に無理とされています.実際に医学的に妊産婦死亡をゼロにするのは明らかに不可能でしょう.またあるリスクを抑えるための努力や技術の開発が,もとのリスクに関しては高い安全をもたらしているにもかかわらず,別方面で新たなリスクを生みだすというケースがしばしばみられます.これは「リスク間のトレードオフ」と呼ばれます.たとえば妊産婦死亡を減らすために,産科管理を数少ない大規模周産期施設にすべて集約化した結果,遠隔地に通院するための経済的負担や事故といった移動によって生じるリスク,あるいは自宅で緊急の事態が発生したときの時間的問題などほかのリスクが発生しえます.

すなわち妊産婦死亡についてゼロリスクに到達することは現実的に無理であり,ほかのリスクとのトレードオフや,リスク削減のために投入できる人手や費用を考慮しながら,できるだけリスクを少なくする態度が常識的でしょう.妊産婦死亡のさらなる低下のためにさらにどの程度の医療費を投入するのか,あるいは移動のための道路や公共交通手段をどの程度整備するのか,妊産婦に対する経済的援助をどの程度おこなうのかといったことは,われわれ医療者だけで決められることではなく,社会的な議論によってコンセンサスをつくりだしていかなければならないのは当然です.

わたしの上に提案した,一般産科医に対する再講習,母体搬送体制の改善(緊急時の血液輸送体制も含む),高次周産期医療施設の全国的な整備の3点のうち,あとのふたつは明らかに大きな経済的負担を要するものであり,社会的なコンセンサスが必要となります.最初の成人教育論に基づいた産婦人科医の生涯教育については,おそらく産婦人科医の自律的な組織である学会が主体となって決め,実行することが可能であり,社会的にも異議がでそうもない対策です.だからこそわたしがさきに具体的に提案したというわけです.

 

 リスクの許容範囲は?

妊産婦死亡をゼロにすることはできません.リスクというのはトレードオフの性格をもつため,ある特定のリスクを厳しく排除しようとすると別のリスクを招き寄せることがあり,社会全体からみれば必ずしもトータルでの安全性を高めるとは限りません.また過剰なリスク削減を目指すためのコストは,最終的になんらかの形でみずからにはね返ってくることになります.もちろんここでわたしがいいたいのは,だから妊産婦死亡低下の努力をこれ以上する必要がないということでは決してないのです.そうではなく,すでに世界で一二を争うほどの妊産婦死亡の低下を達成した日本において,それでも今後どの程度までのリスクならばみなが受容できるのか,一度ここで社会に問いかける必要があるだろうということです.

以下は佐藤健太郎氏「ゼロリスク社会の罠」(1)で指摘されていた内容です.ケンブリッジ大学のジョン・エムズリーは,「1万分の1のリスクは受け入れるのが,現代人の生き方ではないか」という提案をしているそうです.たとえば自動車事故で死亡する確率はほぼ1万分の1ですが,みなそれを理解したうえで車を運転しています.つまりわれわれは,すでにこのレベルのリスクを受容して車社会を生きているわけです.生存に対するリスクを考えれば,現代は人類史上もっとも低リスクを実現しており,それにともなってもっとも長寿を実現した社会といえます.その社会において1万分の1のリスクは受容すべきだろうというのがエイムズの考え方といえます.

何度でも繰り返しますが,だから妊産婦死亡のリスク低下の努力を放棄していいというわけではありません.ただし資源投下において社会的優先順位があるということを無視できないということです.エイムズが「1万分の1」という確率を提案したのは,逆にいえばそれ以上のリスクがある事象は社会的には到底許容できない,優先的に対応を取らなければならないという意味があります.

それでは「1万分の1」をこえる死亡リスクにはどのようなものがあるでしょうか? ある本(2)によれば,1万人あたりの年間死亡者数が1をこえるものとして,ガン(25人),自殺(2.4人),交通事故(0.9人)とされています.視点をかえてそれに匹敵するリスクがあるものとして喫煙習慣が考えられます.ちなみに妊産婦死亡は年間60人程度で,年間分娩数を110万とすると2万分の1を少し上回る程度のリスクです.社会的にはガン対策やそれに直結している全国的な禁煙への取り組み,あるいは自殺対策に真先に取り組む必要があり,人的・経済的資源も優先的に投入すべきということになるでしょう.

 

 妊産婦さんの「安全」から「安心」へ

論じている内容が周産期医療の範囲をこえてリスク管理の問題に広がったため,周産期専門医試験の小論文としては落第点となったかもしれません.正直に白状します.なぜわたしがなぜこのようなことを論じたかというと,妊産婦死亡率の低下への取り組みが行きすぎ,あまりにも極端な発想となることをおそれたからです.妊産婦死亡をゼロにするために,地域における一般診療所での分娩をすべて廃止し,すべての妊産婦を大規模な総合周産期センターに集約する,分娩は手術室を兼ねた集中治療室で行い,あらゆるアクシデントに即応できるようにする,といった極端な発想となりがちです.それが本当に妊産婦さんの安心につながるのか,それでハッピーな分娩が実現できるのかということです.

リスクコミュニケーション理論の世界には「安全と安心」という問題があります.これはたとえば原発事故の被災地でみるように,「安全といわれてもとても安心できない」というひとびとの気持に典型的に現れます.ひとが危険を認識し,不安を感じるのは非常に微妙な心理の働きによります.分娩に関してゼロリスクを実現するのが医学的に不可能である以上,わたしたちがこれから目指すべきなのは数字という客観的な「安全」ではなく,妊産婦さんたちが感じる「安心」そのものだろうと思います.

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しかしそのためにはなにが必要なのでしょうか? それを明らかにすることが問題解決の本質です.それはひとことでいえば「信頼感」ということになるのでしょうが,それではあまりにひとこと過ぎて解決にはならないでしょう.その問いに答えるためには,わたしたち産科医がこれまで妊産婦さんの安心を導くどのような仕事をしてきたかを振り返り,これからのあるべき周産期ケアをいかに実現するかを考えなければなりません.すみません.でも今日のところはこのあたりで勘弁してください<(_ _)>

 

 参考文献

(1)佐藤健太郎:「ゼロリスク社会」の罠−「怖い」が判断を狂わせる.集英社新書,2012,pp135

(2)中谷内一也:リスクのモノサシ.NHKブックス,2006,pp118

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